第19話 賄賂と脅迫

 瞼を開けると、青空の中にいた。


 クローエンのポニーテールがいつも通り下に垂れていることから、上下を判断する。


 飛び立ってすぐ、ネジを巻くように回転しながら上昇し、そこからは何度も急旋回を繰り返した記憶があるが、実際どうだったか分らない。急発進で持って行かれそうになった脳みそが混乱して、誤認識していただけかもしれない。今も若干くらくらしているからだ。

 今は多分、制止している……はずだが。


「大丈夫か? ロゼ」


 クローエンが振り向いて訊ねて来たので、あたしは「気を失うかと思った」と正直に答える。

 クローエンは声を出して笑った。


「意識を保てただけ大したものです」


 そう言って、信玄を指さす。


 見ると、ムカデの背の上でアダンの相棒が仰向けに倒れていた。ムカデの背は広く、且つ相棒はアダンと鎖で繋がっているので、落ちる心配はなさそうだが、口から吹いている泡が気の毒である。


 ユウリとナイジェルのペアはどうなのだろうと探してみると、あたし達の頭上にいた。白銀はいっぱいに翼を広げて、ぐるぐると大きく旋回している。天馬に座る二つの人影は、しっかりと上半身を起こしていた。新人とはいえ、一応は鍛えられた騎士ということだ。


 アダンはボーイの頬を何度か叩いて目を覚まさせようと試みていたが――諦めたらしい。信玄の手綱を取って、こちらに向かって来た。


「おっと!」


 ムカデが大顎で風雅に噛みつこうとしてきたので、手綱を引いたクローエンが、とんぼ返りのように風雅を回転させて避ける。


「ちょっとなにすんのよ!?」


 あたしがムカデに向かって文句を叫ぶと、


「武器を使わない妨害はセーフだ」


 クローエンが冷静に言った。

 どうやら三隊長は、飛行魚を見失ったらしい。故に今は、目標を探しながら同時に、競争相手を牽制する時間に変わっているのだ。

 なんだか、頭上からもこちらを狙う気配を感じる。

 ならば、こちらも動かねばならない。あたしは鞄の中を探った。よかった、中身は無事である。


 あたしはクローエンに、アダンと話せるくらいの距離に風雅を寄せるよう頼んだ。


 「了解」とクローエンが風雅を信玄の左隣に近づける。

 あたしは「アダン!」と呼んだ。

 

 振り向いたアダンに、鞄から取り出したものを見せる。


「これなーんだ」


 灰色の目が大きく見開かれ、一拍遅れでアダンの口から「ああーっ!」という絶叫のような歓喜の雄叫おたけびが飛び出した。


「そ、それはもしかして、幻の魔界酒、『トロール殺し』! お、お前! なんでそんなもん持ってんだ!?」


 ひっかかったな、この大酒飲みが。

 

 あたしはニヤリとたちの悪い笑みを浮かべる。


「一度飲んだ事があるから、再現してみたの。たった一本でトロール三匹をヘベレケにできるパンチ力と、火を呑み込んだような強烈な喉ごしは、魔界生まれ魔界育ちの魔女の名にかけて保証するわよ!」


「ください!」


 アルコールに強い巨人族を先祖に持つが故に、地上界の上品な酒では満足できていなかったアダンは、肉の塊を目の前に持って来られた犬のような顔で手を出して来た。

 

