第18話 【白熱帝】






 空輸型キコーニアから飛び降りてノワたちの前に現れたのは、一見すればただの人だ。

 服装は何の変哲もないスラックスとベスト。年頃はノワと同じ十五、六歳程か。短い白髪は収まりが悪いのか四方八方に跳ねていて、赤いまなこは僅かに濁った血のように赤く、暗い。

 だがその瞳には興味と期待と、何より親しみがたっぷり籠もってキラキラと輝いていて――そんな態度は、瓦礫に潰された人たちを前にしてあまりに人でなしだ。


 そんな少年がキョロキョロと視線を彷徨わせて、そして目を付けたのはノワたち織界士団テキスタスではなく、


「お? よく見れば楽団いんじゃん楽団。お前ら黙ってねぇで演奏しろよ演奏! 一曲弾き終わるまでは大人しくしててやるからさ! 長めの曲を選べよぉ?」


 そうして逃げ遅れた楽団員と指揮者は少年を見、トマスを見、そして控えている色無しペルーセオどもを見て――ああ、彼らもまさしく勇者だろう。

 指揮棒を振りかざし、生き残った貴族たちがこの場を離れる時間を稼ぐべく、演奏を開始した。


 あまりにも場違いなれど美しく、全身全霊で、この一曲に全てを込めて。

 天井は崩落し埃舞い血の池広がる地獄にあってなお、アルセリア交響楽団の演奏は美しく、音符が夜空を跳ねるように流れていく。


 その音響に耳を傾けた少年はホゥ、とその腕前に満足したかのように腕を組む。


「ああ、いいな。無音界クイエタスの音楽にはソルがないから意味はないけど――音楽なみってのは意味がなくても美しい。そう思うだろノワ」


 どうやら本当に約束を守る気らしい少年が手頃な瓦礫の上にドッカと腰を下ろして、膝に頬杖をついてノワを見やる。


「あ……あんた、誰よ。どうして私の名前を――」


 だが、幾ら親しげに話しかけられてもノワには誰だか分からない。こんな奴とは初対面の筈だ、と記憶を探ろうとして――


「――ッ!!」


 ズキン、と頭に吐き気を催すほどの痛みが走って、そして脳裏に知るはずもない単語が浮かび上がってくる。


「俺の名前、思い出したよな? ノワ」


 その言葉の意味を、何故かノワは識っている。何故知っているのか分からないのにそうだという確信がある。





「……【白熱帝】、ナユタ」





 そう呼びかけると、少年があまりに場違いなほどにご名答、なんてニッコリと笑う。


「そうだ、お前の右奏者プリモのナユタだよノワ! ただ記憶を取り戻そうと焦っちゃ駄目だぜ。あまり派手に揺らす・・・とこっちの物質は吹っ飛んじまうんだろ?」


 パァン! なんて握った手の平を開いて見せながら、少年がうんうんと頷いてみせる。


音響界レゾナンティアの記憶は少しずつ引きだしていけばいい――お前は大事な俺の左奏者セコンドなんだから」


 状況に混乱しつつも戻ってきたユアンから太刀鋏フォーフェクスアクスを受け取った縫織士テクスターたちが装備を終えたころに、演奏が止まる。

 パチパチパチ、と乾いた拍手。満足したように少年――ナユタがその赤い瞳で楽団員を賞賛する。


音無しサイレオーにしちゃいい技倆ウデだった。ああ、うん。だからお前たちは生き延びていいよ、行け」


 そうやって楽団員たちが蜘蛛の子を散らすように舞踏会場から去ったところで、


「でもあいつらはいらねぇよな、やれ」



――ゴガァアアアアァァアアアアアッ!!



 止める間もなく焼却型ドラコーたちが一斉に破界声ラケロ ヴォクスを撃ち放った。

 狙うのはノワたちでもなく、当然まだ伯爵家内から外に出られてもいない楽団員でもなく――


「あんた! 非戦闘員を!」


 そうして破界声ラケロ ヴォクスが奔り、細り、消えたあとに残るのは伯爵家入口から一直線に伸びる無色界ペルシドゥラスだ。

 先を争うように離脱していた馬車は、その大部分が分解されて消えただろう。

 阻止するために、誰も動けなかった。少年を前にクレールですら、ここで動くのは拙いという重圧に気圧されている。


「そんな怒るなってノワ。為政者を纏めてぶっ殺すのは戦争の基本だろ? ってか一曲終わるまではちゃんと待ったじゃん俺。別に嘘も騙し討ちもしてねぇよ」


 あまりにもフランクなその物言いは、人を殺しておきながらなんとも思っちゃいないのが手に取るように分かる。

 だからこそ言い切れる。こいつは人ではないと。人の形をした――色無しかいぶつだ。


「んじゃ、始めると……っておいおい! ノワだけじゃなくて【氷結帝】の兄貴までいるのか!」

「【氷結帝】?」


 ノワが嫌な悪寒を感じてクレールを見やる。ノワは知らないが識っている。目の前にいる少年の名がナユタであり、その二つ名が【白熱帝】であると、何故か識っている。

 なら、そのナユタがクレールを見て【氷結帝】と呼ぶのは何故だ?


「どういうこったこれはどういう月の巡り合わせだよ!? けどまぁ久しぶりだなぁ兄貴! 元気してたかい?」


 そう親しげに話かけられたクレールが、無言で太刀鋏フォーフェクスを抜きはなった。


「……他人のそら似、だとしても聞き捨てならんな」


 傍目にもクレールが怒っているのは、ああその理由はノワにもよく分かる。

 【硝子とうめい】の二つ名を付けられたクレールが、色無しペルーセオに仲間のように話しかけられて平静でいられるはずがない。


「何よりノワが狙いとあらば逃しも許しもしない。ここで切り捨てる」

「あれ? ノワと違って【氷結帝】の兄貴は俺のなみ聞いても記憶戻んねぇの?」


 そう刃を向けられて、少年は焦りこそしないものの小首を傾げてしまっている。


「っちゃー、そりゃ拙いよ兄貴。兄貴にはちゃんと自分の左奏者セコンドがいるだろ。ノワは俺んだよ、兄貴のじゃない」


 話の噛み合わない両者はお互いを睨み付けて、そして、


「戯れ言に耳を貸すつもりはない。ノワは俺の専属紡彩士ピクターだ。それを横取りするというならば――」

「そうかよ。兄貴が相手でもこれだけは譲れねぇな。ノワは俺の左奏者セコンドだって、それが分からねぇなら――」


 少年がサッと腕を上げると、その背後に控えていた色無しペルーセオが一斉に牙を剥く。


「「消えて貰う!」」


 そうして、伯爵家のダンスホールを舞台に色無しペルーセオ音無しサイレオーが激突する。






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