第2話 トリックスターは突然に。

 靴を履き替えて自分の教室である二年二組前の廊下は、笑い声が漏れていた。それが自分の居場所に帰ってきたと感じる生徒もいるだろうが自分にはでしかない。


 後ろのドアをガラッと開け、窓際にある朝読書用の本棚を見ながら粛々と左後ろの席へ座り、早速一限目の用意をする。


 手慣れた作業をしながら、今朝いた四人組が二階堂の周りでグダグダと雑談しており、それが青春の一ページのように映える。

「……」


『羨ましいなら、喋りかけたら?』


 唐突に話しかけてきたと思えば、無理難題で頓珍漢なことを言ってきた。


 羨ましいなんて思わない。ただ、青春を有意義に使う堅実な生き方だと思う。

 だが、生き方に優劣がある訳でないのなら、どの選択肢を選ぼうと俺の勝手じゃないか。


『死ぬ前に後悔することって、自分に正直な人生を生きれば良かった、だって』

 であれば、無難な選択肢と挑戦する選択肢のどちらを選ぶかを人は悩み、身悶えし、最終的には無難な選択肢に落ち着くということだ。


「……」俺の生き方は、そんな無難な選択をしていると? 挑戦を諦めて誰かに隷従され生きていると? 


 普段、気にせず生活していた自分へ客観的な学びをくれるのは本よりも安上がりだからその点は助かっている、ありがとう。


『ねぇ圭吾って、図書館に通い詰めて住民税の元をしっかりとるタイプでしょ? そうでしょ?』

 



 ホームルームが始まる前は、クラスメイト達の話し声をBGMにしながら、宿題として出されそうな箇所を先に解いておくこととしている。


 予習にもなるし、宿題も済ませることが出来一石二鳥……で、やる事がない俺としては暇潰しにもなり一石三鳥ともいえる。


 そんないつもより何故かはしゃいでいるBGMが気になるも、先程から四六時中に跨がる脳内砂嵐がパタリと止んでいた事が気掛かりだった。


 おい、神様? どうした? 


 頭の中で念じてみるも、音沙汰が無いので神様も忙しいのだろう。別に特段用事がある訳でもなく……まぁ、俺から神様宛てに用事なんて無いのだけど。


 つつがなく勉学に勤しんでいると、教室前のドアがガラッと開き、担任且つ国語専攻である若桜梨花わかさりか先生が入ってきては教壇へ立つと皆が自席に戻り音が消える。

 流石は、県内屈指の進学校。中学の動物園と化していたあの頃よりも居心地が良い。


 全員が若桜先生に視線が集まるのを感じてか先生はアルカイックスマイルを作った。それがこのクラスのお約束というかお決まりというか、まぁ〜それを見て我々二年二組は今日一日が始まったのを実感していた。


 それほどまでに特徴的な笑みで、高校教員としては若い年齢にも関わらずクラスの担任をしているのだから相当先生方から信頼されているのだろう。


 また、綺麗に整ったはっきりとした目鼻立ちは生徒達からも憧れの対象として見らているものも多いのだとか。


 時折、クラスメイトから『綺麗』『可愛い』と賛辞の言葉が飛び交うも決して『彼氏いるのかな〜?』『俺、若桜先生に惚れちゃったかもっ!』なんて異性として見ている声は聞こえた事がない。


 勿論、みんなが教室内で浮ついた話をしないや親密な友人同士といる時しか色話はしないって事も考えられるが、今のピシッとした雰囲気を見ればそうじゃないって事は誰の目からも明らかだった。


 これは、若桜先生が俺達学生と明確すぎる線引きをしているからだ。


 和気藹々と学生達と戯れる事はしないも、課題が遅れた生徒がいれば期限を指定しそこ迄にやってこなければ先生とマンツーマンで居残り補習が始まるのだとか。

 決して、生徒を見放さないところはそこで窺えるのだけど、やっぱ四月二十日の現在だからまだ関わりも少なく、未知数だった。


 級長である坂本が号令をかけ着席すると早速若桜先生が口を開いた。


「おはようございます。今日も皆さん無事登校してきて嬉しいです……ここで通常なら点呼する流れなのですが、今日から皆さんと共に暮らす転校生を紹介します。一部の人は既に噂程度で知っていた人も居たかと思いますけどね」その言葉にクラスはざわめきだし賑やかになる。


