第22話 信頼。
「
頭が鈍痛し、突っ伏して寝ていた。睡眠不足が原因だろうと思っていたけど、どうやら違うようだ。放課後になって皆が各々の目的地へ向かう中、太一が心配そうに話しかけてくる。
「……うん。少しは楽になったかも……西園寺さんもごめんね。心配かけて」楽になんかなっていない、詭弁だ。ぽっかりと空いた席を西園寺さんが見つめる。
「……体調不良……だよね?」
「……今は、信じるしかないよ。事を荒立てて、暁さんが学校に来づらい雰囲気だけは作っちゃダメだ。だから、待つしかない」軽く頷いた二人には、そう言い聞かせた。
太一と西園寺さんは教室を出ていく。明日は、来てくれると信じて。
そう、今、僕がやることは、文芸部を存続させる事。
暁さんが帰れる場所を残す事。
それをしなきゃ行けない。
誰もいない教室からでて、僕は守る場所へと向かった。
明智君と神さんは、既に部室に居て、何も喋らずにパソコンをカタカタとタイピングしていた。どうやら、執筆活動の方を進めてくれているようだ。僕の執筆もあと一割と推敲がある為、席へ腰掛けながらパソコンを取り出す。
誰も喋らなかった。
いつも一番にこの部屋を明るくさせた彼女が不在の文芸部は真冬の教室のように空気が冷え、乾いていた。
数十分経っただろうか、神さんが席を立ち、引き戸を開けて出ていく。
僕と明智君の二人になった。
カタカタと先程まで鮮明に打っていた手が緩々と止まっていく。
僕の手が一向に動かないから、それが明快にわかった。
「二階堂、暁さんのこと何か聞いてるのか?」
「……ううん。いつも日曜日に通話をかけてくれるのだけど、昨日は無くて、コッチからかけても繋がらなくて」
明智君は僕の顔を見ずに軽く何度か頷き、右手の人差し指でキーボードを何回か叩く。それが苛立っているように思えたし、何か思考を巡らせているようにも思えた。
暁さんが通話してこないのは、オカシイなんては思わない。
したくない時だってあるからだ。
僕の通話を出てくれないのも分かる、きっと出れるような体調じゃないのだろう。
メッセージも返す気力が無い時は僕にもある。
若桜先生が暁さんの休みの理由を言わなかったのもきっと偶々だ。
だけど、そんな状況があの時と重なる。
一ヶ月間一人だったあの時と重なる。
僕の中で鬱屈とした不安を生み出したのは、前回の時と全く同じだったからだ。
「それを三月の時もそうしたのか?」三月とは、暁さんがまるまる一ヶ月休んだ件を差しているのだろう。僕の考えはお見通し、か。
「………うん。あまり急かして暁さんの体調が悪化するのは避けたいから」
「……そうか。勘違いしているんだな、二階堂は」
明智君の淡々とした口調はいつもだけど、今の言葉は僕を叱っているように感じた。冷蔵庫に冷えたドライアイスを入れるかのように空気をさらに冷えさせた。
「勘違い……?」見えてこない言葉をぎこちなく口にした。
「お前が、暁さんと話すと急かしていると、思っているんだろ?」
「それは……そうだと思う。だって、文芸部の翻訳だったり、文芸部の存続その他諸々彼女に責任を追わせているから、その引け目を感じさせないように僕は……」
「責任? 違うぞ、二階堂」明智君は僕に真っ直ぐな瞳を向ける。
僕の心を覗こうとする程の芯が通った眼差しだった。
「暁さんは、責任だの、文芸部だの、そんなちっぽけな事で悩まない」
ちっぽけ?