 あたしはもったいぶって、酒瓶を胸に抱く。


「この勝負から手を引いてくれたら、あげてもいいんだけどなぁ~」


「こんの、悪徳魔女めぇぇぇぇ~っ!」


 アダンが頭を大きく左右に振って悶絶した。

 一見、葛藤しているようだが、しかしその顔は酒の味を想像してデレデレである。

 交渉成立だ。


「よし、とってこーい!」


 あたしは『偽トロール殺し』を振りかぶって、遠くにぶん投げた。

 アダンが悲鳴を上げながら信玄を旋回させて、落ちてゆく酒瓶を追いかける。

 後ろで泡を吹いているボーイが若干落ちそうになっていたけれど、アダンに固定されているから大丈夫だろう。


「一丁上がり~」


 ご機嫌に笑うあたしに、クローエンが咳払いをして注意を引く。


「ロゼ。この国には一応、造酒法というものが――」

「しーらなーい。だってあたし、魔界生まれ魔界育ちだも―ん」


 金一封の為である。聞く耳など、持つ気は無かった。


 さて、お次はユウリである。


 白銀に風雅を寄せろと指示したあたしに、クローエンはため息を吐いた。


「今度はどんな卑怯技ひきょうわざを使う気だか」


 武器を使わない妨害がセーフなら、卑怯も卑劣もセーフに決まっている。

 あたしは楽しんでいた。風雅の『邪悪な女だ』というボヤキが聞こえたが、実にすがすがしかった。


 ★


 あたし達が横に並んだ途端、ユウリはガンをたれてきた。

 勝ちを確信しているからか、オークに匹敵するユウリの凶暴な威嚇顔が、あたしには子犬が唸っているようにしか見えない。

 あたしは世間話をする調子で、「ねえ、ベルってメイド、知ってる?」とユウリに質問した。

 たちまち、ユウリが顔を真っ赤にする。


「今すぐ耳を塞げ!!」


「イエッサー!」


 命じられたナイジェルが考える間もなく、殆ど反射的に両耳を塞ぐ。


「べべべべべべべぇるがどおしたって?」


 ユウリはせすじを伸ばして澄まし顔を作り必死に平静を装った。しかし、真っ赤な顔とエゲツナイくらいのどもりが、錯乱状態にある事を如実に物語っている。

 あたしはわざとらしく髪をかきあげると、物憂げにため息をついてやった。


「『みんなに好かれる人が好き』って彼女が言ったから、頑張ってスイートポイントだかマスコットだかを演じてるんでしょ? ホントは人づきあいが苦手なくせに、大変ねえ」


「おま、おまえ、何でそれを!?」


 憤怒が加わったユウリの顔色が、夕焼けよりも赤くなる。


「あら。二番目の引き出しに隠してある秘密の日記には、ベルに宛てたあつーい詩がビッシリ書かれてあるのも知ってるわよ」


 暴露するやいなや、あたしの前で「プッ」と小さな破裂音がした。


「クローエン! お前、今笑った!? 笑ったよな!?」


 ユウリがクローエンを指さして怒鳴る。


「笑ってない笑ってない」


 クローエンは笑いながら否定した。


「嘘つけ『万年お澄まし野郎』! お前のそういうところホントむかつく!」


 可哀想に、ユウリは涙ぐんでいる。

 他称『平和主義者』のあたしは、さっさとトドメを刺してやることにした。


「実はボッチ好きのポエム野郎だってベルにバラされたくなかったら、勝負から手を引きなさい!」


 手綱を強く握り締めたユウリは、真っ赤な顔であたしを睨みつけていたが、やがて「ちくしょうっ」と小さく吐き捨てると、白銀の手綱を大きく左へ引いて旋回させた。そのまま、下降してゆく。


「この腹黒クソ女~!」


 撤退中の負け犬から遠吠えが聞こえたが、あたしはとも思わない。

『遠見』を使って二人の弱点を探ること丸一日。見事、競争相手を二人とも棄権させる事に成功したあたしは、高らかに笑う。


「道化ってほんっと可哀想~」


「今更だが、君に性悪呼ばわりされた事を心外に思うよ」


 クローエンは呆れていた。


「こういう戦いは、智略をめぐらせた方が勝ちなのよ」


「まだ勝ってませんよ。魚を捕まえない事には」


 クローエンが水を差したその時、あたし達の前を、魚のシルエットをしたものが高速で通り過ぎた。

 飛行魚だ。

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