第23話 不純。
時間は流れる、どんな時でも。
最悪の一日も青春を謳歌する日も、時間は淀みなく命を消費していく。
人間が唯一無二の公平な時間は、私にはその日ばかり公平では無かった。
まるで、地獄が永遠に続くように、暗闇に独りぼっちでいた。
暖かいはずの毛布が今はただ、亀の甲羅に入っているような寂しさに襲われていた。この甲羅の中にいれば誰かが私を睨んでいても気づかなくて済む。
憂鬱に進まない時が進むのを待つ。
ただ、時が進むのを待った。
待つことで、命が消費していくのを心の何処かで望んだから。
喉は自然と渇かなかった。
食欲も湧かなかった。
丸まっていても背中は痛くならなかった。
プールに溺れたみたいに体がずっしりと水中に引っ張られていく感覚があった。
家族の声が聞こえたから、耳も手で塞いだ。
受け入れたくない現実を直視したくないから、目を思いっきり瞑った。
どこか、楽なところへ行きたい。
解放された、場所で何も考えずにいたい。
私は、眠ることを許されなかった。
スマホがぷるぷると鳴り響く。うるさいっ! うるさいっ。静かにして。
チャイムが鳴り響く。帰って。近寄らないでっ。もう……赦して。
その音が収まった。
耳を手で包み込んだお陰かと思った。だけど、緩めるとその音は綺麗に消えた。
しかし、下の階から、喋り声が聞こえた。ほっといてよ、お母さん、お父さん。
胸が裂けるように痛い。
気持ち悪いほどに呼吸が狂う。
頭が酸欠不足なのか、クラクラする。
どうしよう、ほんとに楽になれるかも。
階段を登る音が聞こえる。
一人分の足音が部屋の前で止まる。
何か言ってくるのだろう。体調は大丈夫? 水飲んでいる? そう問いかけてくると思っていた。
だけど、その足音は私の部屋に背凭れる音に変わる。
ギシっとドアが軋む音が聞こえたから。
背中をドアに預けているのが分かる。でも、声は出さないでいる。
何をしているの? もう構わないで。
私は、先ほどよりも強く、目を閉じて、耳を塞いだ。
その状態で暫く毛布にいたから汗がじんわりと私の息を苦しくさせる。
熱い、頭が痛い。
毛布を少しずらして顔を出し、綺麗な空気を汚い私が吸う。
まるで亀みたいに。
そのドアに背凭れたているであろう
「暁さん、二階堂です」
その暖かくて清らかな声に息が止まる。暗闇へ戻ろうとした私の手が止まる。
「ごめん、急に押しかけて。迷惑だよね」
「……」
「………喉乾いてない? ペットボトルの水買ってきたよ? ほら、いつも飲んでた、いろはすのオレンジ味」
なんで君がそこに居るの? なぜ、君が私に話しかけてくるの?
「……暁さん、僕はここに居る。で、暁さんがドアをノックしたら水をあげる。でも、僕は入らない」
ぎゅっと毛布を握る。
汗ばんだ手に温もりがうっすらと感じる。
上がりきった体温が正常に戻ろうとする。
渇かないはずの喉が一気に水を欲し始める。
瞬きせずに目を開けてしまう。
「………焦らなくていいよ。僕はここに居る」
何故だろう、彼の言葉が私にはすごく沁みた。のほほんと穏やかな声で優しい口調だからだろうか。それとも、心が黒く染まりきるのを防いだのが心にいた彼だったからだろうか。
「………」二階堂さんは、それっきり喋らなくなった。
だけど、時折、ドアが軋む。
私の心はいつも不安定だった。
それを支えてくれたのは、自分の強さでも何でもない。
誰かが横へ寄り添ってくれたからだ。
物でも本でもない。場所でもない。人だった。暖かい毛布よりも暖かいエアコンよりももっと温かいのが人だった。大切な人達だった。
私には兄がいた。
病院へ楽しそうな顔を浮かべながらドアを開けて入ってきては、本を渡し、あった出来事を面白おかしく伝えてきた。それが普段真面目なお兄ちゃんとは違うっては言えなかったけど、嬉しかった。私の為に頑張って考えてくれていることが。寂しく一人だった私の心に明かりを灯した。
私には、大事な友人がいた。今、そこにいる二階堂さんがその一人。
ツマラなそうに授業を受け、退屈そうに欠伸をしながら学校に来ていた。
友達といえる人もおらず、作ろうともしない、彼が気になった。だって、こんなにも美しい世界なのに、何故? 何故、楽しそうに笑わないの?
明智君もその一人だったけど、明智君は何だかんだ、周りの人達と雑談して笑ったり困った表情を見せたりしていたから明確に違った。
二階堂さんは、明智さんとは違って、心ここにあらずの状態で日々を過ごしていた。
だから、気になって隣の席でのペアワークの時に話してみた。
「ツマラナイの?」
「えっ?」驚いた様子で少し口元が歪んでいた。多分、場違いな私の言動に虚を衝かれたんだと思う。そんな突拍子もなく、文脈も関係ない問いかけを聞いて。
「別にそんな事はないよ。……ただ、檻の中に入ってるチンパンジーってこんな感じなのかなって」
「……ん?」
「あぁ、うん。ごめん……」
しまったって顔でおでこに手を当てて、憂いている顔が堪らなく可愛かった。
何この生き物。胸の真ん中がトントン叩かれたような気がした。今まで出会った事がない。純真さがその笑顔で分かった。
さっきの言葉が皮肉を効かせているのだろうけど、優しい人なのだと思った。この人の心中は、きっと清らかで不純物に塗れてはいないと分かった。
「……二階堂さん、私と友達になってください」
キッカケは、不純だった。
綺麗な心の人と友達になれば、私も清らかになって、この人生を大団円できると思ってのことだった。
「はい?」
私は、利己的に二階堂さんへ近づいた。友達になりたかったからとかじゃなくて、自分が良い人生を送れるために二階堂さんへ近づいた。
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