僕達が守り続けたこの場所をそんな軽々しく使わないで欲しい、使うな。
「……なぜ、そう言い切れるの?」語気が強まってしまう。
二人が過ごしたこの空間を否定する彼に突っかかる。
「お前を信頼してるからだよ」
自分の淀みきった思考が一瞬にして清浄されていく。
彼女に責任を押し付けてしまっていた。
知らずのうちに。
彼女には、文芸部に携わる義務がある、文芸部部長なのだから責任がある、そうやって押し付けていた。
彼女は、悩むべきだし、早く文芸部に来てこの場所を一緒に守ろうと思っているから、僕が頑張ろうと思った。
自分には才能がないから、誰かに頼ろうとした。
頼った相手を信用していたとか、そうではなくて、一緒にやればいいと思った。一緒に苦難を乗り越えて文芸部を守る……それに価値を見い出していた。
「だから、二階堂に大切な場所を預けたんだ。きっと二階堂なら守ってくれる。二階堂ならば、きっと私が帰れる場所を残してくれる。そう思ったから……暁さんは自分の今に集中して
「……僕を信じて……?」
「あぁ。……お前は三月の頃、待つという選択をした。……今回は、それを聞き、どう選択する?」
「……僕は」
三月……僕は、暁さんに連絡を取らなかった。
新入部員勧誘の責任を背負わせない為にそう決めた。
暁さんが連絡して来ないのなら、それが暁さんの本意だろうと、尊重した。
尊重する事で、自分は正しいのだと思い込ませた。
不用意に足を踏み入れて、彼女が壊れてしまうのを恐れた。
壊れたら、この関係が終わってしまうから。
この大好きな人達と集まる場所が無くなるのは、高校生活が死んだ事を意味するから。
上手く回っている歯車が僕の不要な人差し指で壊れるのが恐ろしく怖かったから。
待ったんだ。
___________だったら、僕は待つしかないのか……?
「二階堂にとって……この場所には誰が必要だ? その子がいない空間をお前は望むのか?」
三月、僕は一人でこの部室にいた。
太一や西園寺さんが来てくれたけれど、僕はいつもその席にあの子がいつの間にか座っていないかを確認していた。
その目線で察してか、二人は、いつもより僕に話題を振った。
二人が居ない空間は孤独だった。
まるで田舎の図書館の夕暮れ時みたいに一人取り残された感じがした。
そこに並ぶ本には、彼女との思い出だけが残り香としてあるだけで、背表紙をなぞれば消えていきそうな程に儚いように感じた。
次の年の思い出が更新されていかないような寂しさを胸に抱えていた。
あれこれ、新入生を増やそうと画策しても、結果は皆無だった。
百二十色の色鉛筆から五色の色鉛筆になってしまったように面白味のない案しか出なかった。
色が薄くなった。
描いても描いても、彼女が居た時のように濃い色は出なかった。
冴えない日々が戻ってきても待った、待ち続けた。
そんな日々をまた過ごす?
「嫌だよ。そんなの……嫌だ」
机に向かって、ダサい声で嘆いた。
子どもみたいな言葉だった。
今、ここに居ないのがこんなにも苦しい。
「ふっ……答え出てるじゃないか。二階堂が大切なのは、場所じゃない。空間じゃない。時間じゃない。……大切な人だろ? 守れよ、文芸部や責任だの言ってないで、大切な人を守れよ。横に居てあげろよ、支えてあげろよ……彼女を」
そうか。分かりきっていたじゃないか。なぜ、僕がこの場所を守りたかったか? なんてことは。手段を目的化してしまっていた。
この空間を守る事で彼女は喜ぶ、そう思っていた。でも、本当は、彼女に笑顔でいてほしかった。そのシンプルな理由に言葉をこねくり回して自分の気持ちに言い訳した。
彼女といたかった。
それ以外、なにも要らなかった。
「明智君。僕っ! 行かなきゃ行けない!」
「あぁ。ここは俺に任せろ」軽く文芸部の部室を明智君は見回す。「……お前らが帰ってくるこの場所を残しておく。だから、行ってこい!!」
背中を押されたとかじゃない。
どっしりと僕の心に安心感を与えてくれた。
初めて、こんな人に出会った。
目頭が熱くなったが、今は、そんな余韻に浸っている場合じゃない。
僕は、身一つでこの場から出ていった。
誰かが部室へと歩いていく姿が見えた気がするけどそんなの気にしている余裕は、今の僕にはなかった。
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