ある巫女の、ある贖罪。

廻廻

黎明の出来事

『黎明の巫女ねえ、それ本当にいるの?こう都市伝説的な?昏戸ちゃんがビビリなだけでしょ』

『殺すぞ』

『怖いよ。で、情報0からやれと?こんなん無理ゲーだよ。無理ゲー』

『黎明世々、十七歳。身長百五十六、白髪の虹彩。随分と目立つ容姿だから、相模なら三秒で見つけられる』


「ストーカー並の情報、さんきゅー」

 ぷつり、音を立てて電話を切った。


_____処刑対象、黎明世々。執行人役、相模周。

 懸賞金、三億円。



「夏祭りだってー!行こうよ、世々」

「君、その日夏期講習で」

 公園のベンチにて、世々とその親友こと桜は呑気に話していた。「暑すぎる......溶ける、」湿気が多く、萎えるこの季節は、髪も汗でべったりと張り付いて気分がどんどん低下する。怠いが、一時的なものなので割り切るしかない。まるで興味無さそうに世々は、ソーダ味のアイスを口に加え、もごもご咀嚼していると「......なあにが?」

「そんなもの初めて聞いたよ!でさあ、着るでしょ、浴衣!夏の定番、男子にモテそうな奴〜」

「思春期の男子はね、ぴっちぴちのスタイル抜群お姉さんに惹かれるもんなんだよ」

 世々はそう言った。そしてすぐさま、桜の身体を下の末端から頭の先まで見て、「......諦めな」と言った。

「マウント取りやがって......君の水着姿晒すぞ!?」

「それを、自爆っていうんだよ」

「......世々の馬鹿ぁ。だから、テスト0点赤点祭の零明世々って呼ばれるんだよ、世々がそんな訳無いのに」

 彼女は一息吐いた。こちらも一息吐いた。「盛ったね」流石に私だってそこまででは無い。零点が無いという訳ではない。あれはテストを作った人が悪いんだ。私が馬鹿なんじゃない。テストの問題が悪い。

「......まあ。あながち、間違ってないかなあ」

「え!いや、冗談だよ!?零点取った事あるの!?」

 口から漏れた台詞によって、桜にがくがくと何度も揺さぶられる事になった。言わなきゃ良かった、これが自爆の典型テンプレートである。

(夏祭りか。悪くないな)

 世々が乗り気だろうが、違かろうが、どちらにしろ、夏祭りには行かされるだろう。強制的に。

『たーげっと発見しましたが、如何します?うわあ切らないで?何?辛辣だね』

『殺せ?本気で言ってるの?、上役ねえ。さっさと昏戸ちゃんが婚約しないからじゃ......まあ、いいや』

『今回は、昏戸ちゃんに乗ってあげる___貸し一だからね、昏戸』

 公衆トイレの裏側で、電話をしているらしき男性がいた。遠目に眺める程度で分かる程の美貌だった。芸能人など、比じゃない。ただ話している内容は物騒で、未だに厨二を拗らせているのか、と思った。

 興味津々の桜を横目に、「関わるなよ」と一つ釘を刺す。えー、と不服そうな桜だが、ほっとけば自然に興味を失うだろう、そう思って世々は何も言わなかった。とは言いつつ、世々もじっくり見る。

『合コン?えー、怠。て事で僕は、パス。ヘマすんな?......当たり前。誰に言ってるか、昏戸ちゃん、ちゃんと分かってる?』

___抹消は任せろって。



「殴らせろや、黎明さん?何で、巫女服何だよ?」

 「もう殴っているじゃないか」そんな突っ込みは彼女には届かなかった。腹パンを見事にお見舞いされたからだ。女子高生らしかぬ、重い拳にぐらつく。それは、友人にするものでは無いと思う。

