第22話 未来に向けて






「お、終わった……か?」


 ユアンが不安そうにクレールの太刀鋏フォーフェクスを構えたまま様子を探る。

 そこにある無色界ペルシドゥラスから再びナユタが「ばぁっ!」と笑顔で出て来ても、ユアンは何も不思議には思わないだろう。


 それぐらい今晩はいろいろなことが起こりすぎて、何もかもに現実味がない。


「エルケとトマスは……気を失ってるだけか。っと、ニワタリ様!?」


 慌ててユアンが周囲を見回せば、楽団員が残していった楽器の影から「コケッ」と小さな声を上げてニワタリ様が飛び出してきて、ユアンは胸をなで下ろす。


「しかし、どーすんだこれ……大停界針マグナ・アクスが打ち込まれたってことは、今ここにできてる無色界ペルシドゥラスを塞げないってことだよな」


 大停界針マグナ・アクスは世界を留める道具だ。無色界ペルシドゥラスも広がらないが、有色界ピナコセラを広げることもできない。

 ついでに抜き差しは【大織界機マグナ・テラリウム】の所有者に結構な負担がかかるらしく、安易にホイホイ動かせるものでもないと聞く。


「ああ。だが大停界針マグナ・アクスを使ったぐらいだ、【森林王】も【紅葉姫】も承知の上だろう。じきに織界士団テキスタスノクタリア本部から誰かが来るだろうから、あとはそれに任せればいいさ」

「……だな。下手の考え休むに似たりだ」


 ユアンは考えるのを止めた。

 だが全く考えないでいられないこともあって、だからユアンは胸のホルダーからアクスを一本引き抜くと、それを巨大化させないまま、まだクレールの腕に抱かれているノワの手を取った。

 徐ろに針をノワの指へとぶっつり突き立てる。


「っつ、な、何するのよ!」

「確認。ん、ちゃんと血が出るな」


 アクスを刺されたノワの指から血が出るのを確認して、今度こそユアンは本当に考えるのを止めた。


「確認って、何が」


 考えるのを止めたユアンに代わって、クレールが説明を引き継いだ。


「血が出るってことはノワはあのナユタとは違うってこと、その証だよ。当然私もね」

「あ……」


 ノワをそっと抱きしめているクレールもまた、創界曲ジェネロ メロディアを受けて全身血だらけである。

 要するにノワもクレールもナユタとは違う人間だ、とそうユアンは念押しをしたのだ。


「ユアンは、それで、いいの?」

「俺に聞くな。分かるわけがない」


 ユアンの返事はいっそ清々しくもあるが、嘘偽りない本音でもある。


「必要なら口裏合わせぐらいはしてやるさ。【氷結帝】だの左奏者セコンドだの【大響界器マグナ・オルガノン】だの、わけ分からないもんについては考えても仕方がない。どうせ考えても分からないんだし」

「いいか悪いかはノワ自身が決めることだ、我思う故に我有りだよ。レッテルなんて他人はいくらでも張ってきて、それを鵜呑みにするのは自己の否定だ。自分が誰なのかを真に決められるのは自分しかいないのだから」


 自分が誰なのか、ノワにはまずそれが分からない。

 何故自分はナユタの名前を識っていたのか。なぜ【大響界器マグナ・オルガノン】なんてものを呼び出せたのか。

 そんなことを識っているなんて、できるなんて、今日ここに来るまでは全く知らなかったというのに――当たり前のようについさっき自分の中から、それが出てきた。


 自分というものが、本当にノワ自身には分からない。

 だが、だからユアンの言う通りなのだ。『わけ分からないもんについては考えても仕方がない』。だから分かる範囲で考えるしかない。


「私は――織界士団テキスタス紡彩士ピクター、ノワだ」

「ん。じゃ、所属は?」


 そうユアンに問われて、アルセリア支部に決まってるとそう答えそうになって、そして気が付いた。

 ここが、分水嶺なのだと。


「……今でも、クレールは私を専属に欲しいって、そう、思ってる?」


 そうおずおずと尋ねると、いっそ晴れやかなほどにクレールが微笑んでみせる。


「ああ。というかノワが自分じゃ決められないと聞いたときから、これはもう攫っていくしかないと思ってたし」

「ちょ、勝手に誘拐していく気だったの?」

「だめなのか? ノワが決められないなら俺が決めてもいいってことだと思ったんだけど」


 ノワは頭を抱えた。あの時の会話でクレールは諦めて現状維持を選んでくれたと思ってたら――実際は真逆だったとか。


「他人に色無しペルーセオ扱いされる悔しさは、悪いけどノワより俺の方が知っているからね。だから改めて言うよ」


 そっと抱えていたノワの抱擁を解いて、その前にクレールは膝を折る。


「俺の全てを投じて、君を守ると誓う。君は君が幸せだと思える世界を織ってくれればそれでいい。だからノワ、俺の専属になってはくれないだろうか」


 これは、負けたなとノワは理解した。【大響界器マグナ・オルガノン】を前にしてなお、クレールは己の言葉を曲げなかった。

 あの一撃を【大響界器マグナ・オルガノン】に振り抜いていれば、間違いなく死んでいたと理解していてなお、ノワが消さないでと言った林を守るためにクレールは動いたのだ。


「……はい。私をクレールの専属にして下さい」


 不安はある。無いはずがない。

 だけどクレールはノワへ語った言葉を裏切らないために、その命まで投げだそうとした。

 そんな覚悟にも応えられないとあらば女が廃る。男に命を懸けさせてそれを当然と思うような女には――ノワは絶対になりたくない。それだけは間違いないと、ノワ自身の意思で決められる。


「ナユタの言う通り、このままじゃ私たちは負けるんだから――貴方の願いを叶えるよ、クレール。先ずはフィーノス王国の【大織界機マグナ・テラリウム】を取り戻そう」

「ああ。宜しく頼む、ノワ」

「こちらこそ」


 今と過去のノワがどうあれ、未来のノワがどうであるかはこれで定まった。

 クレールと共に、フィーノス王国の【大織界機マグナ・テラリウム】を奪還する。その為の精鋭部隊入りを目指す。


 全ては、そこからだ。










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