 どうやら、いつもより教室が音で満たされていたように感じたのはその話題が持ち上がっていたからのようだ。


 かく言う俺は、友人からそんな情報を聞く事もなく、勉強に励んでいたから『転校生』というワードが行き交っていても耳から聞こえる声を脳ではBGMに変換していた為知らなかった。…別に悲しく無い。


 若桜先生が綺麗に纏まった低めのポニーテールを揺らしながら廊下へと近づき、廊下へと消える。その際に聞こえるのは『女子って噂だよな? それも結構美人のっ』と言った下世話な内容だった。


 そして、俺は自然とその生徒の席は何処になるのだろうとクラスを見回す。だけども、空いている席は一番後ろ且つ左である俺の右側の席だけ。


 うむ、どうやら美少女と噂される女子が俺の横に来るらしい。 


 そのことが、若干嬉しいのは言うまでもなく俺の口角が少し上がってしまい、『気持ち悪っ』と神様が俺に言ってくるのが聞こえた気がした。


 先生がドアを開け中へ入ると、全員が固唾を吞んで転校生を待ち構えていた。


 当然、顔の位置に目が入っていた訳だけども思ったよりも高い位置から出てきて驚くも、それよりも驚いたのは絶世の可愛さと美しさを兼ね備えているということ。


 綺麗に整えられた黒髪は肩にかかり、朝日が唐突に彼女を照らし出しツヤツヤと髪が神々しく輝く。

 同学年と思えないほどに大人びた顔立ちにも高校生らしい可愛さを含んでいて、俺達全員を見ながら薄らと微笑み軽いお辞儀をしながら黒板の真ん中へと移動する。


「……」息を呑む美しさとは彼女のためにあるのかとすら思ってしまう。


 いや、もしかすれば、俺にとってドストライク過ぎる容姿だからだろうか?

 清楚、黒髪、ロングで、出るところは出て引っ込むところはキュイっと引き締まってて……完璧に俺の理想にマッチしており、怖さすら感じてしまうほど。


 まるで、中学の時に理想すぎる女子を暇潰しに描いた姿形がそのまま出てきたように錯覚するほどだ。無論、俺は芸術センスが皆無なので、激盛り加工アプリのフィルターを通してからの絵だけど。

 心の中で自分を制御していないと、吸い込まれそうな大きな瞳に釘付けになってしまう。


「それじゃあ、自己紹介どうぞ」若桜先生が転校生に話し手を譲る。

 その転校生はハニカミながら「はいっ」と可愛らしい声で……ん? 


 なんか何処かで?


 その刹那、俺のDNAにしかと刻印された声音が耳元……脳内で囁く。


『よろしくね、圭吾っ。へへっぇ、へへっ』と。


 見るもの全てに色が無くなっていく気がした。


 だが、くっきりと黒だけは残っており、彼女の姿を色濃くなぞっていた。

 水墨画のように、墨の濃淡と勢いや線の強弱だけで彼女を立体的に作り上げる。その対比からだろう顔や手、足が本当に色白い。

 ……二次元の世界に迷い込んでしまったのかと、錯覚してしまう。


 俺と彼女は初めてそこで目が重なると、その水墨画の彼女に色がつき始めた。


 違う、と否定するにはあまりにもその輪郭が神々しすぎた。

 神様なのだ、と理解した。


 この世があなたの創った世界というのなら何でもありだと、知っていたから。


 それ程までに、あなたが俺を見つめる瞳は嬉しそうで、長らく逢っていなかった旧友に再会したような朗らかさがあった。


「皆さん、初めましてっ! 今日からこの二年二組でお世話になります、神絢香かなえあやかと言います。両親の転勤でこの町に引っ越してきました。ここの転入試験が難しかったので勉強についていけるか不安なので、教えてもらえると嬉しいですっ。あとは、小説が好きなので文学好きな方は気軽に話しかけてください。ただ……結構マニアックなので話し込むと離さないかも知れません。今日からよろしくお願いしますっ」