 東京都23区内の神社・寺の中ではそれなりに広く、立派な神殿の黎明神社。入口の目立つ大きさの鳥居と、平安の世から此処に在る御神木は黎明神社の名物の一つである。

 そして毎年八月の第二日曜日に行われるのが、この夏祭りである。まあその通り、黎明の巫女こと、黎明世々はこの神社の後継者であり、一人娘。イベントと言っちゃ悪いが、此等は世々主催で行う為、一応巫女の立場で出なければいけない。そんなんこんなで着て来た巫女服は、昨夜に気付いた物。すっかりと記憶から抜け落ちていた。

「こっちも色々とあるんだよ......後、黎明、神社、で行われるの、忘れてた」

「因みに、良く似合ってるよ。......焼きそば奢るで許してやろう」

 むすっと可愛く頬を膨らませ、じと目で睨まれる。珍しい口調に冗談と、ふざけた様に聞こえるが、世々の親友はそうもいかない。焼きそばを奢らないと、当分は口を聞いてくれないだろう。其れは、世々に取っても困る。「ふえーい」

 だから、世々の財布は緩みっぱなしの駄々漏れとなる。「よかろうー」

 それでも膨らんでいる頬を、世々が興味本位で突くとはたき落とされた。

(辛辣、)

「あった!彼方だよ、焼きそばの屋台!」

 腕を握られ、楽しそうな笑みと共に引っ張られる。その背後には、ニタニタ笑う黒い影がちらりちらりと姿を現すが、桜はそれを視界に入れていない。

 まるで〈怪異それ〉が見えていないかの様に。『解』

 巫女らしく、手印を結んだ。

「世々?」

 桜が世々に問い掛けた。

 黎明神社が、ここまで立派になったのは、神格化されたのは、怪異のお陰であり、所為でもある。

 怪異、平安時代に生まれた一種のウイルスの様な物。意識の無い生き物に取り憑き、人を喰らう。そんな化物だった。

 貴族の原因不明の異常死が続いて、陰陽師に依頼が入り、その存在に気付いたらしい。その時の優秀な陰陽師こそが、安倍晴明。安倍晴明が怪異の元を祓おうとしたが、強力過ぎたが為に、三つに分けて北海道・東京都・京都府に封印という形になった。

 そう、東京都の黎明神社こそ、その一つ。怪異が封印された偉大なる神社。そして私がその〈末裔〉に当たる。多分、私は凄い。

 飽きて来たのか、じりじり、と詰め寄って来た桜に「いやあ」と言う。

「桜が可愛くて?変な虫が寄ってきたんだよ」

 桜が「きゃあ〜♡」と歓喜の声を上げたが、目は笑っていない。世々はひくひく、と唇を引き攣らせた。

「お世辞は良いから、さっさ買って来てね。世々ちゃん?」

(食い意地......)

 冷や汗を流しながら、世々は財布を握り締めた。



 〈射的したい〉〈金魚すくいしたい〉〈綿飴食べたい〉アクティブというか、活発的な彼女について行けないインドア代表の世々は、「後に合流しよう」と言って、ベンチで休んでいた。そして此処がこれまた中々良い場所なのだ。まず直射日光の当たらない、木陰である。次にどこも人で埋まっているベンチの中で、余り知られていない為、ほぼ確実に空いている。そして極め付けは、桜御希望の花火が良く見える。最早、神に神を掛け合わせて奇跡的に生まれたベンチなのである。「......世々ー」

 背後から、声が聞こえる。紛う事無き、桜の声だ。口角をゆっくり上げながら振り向いた「桜?なに※※※※※※※※※※※※※※※※

※※※※※※※※※※※※※※!!!!!」

 「っ」力無く、倒れ込んできた桜を慌てて受け止める。何となく、頭の何処かで察した。

 誰しもが、分かるだろう。

 だって目は半開きで、口も中途半端にこれまた開き、血が垂れていた。死因となったであろう腹部には穴が空いており、空洞になっていた。そこから流れ出る血液によって、地面に水溜りが出来る程の出血量。

 簡潔に言って___桜は死んでいた。

 あくまで確定では無いが、腹が貫通していて生きていられる人なんて聞いた事も無い。何だったら臓器だって顔を出している。___助かる訳が無い。世々は立ちすくみ、救急車を呼ぶ気にもなれなかった。殺人事件として、警察を呼ぶ気にもなれなかった。

