第17話 Danse macabre






 アルセリア伯ジャン=クロード、正式名称ジャン=クロード・ラサーニュ・アルセリアによる平和を言祝ぐ前口上が終わった後、


「では我がアルセリア伯領が誇る勇者たちを諸君に紹介しよう」


 使用人の合図を受けて、壇上で語る伯爵の前にトマスを先頭にして五人と一柱が、伯爵の方を向いて立ち並ぶ。

 御年三十二歳だという伯爵は恰幅のよい腹をベルトでやや苦しそうに纏めたスーツ姿で、にこやかにトマスたちに笑顔を向けている。


「支部長トマスを初めとして彼ら彼女らは幾度となく色無しペルーセオを撃退するのみならず、今は伯領をじわじわと本来の領境近くまで押し返すに至っている。トマス支部長、領民を代表して礼を述べよう。よくやってくれた」

「ありがとうございます。伯爵閣下の御高庇あればこそにございますれば」

「謙遜は不要だ。勇者たちよ、来賓にその精悍な顔立ちを見せてやってくれ」


 伯爵に促されて一同が来賓のほうへと向き直ると、五人に来賓が拍手を向けてくる。

 その表情は――なるほど確かにクレールが言うように千差万別だ。

 伯爵を羨ましそうに見ている者、興味のなさそうな者、茶番だと呆れている者、まだ若いのにと憐憫を向けてくる者。そして平民如きが、という雰囲気をあからさまに纏っている者。


「領兵のみならず彼らがこの館を守護してくれているため護りは盤石、今日は最後までこの夜を楽しんで言ってくれたまえ」


 その伯爵の言葉に続いて、楽団の前に立つ指揮者が指揮棒を振り上げると、紳士淑女令嬢令息らが向かい合って互いの手を取り、また腰に手を当てる。

 ミュージックスタート。僅かな前奏の後に踊り出せばもう、彼らの視線はノワたちになど一切向けられない。


 使用人の誘導に従ってトマスを筆頭に一同は壁際へと案内されて――どうやら舞踏会が終わるまで退場は許されないようだ。

 ちょっとばかり堅苦しいが、ウェイターがさっと料理を持った皿をトマスたちに手渡してくれて、だからまぁ損はしてないだろう。


「思ったより信頼されてるのかな、私たち」


 ノワが小声で横のクレールに囁く。純凶器として使える太刀鋏フォーフェクスアクスを会場に持ち込めないのは当然として、打撃武器にもなる絵筆ペンテルス紡錘フューサスも携行が禁止されるはずだ。

 だがノワもエルケも自分の絵筆ペンテルス紡錘フューサスを使用人に預けるように要求されなかった。


「だね、振りポーズだとしても伯爵閣下は度量のある御方だよ」


 これは庶民にはあり得ないほどの優遇だ。それだけ伯爵が信頼している、という目に見えた証なのだから。


「言い方を変えれば、それだけ信頼しているんだから今後も死ぬ気で働けよ、と発破をかけられているとも言えるけど」

「躍進はクレールがいなくなったら終わりなんだけどなぁ」


 ユアンがやや不安げに皿の上の料理を搔き込んだ。あまり過剰に信頼されてもそれはそれで困るというものだ。


「あーあ、私も踊りたかったなぁ」


 エルケが悔しそうに踊る面々を眺めやる。自分たちが泥だらけになりながら戦ってるのはこの光景を護る為だ、と思うとやはり虚しさを抱いてしまう。

 それでも織界士団テキスタスの役目は人界を守護し、無色界ペルシドゥラスの脅威から有色界ピナコセラを護ることだ。


 命令なく護る民を選り好みすることは織界士団テキスタスには許されない。分かってはいるつもりだが、それでも憂鬱になってしまう。


「……すまない、ノワ」


 唐突に、そうクレールがノワだけに聞こえる声でそう呟いた。


「何が?」

「君は貴族の令嬢か、もしくは優れた紡彩士ピクターとなるべく貴族家に召し上げられた存在なのだろう? 控え室で嫌な話をした。思い返せばデリカシーがなかった、と今頃気付いた」


 どきり、と心臓が跳ねたことを悟られないように、ノワは若干の自制が必要だった。

 何故気付いたのか? などと馬鹿なことをノワは問う気はない。クレールは優秀な紡彩士ピクターを育成、排出するのが貴族のステータスになると知っていて、そしてノワは年上のエルケより紡彩士ピクターとして完成されている。


「君の【塗呪リニオー】には努力の跡がある。死に物狂いで磨いた技量が。俺も同じだったからそこは分かるし、同じ者同士理解できるかと思っていたんだけど――人を傷つけない言動、というのは難しいな」


