第11話 魔王のむすめ
あたしはクローエンとアダンに、浴室らしき場所へと投げ込まれた。
あたしが倒れている隙に扉を閉めようとする二人の間から体を滑り込ませて、アミリアが浴室に入る。
そこからアミリアの動きは、一切の無駄が無かった。
扉が完全に閉じられるまでの僅かの間に、蛇口を捻って浴槽に湯を溜めはじめた彼女は、バタンと扉が閉じた音がすると同時に、
あたしは悲鳴を上げる暇もなく、あっという間に素っ裸にされた。
アミリアはすっぽんぽんになったあたしを、三分の一ほど湯が溜まった浴槽に突き落とすが如く放り込む。
続けて、棚に並んでいるボトルの一つを迷わず手に取った彼女は、中身を浴槽に絞りだし、腕でお湯を高速撹拌して泡風呂を作った。あとは、壁に吊り下げてあったブラシを手に取り、汚れがこびりついた鍋を洗うが如く、あたしの腕や背中をガシガシとこする。
実に鮮やかで、強引な仕事ぶりだ。
「痛い痛い! お願い自分でやらせて!」
あたしは半分溺れているような状態で、悲鳴を上げた。
アミリアはあたしの望みを口頭で却下する代わりに、別のボトルを掴みとると、その中身をあたしの頭頂部に噴射した。
マッサージを通り越した強烈な指使いで、あたしの頭を洗いはじめる。
「任せて下さい! 聖女様つきの侍女の名にかけて、王と王妃の前に出しても恥ずかしくないくらいにしてあげますからね!」
そして、二度目のシャンプー液をあたしの頭に噴射する。
なるほど、アミリアは侍女だったのか。どうりで手慣れていると思った。いやしかし、いくらなんでも荒っぽ過ぎやしないだろうか。このまま頭皮を揉まれ続けたら、
聖女相手でもこんな風に容赦なく世話をするのかと訊ねると、アミリアは「まさか」と否定しつつ、蛇口を締めて給湯を止めた。
「聖女様は毎日入浴されるので、こんなにこする必要ありませんよ。リュークなんかは小さい頃、汚し魔のクセに風呂嫌いだったので、あたしと母でこんな風に洗ってやってましたけど」
母は侍女長で、自分は物心ついた時から母の仕事を真似て城の雑用などをしていたのだと、アミリアは手を休める事無く話した。
「まさか今も王子の風呂の世話してんの?」
からかうつもりで訊ねてみると、アミリアは不満そうな声で「いいえ」と答えた。
「五年くらい前に訓練で汚れた服を脱がそうとしたら、めちゃくちゃ怒られて。それから入浴は手伝ってません」
何を恥ずかしがってんだか、あいつは。とアミリアがため息をはく。
「……リュークは至極まともな反応をしたと思うわよ」
男として相手にされていないのか、アミリアの感覚がずれているのか。
あたしは、リュークが少し気の毒になった。
もう少しお年頃のオトコノコの気持ちというものを考えてやれ、とアドバイスしようと思ったら、頭から湯をぶっかけられた。
石鹸交じりの湯を鼻から吸ってしまい、盛大にむせる。
「さ、どぶの匂いが取れました! すっかりバラのいい香り!」
タライなみに大きな桶を床に置いたアミリアが、額の汗を腕で拭いながら満足げに洗体完了を告げた。
正直、息継ぎに精いっぱいで、匂いなんか分らない。
でもまあ、汗ばむほど頑張ってくれたんだし。
あたしはせき込みながら、辣腕侍女に「あ、あり、がと」と礼を言った。
★
『もう。喪服じゃないんだから』
グリーンとボルドーのドレスを両腕に抱えて、アミリアは顔をしかめていた。あたしはアミリアがオススメにと持ってきてくれた清楚な二着を断って、黒一色のドレスを貸してくれと頼んだのだ。
あたしはそれを纏って、今、玉座の間の中央に立っている。
『魔女には黒がお似合いでしょ』
冗談交じりにそう言って返すと、アミリアは『そんな捻くれなくても』と可愛らしい顔をしょんぼりさせて残念がっていた。
別に、ひねくれているわけじゃない。黒が一番落ち着くのだ。
それは多分、物心ついた頃から黒い服ばかり着せられていたからだろう。
あたしの服は全部、姉たちのお下がりだった。つまり姉たちも、黒ばかり着ていたのだ。おそらく、返り血が目立たない色を選んで着ていたのだろう。姉達は毎日のように、気に入らない手下を手にかけていたから。彼女達のドレスにはいつも、オークやゴブリン、その他の魔物の血がべっとりと付着していた。
殺しても殺しても、父は新しい下僕を作り出して彼女達に与えた。
それがあの女どもの残忍さに拍車をかけたのは言わずもがな。
あたしはよく生き延びられたと思う。地下牢のような部屋に閉じ込められて、他者の命を空気より軽く考えている残忍な姉どもに苛められ続けていたあの地獄のような環境で。
あのクソ親父に関しては、殺されてせいせいした。奴が殺されたお陰であたしは、混乱に乗じて逃げる事が出来たのだから。願ったり叶ったりというやつだ。
まあ、逃げる時に奴が飛散させた命の欠片を受けてしまったのは、痛い誤算だったけれど。
視線は斜め下。正面の玉座は、視界に入れない。
玉座に座っている御方を許しなく真正面から直視するのは不敬にあたると、この部屋に入る前にクローエンが御叮嚀に講釈してくれた。
あたしの正面には、魔気とは異なる二つの大きなエネルギーと、その斜め左側に、二つのエネルギーによく似た、けれど成長途中の若いエネルギーが並んでいる。成長途中のものは、リュークだろう。リュークが夜辻堂に現れた時と同じ気配を感じる。
三つのエネルギーは、とても落ち着いている。
出入り口の扉がある後方の壁際には、『空飛ぶ災厄』の三隊長の気配があった。三つとも、あたしを警戒している。腰にさした剣の柄には、いつでも抜剣できるよう手が添えられているはずだ。
そんなピリつかなくても、何もしやしないわよ。
あたしは後ろの三隊長に対して心の中で呟いた。そして、父である魔王ラグラスを葬り、あたしの自由獲得に一役買ってくれた男とその妻の前で跪いて、頭を垂れる。
姉たちや魔王軍の連中は、これを寝返りと判断するだろう。
けれどあたしはそもそも、魔王軍に
魔界で『裏切り者』と命を狙われようが、地上界で『化け物』と虐げられようが、あたしは、あたしがより生きやすい場所で生きるために全力を尽くすだけ。
その為に必要とあらば、魔物にとっては敵方であった存在にひれ伏す事だって厭わない。
そんな私が今頭を下げるべき相手は、この二人。
二つの玉座に鎮座する、聖王エイドリアスと、聖女エラだ。
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