 何で、が起きる事を、想像出来なかったのだろう。少しは対策出来た筈。処刑対象なんかと一緒に居たせいか、単に不運な事に任務の殺害対象になってしまったか。

 世々の足元に溜まった血が冷やかしにきている様で、余計に苛ついた。

 

 私は誰に怒れば良いのだろうか。この行き場の無い怒りを、一体誰にぶつければ良いのだろうか。全て、全部、私の所為じゃないか。

 世々は「ごめん」そう謝罪を呟いた。




 母の期待に応えたかった、それ一心だった。例え、傷付けられようとも、其れが愛情だと思えば耐えられた。切り傷、打撲、骨折、靭帯損傷、あらゆる痛みに耐えて、何時か、理想になれたなら。

「お母様、これなあに?かいいってなあに?」

 世々が五歳の時、畳が敷き詰められた稽古場で、世々は見慣れないものを見つけた。

 つん、と小さな世々が突いた手のひらサイズの箱。箱の表面が見えない程、沢山の呪符で覆われていた。触れてみると電流の様なぴり、とした刺激が奔った。興味本位につんつん、もう二突きした。

 更に一突き。

 もう更に一突き。

 母が徐に「世々!」と叫んだ。その声に、世々は小さな体躯を震わせて、箱から手を離す。世々は、母の声に怯えると同時に強く驚いていた。良家の箱入り娘の様に、蝶よ花よと育てられた母は声を荒げる事は無く、何時だって品があった。その母が怒声を響かせたのだ、余程の事だろうと思い、「お母様?」そう母に尋ねた。

「何て事......当主様に早く報告を!世々、その箱には触れちゃ駄目だわ。怪我するかもしれないでしょう?」

「なんで、世々、これきになる」

 この年の子は興味の塊である。正に世々も其れだった。駄目、と言われたらやりたくなるそんな年頃の女の子だった。

 だから、最後と思って箱に触れた。

 パキ、音が鳴った。

 パキ、とまるで卵が孵る様な、殻にひびが入った音がした。正確には箱にひびが入った。「え」

 もふもふの毛を纏った白い猫の様な、狐が出てきた。光沢のある毛は手触りも良さそうで、思わず手が出そうになった。慌てて手を押さえる。

 母は世々を叱る訳でも無く、ただ酷く驚いていた。その中にはきっと恐怖もあったのだろう、だけど世々___娘の前だから顔に出さなかった。其れに気付けなかった私は愚かだ。

『んー、君が黎明の次期当主?うっわあ、雑魚そう。張り合いが無いなあ』

 狐が喋った。

「君......だあれ?世々はじめましてだとおもう」

「そー、はじめまして世々ちゃん。俺は白蘭。付き合いになると思うから、よろしく頼むよ。ところでさ」

 白いふわふわの毛並み整った狐の姿から、変わって人間の少年姿になった。そしてその五本の指で母を指す。使ったのはたったの一本の人差し指。ニタニタ、と不気味な笑みを浮かべて母を指した。

「これ、要らなくない?」

 母を指すその手に、何それ、そう思った。だからそのまま言った。「.......なにそれ」

「どういうこと?世々わかんない」

 〈純粋は時には毒となる〉母が何時か、世々に言ったその言葉の真意を、世々は理解していなかった。

「へえ!分かんないの?じゃあ俺が教えてあげる」

「うん」

 世々の隣に立ち、庇う様に腕を広げている側近、常磐。その顔は彼に怯えているが、年を感じさせない凛々しさは、今も健在だ、現に少年を容赦しない睨みを利かせている。「こういうことだよ、世々ちゃん」

