ダイバーダイブ

志央生

ダイバーダイブ

 人生に満足したことなどない。年を重ねるほどに歯軋りをしたくなる後悔が多くなり、あのときに戻りたいと切望せずにはいられないのだ。

「準備万端です。いつでも行けますよ」

 背後に密着した男が確認を取るように私に話しかけてきた。いくつもの形で繋がれた私たちは離れることはできず、男の「いけるか」という声が耳元に聞こえる。

「焦らせるな、スカイダイビングは初めてなんだ。もう少し時間をくれ」

 怒鳴るように声を上げて私は言うと彼は鼻を鳴らすように笑った。時間が惜しいのは何も彼らだけではない。生い先短い私にとっても貴重なものだ。

 ただ、これからそれを取り返しに行くことになる。失ってきた時間、戻りたかった過去に私は今から向かうのだ。


 最初に気づいたのは階段から落ちる体験をしたときだった。たった一段踏み外して宙に舞ったはずの私は落ちる前の階段に戻っているという経験をした。一度目は気のせいだったのかと思った。疲れから落ちたような気になってしまったのだと自分を納得させた。

 それが違ったのだと知ったのは数ヶ月が経った頃になる。木登りをしていて足を滑らせて落ちたのだ。本来はそのまま地面に落ちて大怪我をしていたはずが、私は木に登る前の時間に戻っていた。繰り返される周りの会話も同じであり、そのときにようやく自分がタイムスリップしているのだと気づいたのだ。

 それからは早かった。なぜタイムスリップが起こるのかを解明していき、二つの条件に行き着いた。一つはどこかから落ちることでタイムスリップが起きる。場所に条件はなく、落ちることがトリガーのようだった。もう一つは落ちる高さに比例して戻る時間が決まること。階段よりも木登りの方が戻った時間が長かったように落ちる高さによってタイムスリップする時間が変わったのだ。

 この二つの条件を理解してからは幾度もなく時間を繰り返し、望む人生を掴み取ってきた。そして、出来上がったのは後悔がない人生だった。


 耳にまで聞こえる心臓の音がうるさい。死期が迫った老ぼれだが、この力があれば人生をやり直すことはできる。そのために空高くから飛び降りるのだ。

「いつでもいい。準備はできた」

 このまま停滞していても無意味に時間を消費するだけだ。その分だけ戻れる時間が減ることになる。今から私はもう一度人生をやり直す。次の人生はどう生きるか、楽しいことを想像しながら地上があるほうを見る。

「じゃあ、行くぜ。カウントダウンだ」

 大きな声で秒読みが始まった。心臓が痛い、飛ぶことに対する緊張が息を荒げさせる。呼吸を整えたい、と告げようと思ったとき大合唱の「ゴー」という声が聞こえた。

 落下する体に風が容赦なく当たる。目を開けていられない、息ができない、心臓が苦しい。声を上げられない、意識は遠くなっていく。助けてほしい、消えかける思考の中でそう思った。その瞬間に再び「ゴー」という大合唱が聞こえた。

 ハッとして目を開ける。もう止まらない、背後の男の力強い足が私を落とした。抜けられない地獄へと。

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ダイバーダイブ 志央生 @n-shion

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