第20話 おすそわけの噴水

 あたし達は飛行魚を追いかけた。

 空を突き刺すように上昇し。空気を切り裂くように下降し。水平に飛んでいる時は、風になるなんて生易しいものではない。四肢にぶつかってくる風は、なまくら刃のようにあたしを叩いて傷めつける。加えて強烈な重力に、脳みそが潰れて耳から零れ出てしまいそうだ。


 あたしでさえこんなにも苦しいのだから、全身で風を受けているクローエンはちゃんと呼吸できているのだろうか。心配になったが、確認する余裕が無い。

 白い綿を薄く千切ったようなものが、あたしの横を通り過ぎた。空に雲が出て来たのかと思ったら、違った。風雅の翼が雲を引いていた。


 うそでしょ。どんだけのスピードで飛んでるの。

 宣言通りの遠慮皆無の飛び方に、ぞっとする。


「追いつくぞ、ロゼ!」


 クローエンが叫んだ。

 この高速飛行で声が出せるとは、驚きだ。


 あたしはやっとの思いでクローエンの左肩の上から顔を半分出すと、前を確認する。

 いた。風雅の鼻先から、やや左斜め前に、透き通ったエメラルドグリーンの魚が飛んでいる。


 でもこれを一体、両手が塞がっているあたしにどうしろと!?


 丁度いい道具は無いものかとクローエンやあたしの体、風雅の背中をキョロキョロ探していると、飛行魚が体を逸らして上昇し、背面反転した。


 気がついた時には、頭上をかすめる飛行魚に自ら両手をのばしていた。

 そして、まさに指先が飛行魚の背びれに届こうとしたその時、体が大きく後ろへ傾く。

 信じられない事に、風雅も背面反転したのである。飛行魚を追って。


 多分、風雅は目標を追うのに必死で、あたしがクローエンの腰から手を放しているなんて考えもしなかったのだろう。――いや、考えてはいたのかもしれないが、あたしの身の安全を気遣うような奴ではない。

 ただ一つ、風雅がアホだったのは、その時のあたしとクローエンが、鎖付きのベルトで繋がっているという重要事項を忘れていた事だ。


「あ」

「え」

『げ!』


 あたしが風雅の背中から落下し、引きずられたクローエンが落下し、クローエンが手綱を放さなかったが故に風雅までが風を逃して落下を始める。


『何やっとるんだバカ女ー!』


「あんたもでしょうが家畜竜ー!」


 頭からきりもみ落下しながら、あたしと風雅は罵り合う。クローエンだけが、この死亡必至の危機的状況から脱しようと真剣にもがいていた。


 左腕であたしの腰を抱えたクローエンは脚を振り上げて、見事、右足を風雅の前足にかける事に成功した。右手で掴んでいる手綱とひっかけた右足を頼りに、あたしを片腕で抱えたまま風雅の背中によじ登る。

 あたしはクローエンの前に座らされた。地面が見える。練兵場だった。真下に居る観客達が、右往左往している。


 クローエンは手綱を握り直すと、「飛べ!」と鋭く命じた。

 風雅が、クラゲのように緩んでいた翼を一度折り畳み、再び大きく広げる。大気を抱えた両翼はぴんと張り、風を捕まえた。あわや観客の中に大激突となりかけたあたし達は、観客達の頭上スレスレで急上昇する。

 

 あたし達は地面および観客への衝突を免れた。


 風雅は街で最も高い時計塔のてっぺん辺りまで一気に舞い上がると、そこからゆっくり大きく旋回を始める。


「し、死ぬかと思った……」


 穏やかな風を全身に受けながら、あたしはバクバクしている心臓をおさえる。


「落下訓練は何度もやってる。これくらいでは死なないさ」


 クローエンが落ち着いた声で言う。しかしあたしの背中には、あたしとほぼ同じ速さで脈打っている心拍が伝わってきていた。

 強がっているのは明白だったが、まあそこは、指摘しないのが親切というものだろう。あたしは小さく笑うだけに留めると、あと一歩という所で逃してしまった獲物を探す。


「魚はどこかしら」


 クローエンがあたしの鞄を軽く叩いた。


「君の鞄の中にいるものは?」


 見ると、空っぽなはずの鞄が膨らんでいた。しかも、生き物でも入れてあるかのように、ぐにゃぐにゃと動いている。

 蓋を開けると、飛行魚が入っていた。


「うそ。いつの間に!?」


 クローエン曰く、落下中に飛行魚の方から鞄に入って来たらしい。


「袋に頭から突っ込む猫じゃあるまいし……」

 

 あたしは半ば呆れながら、びちびち暴れる飛行魚を両手で掴んで観察する。

 一見、魚を模したガラス細工のようだが、触り心地はゴムのように弾力がある。


 クローエンが、魚の頭に刺さっている栓を抜くよう言って来た。確かに、頭のてっぺんにコルク栓のようなものがある。


 言われた通り栓を引っこ抜くと、スポンと音がして、中から野鳥の卵くらいの大きさの、色とりどりの丸い物体が噴水の如く吹き出して来た。


「うわ! なにこれ!」


「勝者は『おすそ分け』しながら、都中を飛び回るのが習わしなんです」


 そのまま魚を握っているようあたしに指示したクローエンは、風を楽しむように街に向かって風雅を飛ばす。


 飛行魚の頭からは、色彩豊かな卵がとめどなく吹き出している。街を見下ろすと、人々があたし達に向かって手をのばし、落ちてくる卵をキャッチしていた。上手く掴みとれない子供達は、地面に落ちたものを拾って、ポケットやカバンに詰め込んでいる。

 なんだか、みんな物凄く喜んでいるが、魚の頭から出ているこれは何なのか。


「これ、何ばら蒔いてんの?」


「お菓子ですよ。王家御用達の店の焼き菓子や砂糖菓子」


 それらが卵の中にぎっしり詰まっているのだと、クローエンは説明する。


豪儀ごうぎだこと」


 気前が良いのは結構だが、どうせもらえるなら菓子より小銭の方がいい。

 そう言うと、クローエンは「気は心というやつですよ、ロゼ」と苦笑った。


 クローエンが気を利かせたのか、街の外れにある夜辻堂の上まで来た。

 店主が店の前で手を振っている。好都合な事に、魔ガール二人までが店から出てきた。

 あたしは卵を三つ掴み取ると、まず一つ目を店主めがけて思いきり投げつけた。


「あうちっ!」


 という悲鳴が聞こえ、トカゲ男が後ろへ転倒する。続けて、リエッタとルーラにも。こちらは非力な人間相手である事を考慮して、少しばかり手加減してやった。


「きゃっ!」

「あいた!」


 二人が頭を押さえてうずくまる。

 ケタケタと笑うあたしに、クローエンが笑いを帯びた声で聞いてきた。


「気分は?」

 

「さいっこう!」


 あたしは空に向かって叫んだ。こんな爽やかな気持ちは、初めてだった。

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