 彼が一つ空を切る様に指を動かした。

 常磐が倒れた。どん、大きな音が畳に響いた。良くある漫画の一シーンみたいに血が飛び散るという訳でも無く、外側から見える致命傷は無かった。

「常磐ちゃん.......?どしたの、ねえ」

 一瞬気絶しただけだ、とそう思った。

 世々は突然倒れた常磐を強く揺さぶった。それでも指の一本でさえ、動かない。

 「ねえ!」世々は叫んだ。

 幽霊が通った様な沈黙が流れた。

 なんとなく悟った。これが〈死〉という事なのか、と。

「世々、触らないで。常磐は少し眠っているだけだわ。ね、」

 母は震える唇で笑みを浮かべた。愛想笑いだった、世々を気遣っているのだろう。

 だが、〈常磐は死んだ〉それは覆す事の出来ない事実だ。何故、隠すのか。頭には、数え切れない疑問が浮かんだ。

「なんで、世々に、かくすの。これ、ってことなんでしょ?なんでうそつくの?失敗作だから?いたいのいやがるから?なんで世々にだけかくすのっ!」

「世々、」

 真実を隠蔽しようとする母を責めた。自分に事実を告げない彼女に当たった。なんで私だけ、と思ったから。

 「ほら」にたぁ、と彼は、その神の奇跡の様な綺麗な顔で、歪に笑った。まるで常磐が死んだのは思い通り、計画通りという様に。

「ねえ、要らなくない?此奴が居なくなれば、世々ちゃんが、たぁくさん、痛い思いをしなくて済むんだよぉ」

 彼の言葉でフラッシュバックした。

 世々が此処に居たのも、〈稽古〉を受けていたからだ。

 何時も、痛い思いをさせるのは、母だ。直接にでは無いが、世々を傷付けるのは母だ。護身術だって、自身を守る為だって、自分自身を正当化する為の綺麗事にも思える。

 「世々」母の声は今の世々には届かない。

(いつも、いたいの)

 それは、どうしようも無く、堪えられない程に辛い。世々の為だって言われても、辞められるのなら辞めたい、辛いの、痛いの、苦しいの、嫌。

「世々、」

 母が居なければこんな思いしなくて済む。

 貴方一人、居なければ。

 痛いのも、辛いのも無くなる。

 うん、その一言は随分と、ハードルが高かっ

た、だから、世々は一つ頷いた。「ぇ」

 ならば、少年は再び口角を上げた。

 世々のハードルが高い、言えないと言うのは、其れが善行では無いと、分かっていた故の行動なのだろう。

「おやすみなさい、当主夫人サマ?」

「良い夢を」

 「ぁ」風が吹いたら消えてしまいそうな声が、世々の口から漏れた。これで正解なのか、その問いの向こう側は、誰も知らない。

 でも、隅で思ったらしい。その時の世々は、当分は、地獄の様な稽古のから、逃れると。

(そんな筈無いのにね)



 忘れてはいけない。世々にとっての救世主が、怪異の基礎もとである事、多くの人を葬り去った者である事を。

 忘れていい訳が無かった。

 三月後、人を殺した。白蘭が沢山、両手じゃあケタが違くて、数え切れない程。

 平安振りに怪異の一つ___白蘭が公に出た瞬間だった。




 黎明神社此処は、怪異が封印されている神社なんかでは無い。封印神社だ。北海道・京都府の封印は百年以上前に解かれていて、唯一此処は、現代まで封印され続け、後継者がその封印を解いた場所となっている。そしてそれが、五歳の世々である。

