第18話 カッコいい男。


 ___________私は死ぬつもりだったらしい。


 その他人行儀な言い方が引っかかった。だが、その答えを兄貴はすぐに続けた。


「事故に遭う前の記憶が無いんです」暁さんの肩がぴくっと揺れて次第にその表情は辛そうになっていく。


 ごめん……暁さん。でも、オレは聞かなきゃいけないんだ。


「記憶喪失……ですか?」

「はい。私は、すぐ近くの陽明ようめい大に通っているのですが、その一年の冬からの記憶が所々ないんです。因みに今は大学三年で休学しています」


「事故は、いつ遭われたんですか?」自分が尋問をしているようで嫌になる。

「今年の一月二十日です。そこから、期間が経っているんですけど、記憶戻らないんですよね。どうでもいい日常のことは段々と思い出してきてるのですけど」

 苦笑いして、肩をすくめた。


 カーテンが靡き、冷たい風が部屋の空気を下げたよう感じる。


 記憶がないのは、事故を起こした事が起因しているのだろう。

 だが、大学一年から三年までの記憶が無いのは只事ではない事故の悲惨さ故だろうか……それとも『死ぬつもりだったらしい』という事故に遭う前の何かが影響しているのだろうか。


「ですから、こうして休学し、怪我を治しつつ……こういった大学の勉強を独学して思い出しているんですけどね。よくこんな難しい内容を前の私、理解したなって感心してます。……推薦で入った私には本当に難しいんです」


 棚の上に置いてあった大学の教材を手に取ってパラパラと捲っていた。教材の背表紙には『基本哲学』『経済学入門』『心理学体系』とオレも読破した事がある幅広い学問の本があった。まぁ、文系のってのは想像つくな。


「思い出せない記憶があるんですか?」

「はい。ごっそり抜かれている箇所もあれば、パズルのワンピースが嵌まらない感じの記憶もあったりするんですが、基本は思い出せません」表紙を撫でながら軽く首を振り、もう諦めた様子だった。


「兄さん……もうその辺で」口を噤んでいた暁さんが兄貴を止めようとするも、和やかな声で、「朋恵の友達には話しておきたいんだ。私のことを案じて土日や金曜の夕方に朋恵が来る理由をさ」


「………分かった。お手洗い行ってくるね」

 暁さんはそれ以上口を挟まないようにと、席をたった。


 その場にはオレと神様と兄貴だけになる。続きの話をするのか……そう思っていたが、そうではないようで、芯を持った瞳でオレと神様を捉えてくる。


「朋恵に私というバカ兄が居たことで、ご友人のお二人にはご迷惑をおかけしております。本当に申し訳ございません。本当に申し訳ございません」


 上半身だけを深々と下げる、勿論、頭も。

 オレ達は暁さんと会って間もないにも関わらず金曜日早く部活を切り上げて見舞いに来ている事を謝罪しているのだろう。

 土日の昼間もこうやって兄の世話に来ているから、折角の休日遊ぶ事もさせれない自分を責めているのだろうな。


「あっ、頭あげてください」神様が動揺した様子でそう問いかけるも、まだ続ける。神様もここまで謝罪するのは予想外だったのだろうな。


 兄貴が頭を下げる……その行為に兄貴のやるせ無さを感じた。


 オレは、兄貴の下がった背中を思わず触ってしまう。

 その体は小刻みに揺れていた。

 何かを抑えつけるように兄貴はまた泣いていた。


「す……すみません。お恥ずかしい所を何回も見せまして」袖で涙を拭い、自分を落ち着けさせるようにコップを口につけた。


「話を戻しますね」

「……」


「私は、一月二十日雪崩に巻き込まれたんです。北海道の中央に聳える大雪山でした。当時、私は友人達を連れずひとりで登っていたようです。身なりも雪山を登山するような万全の状態ではなく、自前のダウンとヒートテックのパンツやリュック。その中身も登山家に言わせれば『死ぬ気か! 山を舐めるな!』とお叱りを受けるような状態で私は見つかりました」


 この理知的に話を進める兄貴がそのような無謀な行動に出るとは考えられない。ただ、今の兄貴と記憶が無くなる兄貴とは違うのだからそう簡単に結論づけれないが。


「それで、雪崩に?」


「はい。雪崩に遭って、私は崖から落ち、かなりの高さがあったので私は足や頭を怪我、骨折したんです。崖は、あまり雪が積もってなかったですから。

逆説的に考えれば、雪が少し有ったことでこれだけに済んだのは不幸中の幸いとしか言いようがないですけどね」左足を触ると『イタタ』と冗談めいた声を漏らした。


「一月にかけてから四月まで入院してるって考えると結構な雪崩だったんですね」

「…神さんは、雪崩とかイメージつきます?」

「いえ、全然つかないです」


「って、私もそうなんですけどね……はは。その雪崩れがあった際に偶々自分は全く知らない登山家の方に助けられたんです。雪崩で埋もれてから十八分以内に救助されれば生存率は約九十%らしく、それを超えると加速度的に生存率は下がるようです。私は、奇跡的に十五分ほどで見つかりました。その際に、発見を早めた奇跡を生んでくれたのがこのペンダントなんです」


 光が拡散するほどの美しいペンダントを首からかけていた。

 丸みがあり星屑のよう。

 その綺麗な珠が白く光っており、可愛らしいデザインだ。

 柔らかい水色も含んでいる気がする。


「触れると、なんか落ち着くんです。そして、ひどく泣きたくなるんです………ほら」また雫が頬を伝っていこうとする。その前に兄貴はティッシュで拭き取った。


「ペンダントは自分で買ったのか、それとも誰からか貰ったのかは記憶に無いんです。ですから、大学の友人に貰ったんだと思います。でも……もう過去を引っ張っても過去を探っても時間は戻らないですからね。今は、早く自立して、大学に通い直せるようする。そして、朋恵を今度は支える……それが目標ですかね。……ちょっとダサいか」


「いえ、カッコいいです」ほんとに。



 それから、医者や理学療法士から後一ヶ月ほどすれば元の生活に戻れる話があったようで、授業についていけるか不安なよう。

 最後を笑いで締めくくったのはオレ達に気を遣ったからなのだろう。


 それで病院を後にしたんだ。

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