第20話 【大響界器】






 最初にそれに気が付いたのは、やはりというかクレールだった。

 的確に、最高効率で色無しペルーセオに色を塗ってくれていたノワの支援がいきなり止んだ。


 それだけをやってきたと言うだけあって、ノワの【塗呪リニオー】は常に的確だ。

 ノワが色を付けてくれた相手を追うだけで、クレールもまた最高効率で色無しペルーセオを糸に還すことができる。


 それが突如として停止して、だから殲滅型ベヘモスを目前にしてなおクレールは背後に一瞬だけ視線を向けて――そして固まりそうになってしまった。


――あれは、なんだ。


 ノワの居た場所に、闇夜より黒い漆黒の球体がある。

 どんどんと膨れあがっていくそれの大きさは既に5メトルを超え、しかしその闇の濃さは大きさを増すごとに益々深まっていく。


 まずい、と直感でクレールは理解した。あんな色は、自然界にはあり得ない。

 自然にはあり得ない色を絞り出しているのは、だからこれはノワの仕業だ。


「ノワ! 止めるんだ! それ以上色を乗せたら有色界ピナコセラが耐えられない!」


 あり得ない配色はただ有色界ピナコセラを崩すだけだというのに、その闇はもう実感すら湧かないほどに真っ黒くその濃さを増していて、


「止めなさいノワ! 貴方自分の手で有色界ピナコセラを壊して無色界ペルシドゥラスを広げるつもりなの!?」


 エルケの叫びすらその黒は呑み込んでしまうかのように深くて、奈落の底を体現しているかのようで。

 だから、当然のように――


 バキン、と世界がひび割れる音が一同の耳朶を打つ。

 有色界ピナコセラが壊れた音。無色界ペルシドゥラスに呑み込まれた音。


「ああ、ああ! 待ってたぜノワ! この時が来るのをずっと待っていたんだ!」


 だが、その黒い闇の球体は依然としてそこにあり、そして――




 それを突き破るようにして、闇の内側からノワと共に、巨大な機工が顕現する。


「な、なんだ……アレは……」


 トマスも、ユアンもエルケも、そしてクレールも動きを止めてしまう中で、しかし色無しペルーセオすらも動かない――否、動けない。

 ノワと共に現れた機工に、圧倒されている。


「あれは……まさか、【大織界機マグナ・テラリウム】なのか……?」


 あれと同様の巨大機工をクレールは目にしたことがある。

 【大織界機マグナ・テラリウム】。当代最高の紡彩士ピクター縫織士テクスターが協力して世界を編纂するために女神ラクテウスが与えたもうた、世界再編の礎。

 だが、あれと今目の前にあるこれは似ているようで全く形状が異なっている。


 足踏みのペダルはある、だがシャフトもシャトルもリードもなく、無数の鍵盤とレバーとパイプを備えたそれは、【大織界機マグナ・テラリウム】とはどう見ても異なる機工だ。


「いいや違うぜ【氷結帝】の兄貴。こいつは【大響界器マグナ・オルガノン】だ」

「【大響界器マグナ・オルガノン】?」

「そうとも。世界再演の礎、俺たちの至宝だ。せっかくだから傍で見てなって。思い出すかもしれないからさ」


 にぃっと人懐っこく笑うナユタとは対照的に、


「全て壊してやる。お前たちなんか、全部、全部消えてしまえばいい」


 ノワの一言と共に鍵盤が叩かれる。

 紡がれるは糸ではなく音。叩かれる鍵盤に応じてトラッカーが弁を開き、パイプに送られた空気が複雑な音色を奏で始める。

 それと、同時に。


――ルゥオォオオオオオオオーン!!