 黎明世々は人殺しに過ぎない。

 私は自分の意思で母親を殺した。これは覆す事の出来ない事実だ。

 桜なんて、善人の隣にには立てない。立ってはいけない筈だった。

 現に、こうだ。

 背後から気配を感じた。世々は桜を抱きかかえなから、振り向いた。「出てこいよ」

「桜殺しといて生半可にする選択肢とか、私には無いから」

 世々は、振り向いても、姿も見えない相手に問い掛け続ける。その姿が滑稽なのか、笑い声だけが聞こえた。

「ねえ君、桜巻き込む必要あった?私だけさっさと殺しなよ。なんで桜を巻き込んだの。私だけ、私だけを、やれば良かったのに。他人様に迷惑かけて楽しいか?」

 ___なんで私だけにしてくれなかったの。

 その問いにも、返答は無し。流石に世々でも嫌気が差す。軽く舌打ちをかますと、相手の居場所の予測している辺りの雑草を、手当たり次第蹴り飛ばした。土埃が舞って咽せる。

 かさ、音がした。正しく、これは人の為す音だ。音のする方へ、足払いを掛けると鋭い痛みが走った。「あ"」

 慌てて、後ろに受け身を取って距離を取った。見たくも無いが、箇所を確認すると左脚に縦線の様な切り込みが入っていた。まるで調理されて捌かれる食物かと思った。ただし、桜の血を私の血で覆い隠す程の出血量だった。

 てくてく、と世々に傷を付け、桜を殺した人物は呑気に歩いて来た。「あ、ごめん」そう、言った。

「ねえ君がこれやったの」

 「うん」間髪入れずに返答が来る。反射的に拳に力が入る。爪が立って無性に痛かった。

 許さない。

 桜を、良くも殺しやがって、絶対に許さない。世々のたかが数億で、に手を出すなんて、許さない。

 世々の目の色が変わる。憎悪八割、悲嘆一割、後悔一割といったところか。そんな世々を他所に、彼はにっこりと気分良さそうに、喉から鈴の音を鳴らした。

「やーっと見つけた。三億の賞金首」

「三億?そんな端金で、桜を殺す理由になるとでも言うの?イかれてんね」

「いやそっちの子は別の依頼だよ。優先順位はそんなに高く無かったけどね、値が安かったし。君のついでだね」

 〈別の依頼〉〈君のついで〉私が居なかったら、桜は。目に涙が浮かぶ。その顔で容赦せず睨むと、如何にも女慣れしてそうな顔でへにゃあ、と崩した笑みを向けられた。

「人殺し。ついでなんかで桜を殺すなんて有り得ない。頭ぶっ飛んでんのか」

「まあまあ。そうじゃなくて、少し言いたい事があってさあ」

 骨ばった大人の男性らしい手で、優しく自分の左手を握られた。段々と力が籠り、爪を立てられる。痛い、そう思っても、血が滲んでいるというのに止まる様子も無く、更に力を込められた。

 そして氷点下の目で言った。「じゃあ」

「お前はこの手で何人を殺したんだよ」

 予想外の言葉を吐かれて、身体が硬直した。何て返せばいいのか分からなくて、視線を右往左往させると、更に力を込められた小指の第二関節が有らぬ方向に折られた。強い痛みを感じた。慌てて箇所を押さえようとするが、その手は解放されない。そして痛みは増す一方だ。

「君のせいでさ、僕の弟が死んでるの。白蘭に殺されてるの。黎明ちゃんの所為だったよね。たかが一人殺されたくらいで何言ってるの?」

 思い出す。十二年前の出来事を。親戚のおじさんから聞いた事に過ぎないが、まだ断片的な記憶が世々の身体を渦巻く。ぞわぞわして鳥肌が立って、吐き気から来る嗚咽が漏れた。でも、たった一人、そのたった一人が私の全てだったんだよ、世々の悲痛な思いは誰にも届かなかった。「、知らないよ」世々は言った。

「そんなん聞いてんじゃないって、分かってるよね」

 世々の肩が怯えて、震えた。

「君こそ、依頼で殺したのは記憶の一割にも満たない癖に」

 ぱっと今思いついた事を、当てつけの様に彼に吐いた。当然、彼の纏う空気が闇深くなる。

「......へえ、そういうの言っちゃうの?」

「まあいいや、僕超優しいから。ぎりのぎりぎりくらいで許す。別に過去の事引っ張り出して、喚き回したい訳じゃないしね」

 及第点というとこか、肩の力が抜ける。それと同時に「優しい人は人の骨折らねえだろ」心の中で毒吐いた。

 一度は切り抜けたが、次はそうもいかないだろう。頭では泣いているのに、面には出さず、気を強く張った。「あ、そうそう。言い忘れてた」

「死にたい?」

 竹下通りの簡単なアンケートの様に、生死を伴う質問を軽く吐いた。逆に問い返す事になるが、〈死にたい〉なんて自殺願望者ぐらいしか言わないだろう。それに世々は前者では無い。そしてそれが狂う事はきっと無い、例え桜が居ないとしても。私には生きる事が当たり前だったから。「いや」