 ぺこりとお辞儀をすると拍手と共にクラス中が黄色い声に包まれる。先生は、その挨拶の合間を縫って黒板に『神絢香かなえあやか』と煌びやかな名前を書いていた。


 可愛さと真面目さ…その中に秘めるそこはかとない元気のあるユーモアさ。男子・女子各方面への配慮と器量を見せる挨拶。

 男子は可愛いと、女子は好きな子のライバルになるかも……なんて思いつつも下手したてで挨拶するから悪い気を出せないだろう。

 うむ、女子への偏見が今の思考で垣間見れたな……すまん、女子。


『謝らなくていいぞっ、圭吾。可愛いと褒めてくれたからっ』俺にだけ聞こえる脳波を送ってきながら先生に俺の横に座ってと案内され、俺を見つめながら歩いてくる。


 男子どもは、俺に対して羨ましそうな眼差しを向けてくるので、彼女から目を伏せ自分の机へ目を遣る。

 神様は、自分が注目の的である事に気づいてだろうか、敢えて座らず椅子の後ろに立ち俺を見た。


『愛想良くしたら? へぇへっつ』机の上で握り拳を作ってしまう。


 あんたって人はっ、どこまで俺を小馬鹿にするんだよ! 


『そうやって、内心でイライラするのやめて、こっち見なよ。そうしている間もみんな君に敵意を向けるよ?』


 俺だったら、あんたのこと性格悪いなって思うけどな?


『大丈夫だよ、だって』そう伝え終えると。


「初めまして……じゃないよね? 明智圭吾あけちけいごくん」


 脳内へ響き渡るいつもの声なのに優しく包み込むような美声に俺は強制的に声の主へと引っ張られた。


「はっ?」意味のわからない冗談を急遽言われそんな声を漏らすも見下ろされた神様の顔が無邪気に笑っており、目が泳いでしまう。


 何だよ、くそっ。


「えっっと……?」取り敢えず、神様の腹づもりを探る。


「ほらっ、小学生の時にやった三泊四日の花火作りっ」


「……あ」テキトーな理由をつけて俺に注目を浴びさせる卑劣な魂胆かと思いきや……俺の脳内に微かな夏の思い出が鈴虫の鳴き声と共に蘇る。



 小学五年生の夏、俺は夏休み前に配布された楽しげなリーフレットに目を奪われた。小学三年から六年までの幅広い年齢を対象にして、打ち上げ花火を三日間で作り翌日の夜の河川敷でそれを打ち上げる。

 最後はバイバイするために四日を共にした同志と手持ち花火で戯れ、解散するというもの。


 当時の俺は、非日常的なそのリーフレットに載っていた行事予定や楽しげな子ども達に心が躍りそれに参加することとした。


 そして、俺はそこで五人一組の班を強制的に作らされた。その中に五月蝿いくらいに俺へ突っかかっては喧嘩腰の少女がいた。その名前が……。


神絢香かなえあやか


 そう、俺はその彼女が余りにも自分の言う事を全く聞かなく、真反対の完成案を出してきて、初日と二日目は彼女のことが嫌いだった。


 二日日の夕方。

 俺は、小川で魚が気持ち良さそうに泳いでいるのを絵日記で観察していたのに急に背中を押してきてズボンまでズボ濡れになって怒ろうと思った。

 だけど、何故か彼女も裸足になって川に飛び込んできて水を掛け合う展開の中で俺達は少しずつだけど仲が深まったんだ。


 なんだ、コイツ。って最初は思ってた。


 でも、だんだんと接しているうちにコイツは……絢香あやかは楽しみたいって心から思っている少女なのだと気づいた。だから、自然に俺と彼女はぶつかりながらも終始笑いは途絶えなくなったんだよな。


