第21話 懇願。

 その日を境に私は塞ぎ込んでしまう。親へは体調が優れないと詭弁を並べるも、顔色が青白かったこともあり、一ヶ月間休みをもらった。


 その間、誰にも打ち明けることもできず、手紙を引き出しに隠していた。


 この世界には、あまりにも不釣り合いなモノだったから。

 引き出しに入れとけば、何かの影響で無くなってしまうじゃないかと思った。

 でも、無くならなかった。現実だった。


 兄にこの手紙を渡す。その選択は絶対にできない。


 愛する人が死に、その愛する人を忘れているのなら、思い出したほうが辛い。それに、あの呪いと怨念で染み付いた手紙が優しい兄を狂わせるに決まっていたから。


 私は、ようやく心を整理し、あの手紙を忘れる努力をした。


 人って意外に嫌な事を忘れるのが得意なようで、次第に薄まっていった。


 手紙の存在が時折頭を過っても自然と深淵の底の上にマンホールを被せるみたいに私を暗闇に落とさないでくれた。


 要するに__________脳の防衛本能だった。


 これ以上、主が傷つかないようにと。全く、利口な従者である。どちらが私なのか分からない、な。


 学校へ行けば、皆、心配してくれた。複雑な気持ちが胸にあった。


 こんな綺麗な彼ら彼女と一緒にいていい人間なのだろうかと。

 詭弁を並べ、自分勝手で、涙も流さない、こんな私は、相応しくない。


 だけど、二階堂さんの横にいる時は安心した。


 心がポカポカとしだして、目を背けたい現実を逃避できた。


 その日以降、私は日曜日の夕方に二階堂君と通話するのが日課になった。彼は、私の横に居ないけど、声を聞けば安心できた。


 また、一週間が始まるのが恐ろしく怖い私の背中を摩ってくれるような彼の声が学校へ行く勇気をくれた。



 お兄ちゃんが次第に記憶を取り戻し始めた時は、驚いた。

 もしかすると、スカーレットさんのことも……っておもっていたが、すっかり欠け落ちているようで一向に思い出さないのは……汚い私だからかな、嬉しかった。


 だけど、と思った。


 もし、お兄ちゃんが記憶を取り戻し、スカーレットさんの安否を確認し、死亡したと知ったら? 自分のせいで殺されたと知ったら? きっと、兄はもう立ち直れなくなるだろう。


 だから、私は、できる限り横にいた。

 あの時に、私にしてくれたように涙を代わりに流してあげようと思った。


 思い出さないように、自分の話をしなかった。過去の話をしなかった。友達の話をしなかった。思い出す瓶の蓋を開けないように細心の注意を心掛けたのだ。


 過去に目を向けず、私に目を向けず、未来を見させた。


 そうすれば、瓶の蓋が気まぐれに開かないようになると思ったからだった。

 自分勝手で汚い女。ほんと、嫌になる。


 明智さんと神さんと病院で会って、兄が過去を振り返ろうとした時、私は心の中で『やめて、やめてやめてやめてやめて』と叫んでいた。


 だけど、兄はそれをすんなり答えた。

 人が良過ぎる兄だけど、この時限りはその性格を恨んでしまった。


 翌日の日曜日、兄の記憶が戻らない事にいつも通り安心し、夕方に家へ帰った。綺麗な夕焼け雲が気持ちそうだった気がする。


 土曜日は、心配だったけど記憶が戻らなくて良かった良かったと思い、弾んだ足取りで家の前まで辿り着く。


 今日もたっぷり二階堂さんと話して、心を落ち着かせて明日も学校に行こうと思った。


「___________うそ、なんで」


 神様が居るのだとしたら、平気で嘲笑っているのだろう。私の望みも祈りも。


 全部が無駄と笑っているのだろう。汚い邪な私にそんなハッピーエンドは与えないよって、薄ら笑いしながら今の光景を見ているのだろう。


 視界がぐにゃりと歪む。


 手から、鞄が滑る。それと同時に足が小鹿みたいに震え上げ始める。体に今までに感じた事がない程の悪寒が走る。背中がこわばり、首筋に嫌な汗が流れ、呼吸が乱れる。寒い。


 その場で、両手で体を抱き、足から崩れ落ちた。チクチクした石が膝に当たって痛い。


 その憎きは、ポストからひらひらと舞い落ち、私の前に現れ、私を睨んだ。


 世界中の誰もが私を睨んでいる感覚に襲われた。


「うわぁあぁあああぁっぁああぁ!」


 手紙を無視して、ぐにゃぐにゃな世界の中、部屋へ逃げこんだ。

 ベッドに潜り、布団を身体中に巻いて塞ぎ込んだ。


 許して、許して、許して。

 もう、私に構わないで。

 もう、世界に関わらないから、許して。

 学校にも行かず、一人で生きるから許して。

 間違いだったからゆるして。

 清らかじゃない私が世界と関わった事、謝るから、もう、楽にさせて。


 今の私は、もうこの世にいない。


 だから、スカートに入っていたスマホが震え出したので床へ投げ捨てた。


 何度も何度も祈るように震えるスマホを自分から遠ざけた。

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