「なら。ねえ、他者の為に命を賭けられる?」

 この他者は、誰を指すのだろう。率直にそう思った。

 ただ世々は、桜以外と深く関わろうとしなかった。周りには事情も知らない癖に避けられたから。そして信頼できると思った事が無い、たった一人の親友を除いて。こんな自分を不審に思わず、本音で接し、不気味だと避ける事も無かった、そんな彼女だけが、信頼に値する。だから世々は「それが、桜ならば」そう言った。

「それが、彼女ならば。死ねる」

 彼がふ、と笑った。

 桜への感情は綺麗なものじゃない。世々が桜に向けている気持ちは濁った硝子の様なものだ。決して恋愛感情は抱いていないが、普通の友達だなんてとは思っていない。もっとずっと、重たいもの。「じゃあ。......あ、これが最後ね」

「『貴方は、死んで償うべき罪を、生きて贖う事を、選択できますか』」

「拒否しても良いよ___そしたら殺すだけだ」

 何処かのテンプレートの様だと思ったと同時に、世々は口を閉ざした。そして勘繰った。

 何が正解の返答なのか。彼は私を生かそうとしている?何の為に。単なる善意なのか、いや違う。なら、桜は殺されていない。所詮、人は私利私欲の為だけに動くのが大半だ。確かに善人気取りの野郎は一定数いる、そして彼もその中の一人に過ぎない。

「変に勘繰っても、何も答えは出ないよ?」彼はそう言った。

「それに僕にだって、利点はある。あ、違う。君を殺したって手に入るのは、腐る程ある金と、少し量増しされた罪だけ。なら、生かした方が得じゃないかなーって思ったの」

「......」

 其方側について、人を救けろ、と。

「長くてごめんね?纏めるとこう。利用価値がある君を殺すのは勿体無いなーみたいな?って言うのは建前で。どうしても、君はまだ子供で、僕の弟と重ねちゃうんだよね。まだね、君は死ぬべきじゃない」

「わお、私情が。まあ使える手札だからね」

 駄々漏れだった私情は考え込んだ世々には聞こえていなかった。使える手札、彼はそう言った。

 相槌は打たなかった。変に納得していまいそうだ、とも思ったからだ。

 私を、世の中は死刑囚と呼ぶ。そして、一番重い刑を此処、日本では死刑と定められている。ただ一部の他国では、死刑では無く、終身刑と呼ばれる、一生刑務所に縛られている生きる刑が最も重い罰とされている。

 私は死にたくないんじゃない。

 死ぬのは一瞬だ。生きるのは少なくとも五十年はある。

 私が死ぬのは甘えだ。たった一瞬の痛みで、私が楽になるのは許されない。

 だって桜を、苦しませた。だから自分はもっともっともっと苦しまなきゃ、「、私は」

「生きて、償わないと。そうじゃなきゃ、桜が報われない」

 それが出来ない限りは、桜の死が無駄になってしまう。

 自分は、彼女に一生を賭けるって決めたんだ。間接的に何万人を殺した罪も、自分で親を殺した罪も、其の挙句、親友も殺した罪。その罪、全て贖わないと。

 彼は笑った。「ようこそ」

「怪異を祓う者の世界、陰陽の世界へ」

 世々に向けて、手が差し出される。世々は少し考えて、受け取る様に見せてぱん、と振り払った。彼は目を見開いて、酷く驚いていた。

「今更よろしくなんて随分と馴れ馴れしいね」

「ふーん。目上の人に対する態度、直した方が良いと思うけどな」

「敬うだなんて、そんな言葉。母体のどっかにはあるんじゃないかな。今の私には一欠片も無いね、残念ながら」

 「調子いいよね、黎明ちゃん」彼は苦笑して言った。そして指を人差し指から順に数字を数える様に立てる。そして右手、左手。全部の指が立った。「ざっと一万人。君がその人数を救ったら解放してあげるよ」