 打ち上げ花火も無事に完成した、最後の日。

 夏の夜空に大輪の花を咲かせた。

 最終的には、オレと彼女の案は採用されなかったが、横にいた彼女は嬉しそうにその打ち上がった花火を見つめていた。

 何色にも輝いた花火に、まだ続けと人知れず胸で念じる。

 豪快に咲いた花火は、ぱらぱらと優しく夜空に降り注いだ。


 その後、夜に鳴く鈴虫たちの声を聞きながら蝋燭ろうそくの先端で揺れる火に手持ち花火を近づける。

 その際に見た彼女の瞳は赤く染まりゆらゆらと揺れていた。


 花火にゆっくりと火がつくので、距離を取る。


 そうすると、お互いの花火から青・赤・橙・虹色に輝く光の粒が勢いよく放たれる。

 無邪気に、嬉しそうに、軽く右手を振り回す君と、思い出に残る夏を刻み込んだ。


 帰る間際の鈴虫は泣いているように感じた。

 迎えの車に乗った小夜さよ、俺も頬を濡らした。


 灯りが灯った蝋燭のように蕩けてしまう、甘い夏だった。



『それが忘れられない初恋だったんだよね〜、ひと夏の恋!』


「…久しぶりだな、かなえさん」


「良かった、覚えてくれてて」ホッとして一安心したような表情を浮かべながら俺の右隣の席へと着席し、カバンを取っ手にかける。


 その一瞬の動作でミントの香りじみた匂いが鼻口を擽る。


『初恋は、忘れられないって言うしね?』


「……」クラス中が一気にざわめきを取り戻し、俺と彼女は注目の的になった。

 横には紛れもなく同じ声の神様がいる。


 ここ何日も聞いていた声だから間違える筈がない。だけども、神様がこのように人間と同じ風貌で俺の同級生として登場するのは意味が分からない。


 クラスメイトは若桜先生が点呼を取り始めると前を向く。俺は当然早めに呼ばれるので『はい』っと返事をした。自分でも分かるほどに声が弱々しい。


 神様は俺に顔を向けてボソッと口パクで呟いた。


『その君の記憶は、本物かな?』


 首筋や背筋に気持ち悪い汗が滴り落ちる。


 その瞬間、あの頃の純真な俺の子供像にヒビが入り、突如神様が俺の子供像をクレーン車でスクラップする。

 壊れた破片は鮮やかな色で着色していたが、落下すると共に灰とかしていく。


『これで、仕返しできた。へへぇっへへ』


「まだ像をハンマーでぶち壊したの、悲願でたのかよ…」仕返ししてやる、と呪いをかけるような声で言っていたが、これをし返すつもりだったのか。

 誰にも聞こえないような声で呟くと横にいる神さんはクスッと笑う。


 どうやら、神様は俺の高校へ神様特権を使い侵入し、俺の記憶を改変させてきたようだ。チラッと横にいる神様を見ると先生に名前を呼ばれ、『はいっ』と元気よく手を上げ返事をしていた。

 紛れもなく女子高生になっていて、こちらの生活に順応する気らしい。


『だから、言ってたでしょ? この私の世界を変えるって』

「……」


 世界を変える。


 余りにも壮大に聞こえてしまうフレーズだが、スケールは至って小さい事を俺は知っていた。


 この物語を、ダイスを振る事なく滞留してしまった不完全な物語を、壊す。


 それはさながら十分美しい宝石に無理矢理、さらに光度を求める愚かな行為にも思える。


 宝石は、マグマの灼熱の熱気、高濃度の圧力を受け、冷却し、その彩度を長い年月をかけて生み出すという。であれば、今輝いている彼らにまたしてもあの研磨されるまでの過去を深掘り返さなくても良いのではないかとすら思ってしまう。


 屈折率が異常なほどに透き通った彼らの表面を俺と神様が薄汚い刃で切り込む。


『……破壊の果てに創造ありってね』


 トリックスターに抜擢された俺は、ただただ自分の役割を呪った。


 この物語を作った神様と共に暇潰しに付き合わされるこの運命に。

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