第12話 聖なる二人とロゼの特技

 顔を上げるよう、若い男の柔らかい声が正面からあたしに促した。口調は全く異なるが、声の質はリュークによく似ている。

 

 声を聞いた途端、心臓が苦しいくらいに強く脈打ちはじめた。歓喜ではなく、恐怖による反応だと自覚する。

 当然と言えば当然だ。あたしの目の前にいる男は、自由をくれた恩人であると同時に、あたしの父親を殺した張本人なのだから。

 

 あたしがラグラスの娘だと知ったら、聖王はどうするだろうか。

 いや。あたしの正体を知れば、聖王が動く前に、後ろに控えている三隊長のどれかがあたしの首を速攻でハネに来るはずだ。


 恐れるべきは、聖王よりも聖騎士だろう。


 あたしは後ろに控える三つの気配の動きに注意しつつ、ゆっくりと顔を上げる。

 

 ―― さて。こっちの王様はどんなツラをしているのか。


 聖王という存在は、有史以前から精霊族の長であり、地上界全ての生き物の王でもある。

 二年前、前聖王であるコーネリアスの敵討ち同然に旗を揚げ、聖騎士団とともに魔王の首を取った現聖王エイドリアス。いずれ、地上界と魔界両方を統べるであろうその人は――


 盲目だった。


 ★


「クローエンから聞いてる。『遠見とおみ』の才があると?」


「え、ええ。才能というか、遠見占いは趣味のようなものです」


 あたしは戸惑いながら、聖王エイドリアスからの問いに答えた。


 エイドリアスの姿は、精霊族特有の中性的で繊細な面立ちと、尖った長い耳。身体は枝をのばして真っ直ぐに立つ樹木のように美しい。髪色はリュークと同じ、濁りの無い金である。不老長寿なので、何千年も生きているとは思えないくらい、坐している彼は若々しい。人間であれば二十代半ば、といったところだろう。

 しかし、人の形であっても人ではない彼が纏っている空気は無色透明で、それはまるで憎悪も慈悲も超越した、植物に近いものだった。

 『完全』という言葉がふと浮かぶ。

 ただ、二つの目だけが固く閉じられていて、それが彼の『完全』を妨げていた。


 続いて、聖王に向かって右隣に座っている王妃、聖女エラ。

 エラは深い緑色の髪と瞳の持ち主だった。耳の形は、人間特有の丸いもの。聖女は人間だと巷の噂で聞いていたが、本当だったようだ。

 しかし、十代半ばの息子がいるようにはとても見えないほどに、彼女もまた、若々しい。精霊族の血は若さを保つ妙薬とされているので、彼女の若々しさと美貌は、聖王の血を飲んでいるが故なのだろう、とあたしは推測した。

 面立ちはリュークによく似ていた。人懐こそうなところがそっくりだ。


「遠見が趣味なの?」


 聖女が、小首を傾げて訊き返してきた。


「はい、外の様子が見れるのが好きでした」


 あたしは頷いた。


「子供の頃から、それが唯一の御楽だったもので」


 あたしがそう答えた途端、エラが「まあ」と同情するように美しい眉尻を下げた。

 あたしを見るリュークの視線も、同情とまでもいかないまでも、どことなく感傷的だ。 

 人の良さが伺える反応である。

 

 一方、後ろから漂ってくる空気と聞こえてきた会話は非常に悪質だった。


「つまり覗き魔かよ」


「つまり変態だな」


 アダンに続く、ユウリのひそひそ声。そして、


「甘いな。彼女の欠点はもっと他にある」

 

 というクローエンの許しがたい一言である。


 覚えてろよゲストリオが。


 いつか『遠見』でこいつらの弱点を探って揺すってやろう、という当面の目標ができる。


 不意に、聖王がくすりと笑った。

 精霊族は五感においても他種族より優れているので、三人の会話が聞こえていたのだろう。


「娯楽と言えば、もうすぐ『建国祭』がある。君が体験した苦労を癒せるほどではないかもしれないが、どうか楽しんでほしい。――それから、君の特技は地上界の平和維持に役に立つ。なので君にはここで、我々の専属占い師として働いてもらおうとクローエンと相談して決めた。給与は月給制だが、成果報酬を上乗せするつもりだから、頑張ってくれ」


 つまり、得意の『遠見』を使って、引き続きクローエンを手伝うとともに、聖王を害する不穏分子をいち早く見つけるレーダー役と、スパイ役を担えという事か。


 なんだが厄介事が起きたら真っ先に巻き込まれそうな役職だが……金の為なら仕方ない。

 成果報酬ありというのは、あたしにとって非常に魅力的だった。俄然やる気が出る。勤労意欲が湧いてくる。きっとこれは、クローエンの入れ知恵だろう。そうに違いない。


 さっと後ろを振り向いてクローエンを見ると、目が合った。クローエンは食えない笑顔をあたしに返してくる。

 さあ断れるものなら断ってみろ、という挑戦心すら伺えるその笑顔はあたしにとって不愉快極まりなく、少なからずの反発心が刺激されてしまった。


 しかし冷静に考えて、ラグラスの命の欠片を探す役割を担う事は、あたし自身の生命線の確保にも繋がる。だから、聖王からの打診を断る理由は、ゼロである。 


 城の仕事で金を稼ぎながら、クローエンが最後の一人あたしに到達する前に、逃げる算段をしよう、と心に決める。

 

 あたしは「分りました」と聖王に頷いた。

 ついでに、聖王の顔を見てからずっと疑問に思っていた事を訪ねる。


「あの、不躾ですみませんが、なぜ盲目なんですか?」


 予想通り、後ろから「お前!」と怒鳴ってあたしに近づこうとしたユウリの気配と、それを止めるアダンの「待て」という声が聞こえた。


 聖王は束の間戸惑ったようだったが、困ったような微笑みを浮かべてあたしに説明を始める。


「私は、ラグラスの血を浴びて失明したんだよ。彼の血には、自分を害した相手の光を奪う呪いが込められていてね。義眼も作ってみたけれど、肩がこるので普段はあまり付ける気になれないんだ。聖王が盲目だと知れたら、民が不安がるかもしれない。どうか、他言無用に頼むよ」


「いや、そうじゃなくて――」


 丁寧ではあったが、あたしが欲していた答えはもらえなかったので、あたしは改めて質問をしなおした。


「作れるでしょ。新しい眼球くらい。ずっと盲目でいる理由はなんなんですか?」


 途端、謁見室の空気がざわつく。

 禁句を言った、という風ではなく、未知の発見でもしたかのような雰囲気だ。


「君は、眼球を作れるのか? まがいものではなく?」


 クローエンが警戒するように訊ねて来た。いつもクールでスカしたこいつにしては、珍しい反応である。


「再生じゃないからまがいものには違いないけど。ちゃんと見える目玉くらいなら作れるわ」


「まさか……」


 アダンが茫然と言った。

 アダンだけでなく、そこにいる全員が信じられない、という表情であたしを見ている。


 そんなに驚く事だろうか。魔王ラグラスなんか、目玉どころかモンスター一匹まるごとを、ポンポン作っていたというのに。


 まあ、バカ親父がやっていたバカみたいな生産活動はさて置き。これは実にオイシイ状況だと、あたしは気付いた。

 千載一遇のチャンスではないか、と。


 あたしは聖王と聖女を交互に見ると、にやりと笑った。


「それじゃあ、ある程度の視力を伴った目を作ったら、いくら頂けますか?」


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