 解放、それが出来た暁には、死にたい。死んだら地獄を歩いて。何百年何千年何万年経って、罪を償ったら。

 ___桜に会いたい。

「で、君名前は?」

 痛めた手を押さえて、彼と視線を合わせた。今まで気付かなかったが、透き通る様な綺麗な紫眼だった。そして、確実な顔面国宝。黒髪にチャラそうなピアスが幾つも空いている。

 彼はぱちり、と瞬きして言った「あ、僕?」

「そう僕ねえ___陰陽儀式官、紫に当たります、相模周と申します。以後、お見知り置きを」




「ねえ、桜。花火綺麗だよ、」

「きれい、だよ」

 冷たい頬をするり、と撫でた。血色の悪い友だった遺体を、優しく抱き締める。ぎゅ、とありったけの力を込めて、抱き締める。もう二度と、同じ過ちを繰り返さない様に、私の贖罪を抱えて、抱き締めた。当たり前だが、生き物の体温は感じられず、ただただ冷たかった。

 世々はベンチの背に体を委ねて、そのまま後ろに寄っかかる。「ねえ、」

 視界が歪む。失態を晒さない様に、血が滲むくらいに唇を噛み締めた。じわり、じわりと鉄の味が薄ら、広がる。ぼろぼろ、抑えられなかった思いが溢れて、頬をつたう。

「ねえってばっ!!!!」

 世々は、袴を握り締めて、心赴くままに叫んだ。栓を抜いた瓶の様に涙がどんどん落ちていく。

 いつの間にか、袴から手を離した世々は、髪を千切れるくらいに強く掴み、顔を覆い隠した。手に暖かな水滴が落ちる。

 真夏の筈なのに、何処か肌寒かった。「時間だよ」周の呼ぶ声が聞こえた。世々はびく、と肩を弾ませた。

 身体を固めて、耐えていると、予想していた感覚は無い。周は力づくで、例え引きずったとしても、連れていくのかと思ったが、どうやらそうでも無いらしい。これは想定外だ。

 桜が座る筈だった隣には、冷めてしまった焼きそばがあった。青海苔が振り掛けられていた。紅生姜もあった。そういえば何時だったか、前に桜が言っていた、『こういうのがあるから、食べずにはいられないんだよー』輪ゴムで固定されていたので、パチンと外して、割り箸を折った。歪な形だった。相変わらず割り箸を割るのは得意じゃない。『下手だねえ』これも前に言われた気がする。震える手で焼きそばを取った。震えて具材がぼろぼろとプラスチックパックに落ちてゆく。嗚咽が漏れそうなのは堪えて、一口取り、口に入れた。前に食べた時と、変わらない味。

 ___懐かしい。

 思い出した。去年だ、去年。同じ祭り、同じ場所、同じ人と来て、食べた焼きそば。変わらない濃いめのソースと、乾いた唇に貼りついてくる青海苔の味。隠し味に入れられていた鰹節の出汁の香り。喉が震えて、戻してしまいそうになって、力を入れ、ぐっと飲み込む。パックをぐちゃと変形するぐらい押して、さっき止まった筈の涙が溢れてくる。それでも焼きそばをかき集めて、口に詰め込む。

『此処の焼きそばってさ、安定の美味しさなんだよね......変わんない味。だからさ!また、来年も。___一緒に行こうね。世々』

 そして私は焼きそばを食べる!元気よくにぱっと桜らしく笑った顔が、脳裏に鮮明に浮かぶ。

 ___ごめん、ごめん、ごめん。巻き込んでごめん。約束守れなくてごめん。

 いつの間にか、最後の一口となっていた焼きそばをゆっくりとした動作で、口に含んだ。

「やっぱり、変わんない味だ」

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ある巫女の、ある贖罪。 廻廻 @amane1016

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