第13話 エル・アケルティ
「まだ顔が笑ってるわよ」
謁見室からの帰り。赤い絨毯が敷かれた廊下を歩きながら、あたしは隣を歩くクローエンをじろりと見た。
先程謁見室で爆笑した余韻が残っているらしく、クローエンの口元は通常運転時に比べて締まりが無い。
「失礼。まさか君ともあろう人があんな夢みたいな事を考えていたとは思わなくて」
口元を隠したクローエンが、謁見室に爆笑を生んだあたしの発言をむしかえした。
★
視力を伴った眼球を本当に作れるのであれば、あたしのいい値で買ってやろう、と聖王が約束したので、あたしはその場で眼球を作って見せた。
眼球程度であれば、作るのは非常に簡単だ。材料は眼球を必要としている人の髪の毛一本あればいい。
あたしはエイドリアスから金の
生物無生物問わず、何かを生成する時はあたしの気が作用してはじめて、物質に変化をもたらすのだ。
掌の上の髪が、シャボン玉が次々と繋がって生まれるように、細胞の変化と分裂を急速に繰り返す。二つの目玉はものの数秒でできた。
生成過程は若干グロテスクだけれど、完成品には血管もあれば神経もある。正真正銘の眼球だ。
あとは、脈管や神経系を繋ぐよう眼球に『命令』し、それを持ち主の眼窩に入れてやれば、眼球が自動的に持ち主の体から適切な血管や神経を探し出して癒合してくれる。
都合のいい事にエイドリアスの眼窩は空だったから、既存の眼球と入れ替える手間が省けた。
あたしが作った新しい眼球を迎え入れ、脈管や神経系が繋がれている間閉じていた瞼を、エイドリアスが開けた時には、小さな歓声が起こった。
リュークと同じ金色の瞳が滑らかに動いて聖女エラを見つめ、その直後エイドリアスが『よく見える』と呟いた瞬間には、エラの両目から涙がこぼれた。
丁度いい流れだったので、あたしは報酬を要求した。三バカ隊長は『無粋だ』などと呆れていたが、約束は約束だ。貰うものはきっちり貰わねば。
金ではなく、数か月の船旅にも耐えれるくらいの大型船とそれを動かす人員を要求したあたしに、当然ながら聖王は船の使い道を聞いてきた。
だから、あたしは正直に答えたのだ。
楽園と呼ばれている大陸、エル・アケルティに行きたいのだ、と。
数拍の間の後に、大爆笑が起こった。
★
「仕方ないでしょ。エル・アケルティが、遠く離れた異界だなんて知らなかったんだから」
思い出し笑いを始めたクローエンに、あたしは仏頂面で釈明した。
『どんなに立派な船を用意しても、エル・アケルティには辿りつけないんだよ、ロゼ』
いち早く笑いの衝動から立ち直った聖王は、まるで幼子に言い聞かせるように語ってくれた。そこであたしは初めて、移住先にと考えていた場所が、今や地上界・魔界の両界からは辿りつけない、門を閉じられた異界だと知ったのだ。
「確かに、地上界とエル・アケルティの最短距離に存在する門は、南の海上に存在します。だから何千年も前の人々は、あそこを別大陸だと認識していたそうですね。その頃は門も閉鎖されていなかったから、行き来も自由だったらしいですし、無理も無いでしょう」
とはいえ、そんなものはもはや神話レベルの話で、エル・アケルティに船で行くなんて発想は、今や地上界では五歳児すら口にしない。
そう説明したクローエンの声は、既に笑っていた。謁見室で涙を流すほど笑っておきながら、まだ笑い足りないらしい。まあ、クローエンの大笑いの程度は、咳き込むほど笑い転げていたユウリやアダンよりは幾分マシではあったが。
「人の失敗を笑うな、っておかーさんから教わらなかった?」
あたしからの苦言に、クローエンは「失礼」と咳払いで笑いを引っ込める。
「まあ、魔界はずっと閉鎖的でしたし、まして君は外の情報に疎い生活を強いられていたんでしょ? 一部、情報に
フォローにみせかけてサラリと揶揄してくるところが、クローエンらしい。
あたしは内心で舌打ちした。
「これでも結構ショックなのよ。楽園目指して一生懸命お金ためてたのに」
いくら水平線の先を目指した所で、楽園は永遠に現れない。夢破れたこの心の痛みは、『赤碧』様には分らないだろう。
あたしの傷心ぶりが少しは伝わったのか、クローエンの声が幾ばくか優しくなる。
「あそこは楽園じゃありませんよ、ロゼ。エル・アケルティの人々を神族だの魔族だのと名前をつけて崇め恐れる人もいますが、あそこには地上界や魔界の住人よりも力の強い種族が暮らしているというだけで、戦争もあれば死もある。苦しみから解放された天国のように考えるのは、間違いです」
「魔界の力が及ばないなら、あたしにとっては天国よ」
「エル・アケルティの王の許しがなければ、
「私達が入れてもらうには、どうすれば?」
「エル・アトゥラスの住人が王の許しを得るのはまず不可能です。門の鍵を持っているエル・アケルティ人を、地上界もしくは魔界から探し出して、鍵を奪い取るか、一緒に門をくぐるしかありません」
どこに居るんだそんな希少種。
あたしは頬を大きく膨らませると、ふう、と大きく息を吐いた。
「つまり絶望的ってことね」
あたしの不満顔を見たクローエンが、クスリと笑う。どうやらこいつは、謁見室で大笑いしてから、顔面筋が柔らかくなったようだ。結構な事である。
「何故エル・アケルティなんかに行こうと?」
クローエンが訊ねて来た。
「なんで、って……」
姉やあんたから逃げるためよ、とは言えず、あたしは押し黙る。
つい、クローエンの左の腰にある細身の剣をチラ見してしまった。
これがいつか、そう遠くない未来、あたしの心臓を一突きするかもしれないのだ。これまでクローエンがあたしの目の前で葬ってきた、ラグラスの命の欠片を宿した魔物達と同じように。
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