「おぉっと危ねぇ。巻き込まれるところだったぜ」


 ノワの眼前、飛び退いたナユタの周囲にいた色無しペルーセオが瞬時にして分解、糸に解けて消滅した。


「な……!?」


 クレールが、トマスが、エルケが、ユアンが見守る中、次々と色無しペルーセオが何らの抵抗もできずに崩れて、解れていく。

 その理由が、誰にも理解できない。


 あのナユタは、あれを【大響界器マグナ・オルガノン】だと言った。世界再演の礎だと。俺たちの至宝だ、と。

 であれば、あれは無色界ペルシドゥラスにおける【大織界機マグナ・テラリウム】と対になる存在であるはずだ。


「それがどうして、色無しペルーセオを倒しているんだ……」

「そう驚くことじゃないだろ? そっちだっておかしな色を乗せられると世界が崩れちまうんじゃなかったっけ?」


 ニマニマと笑うナユタにからかうように告げられて、クレールたちは理解した。

 有色界ピナコセラはその形状に合った適切な色を乗せないと定着せず崩れてしまうのと同様、色無しペルーセオとて異なる破界声ラケロ ヴォクスを浴びせられれば自壊するのだろう。


 ノワがやっているのはそういうことだ。より大出力の破界声ラケロ ヴォクスで、色無しペルーセオに異常をきたして崩壊させる。

 だが、それを、


「なんで、なんでノワにそんなことができるのよ!?」

「頭悪ぃな姉ちゃん、俺がさっき言ったろ? ノワが俺の左奏者セコンドだからってさ」


 ヒョイヒョイと、恐らくはノワが放つ【大響界器マグナ・オルガノン】からの破界声ラケロ ヴォクスを躱しているのだろう。

 演奏が途切れ鍵盤の左右に並んだレバーにノワが手を伸ばした、その一瞬の隙を突いてナユタがノワの横に立つ。


「な!?」

「ああノワ、お前のソロは最高だった! だからもう俺も我慢できねぇ、ここからは連弾セッションといこうじゃないか!」


 ナユタが鍵盤に指を奔らせ始めると、一転して空間が凄まじい振動を始めた。

 色無しペルーセオだけを狙っていたノワのそれとは違う。これは――周囲一帯を完全に破砕する超極大の破界声ラケロ ヴォクスだ。


「ああ、久しぶりのノワとのセッションだ! テンション爆上げでいこうぜぇ!!」

「皆、逃げて!」


 ノワの叫びに応じて、クレールは走った。

 後ろにではなく前へ。【大響界器マグナ・オルガノン】の近くに転がっていたノワの紡錘フューサスを拾い上げて、


「編め紡錘フューサス、【黒薄幕アーテル・ヴェールム】!」


 編み出した漆黒の天幕が、かろうじてクレールと、その背後にいたトマスらを救った。


「ちょっと待って! クレールは縫織士テクスターでしょ? なんで紡錘フューサスを使えるのよ!?」

「そっか、そうだよな。兄貴も俺やノワと同じでどっちでもねぇもん・・・・・・・・・な。そりゃあ紡錘フューサスも使えるだろうが」


 演奏を続けながら、ナユタが愉快そうに笑う。

 ノワとの連弾を続けながら笑う。一回は生き延びられても、次はどうかと。どこまで耐えるつもりだ? と。


「なんだ、これ! なんで止まらないの!? 指が、腕が勝手に動く! どうして! だって、これは私の――」

「ノワのでもあり、同時に俺のでもある。言ったろ? 俺が右奏者プリモでノワが左奏者セコンドだって」


 その言葉の意味を、ようやくノワもクレールも理解した。

 【大織界機マグナ・テラリウム】を動かすのに紡彩士ピクター縫織士テクスターが一人ずつ必要なのと、要は同じなのだ。

 この【大響界器マグナ・オルガノン】はノワとナユタ、二人の奏者が連携して初めて本来の性能を発揮するのだ、と。


「ずっと待ってたんだ、ノワがこっちにこれを呼んでくれるのをさ! 今日ようやくそれが叶った、記念のコンサートを聞かせてやるよ!」


 その一言に、ノワの顔は青ざめる。

 ナユタが何かをずっと待っていることは気が付いていた。何かに備えていることは理解していた。

 だから切札を出される前に押し切ってしまうつもりだった――いや、違う。



――なぁノワ、お前いつまでそんなふうに這い回っているつもりなんだ?



 まんまと、ノワはナユタに嵌められたのだ。最初からナユタはノワを追い詰めて、たがを外して、ノワがこの【大響界器マグナ・オルガノン】を引きずり出すのをずっと待っていたのだ。

 最初からずっと、ナユタの手の平の上で踊っていただけだ。自身の怒りすら、ナユタに仕込まれたものでしかなかったのだ。






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