 だからクレールはもう理解している。これまでにノワが語った事実から、ノワは自分を育てた貴族家から見放されていることをもう理解している。

 見放されているから、ノワはこんな戦略的にはどうでもよい土地に送られているのだと、もうクレールは気が付いている。


「俺の全てを投じて君を守るなんて言っておきながら、俺はどうすれば君を守れるのかを全く分かっていない。トマスと同じ、まだまだ子供だ」

「――ん? なんか言ったか?」


 カクテルパーティー効果という奴だろう。耳聡くトマスが声をかけてきて、何でもないとクレールは首を振った。

 視線を逸らして、優雅な舞を見せる貴族たちの方へ向き直る。別に誰とも話してません、とばかりに。


「別に」

「うん?」

「クレールを嫌いなわけじゃないんだ。ただ信じ切ることができないだけで」


 軽やかなステップを曲の終わりに合わせてピタリと留めて、令息令嬢紳士淑女のペアが別れる。

 別れて、また別の相手とペアを組む。これまでと、同じ笑顔で。


「私は弱いから、信じた相手に裏切られると勝手に傷つくんだ。二回までは耐えたけど、三回目は多分もう耐えきれない。だから信じない方がまだマシなんだ」


 だから、ノワはクレールの誘いに首を縦に振れない。

 一度信じて、そして裏切られるのは何も信じないより遙かにノワの脆くて柔い心を抉るから。


 ノワには目指す場所がある。そこに辿り着きたいと今でも必死に手を伸ばしている。

 だがいざそこに辿り着いて、あの人たち・・・・・の前で再び専属を解消されたら、きっともう二度と立ち上がれなくなるだろうという確信がノワにはある。


 心が、弱いのだ。自分が嫌いになりそうなほどに。


「どうしたら、君に信じて貰える?」

「それが、私にも分からない。ハイともイイエとも言えないのが私なんだよ、クレール」


 本当にどうしようもないほどに、ノワはどん詰まっている。やるべきことが分かっているのに、勇気がないからそれを選べない。

 それを選ばなきゃ燻っている今の状態から抜け出せないと分かっていて、しかしそれでも前に進めない。


「ウジウジしてるよね。だからクレールが私のことを嫌いになってくれれば、話が早かったんだけど」


 自分から断れないから、相手に取り下げてもらおうだなんて。ここまで来るとその卑屈さに嫌気が差すほどだ。

 だがそれがノワなのだ。アルセリア支部でもそうやって生きてきた。【黒泥】と忌み嫌われることは、ノワの心を守ってくれるから。


「最初から好かれなければ、嫌われも見限られもしないですむし。そのぬるま湯から、私は抜け出せないでいる」

「……なるほど、了解した。とすれば俺のアルセリア生活ももう終わりだな」


 納得したようにクレールが頷いてくれて、ノワはホッと内心で胸をなで下ろした。




 その、瞬間に――




「クケェーーー! クケェエエーーーーー!! クァー!! ククク!! ココッ、クケェーーーーーッ!!」




 凄まじい声が、アルセリア交響楽団の演奏をも切り裂いて舞踏会場に響き渡る。

 大半の貴族がノワたちの方に鋭い視線を向けてくる。たかが庶民の分際で、自分たちのダンスを邪魔するなどとはどういう了見だ、と。


 だが、


「アルセリア支部長トマスより全員に通達、色無しペルーセオが来るぞ、今すぐここから――上!? ニワタリ様上ってなんだよ!?」


 普段なら色無しペルーセオが来る方角を嘴で指し示すニワタリ様が、何故か上を向いて大声を発しているのは――一体どういうことだ。


「迷うなトマス! 精霊プネウマがそう示すならそれが事実だ! 全員この伯爵家から今すぐ逃げろ! 方向はどっちでもいい! 急げ!」


 トマスと、そしてクレールが声を張り上げても、大半の貴族は蔑むように二人とニワタリ様を見るだけで、何らの行動を起こそうともしない。


「伯爵閣下! 何をなさっておいでです! 色無しペルーセオが来るんですよ! 客を逃がして下さい! 貴方の役目でしょう!! 使用人、扉を開けて入口に馬車を回せ! どこの誰の馬車でもいい! 詰められるだけ詰めて走らせろ!」


 越権行為は承知の上でトマスが伯爵家の使用人を一括すると、やるべきことが定まった使用人らが一斉に動き出す。

 それを確認したノワとエルケは即座に絵筆ペンテルスを構え、ユアンが真っ先に開きかけた扉から外に出て三人の太刀鋏フォーフェクスアクスを取りに控え室へと走る。


 そこでようやく、アルセリア伯ジャン=クロードもまたニワタリ様が精霊プネウマであるという、知識として識っていることを頭でも理解できたようだ。


「だ、だがここは無色界ペルシドゥラスと隣接していない有色界ピナコセラの真っ只中だぞ? 前線は君たちが遠ざけてくれたのではなかったのか? もしや虚偽の報告をしていたのではあるまいな!?」


 そう伯爵が問答を始めるのがトマスには苛立たしく、しかしトマスにも何故ここでいきなりニワタリ様が上を――


「……やられた、トマス」


 ノワが、そこでようやく気が付いた。


月亡色エクリプシスだよ。ずっと昔から私たちは上を取られてたんだ」


 確かに地上の前線はノワたちが少しずつ外へ外へと押し返している。

 だが、そもそも歴史を紐解けば無色界ペルシドゥラスの侵略というのはどこから始まったのだ?


月亡色エクリプシス……そうか、俺たちが生まれるよりずっと前からそうだった! 空は今でも無色界ペルシドゥラスの最前線だ!!」


 そうトマスが叫ぶのと同時。


 舞踏会場の天井が負荷に耐えられずあっさりと崩落してきた。



 響き渡るは楽曲の音色ではなく、ズズン、という大質量が着地をする音。そして絨毯の上に広がる幾つもの赤い染み。

 だから逃げろと言ったんだ、なんて毒づけたらどれほどよかっただろう。生き残った貴族が喉も割れよと悲鳴を上げながら、廊下を目指して走り出す。


 走りにくいドレスを着ている令嬢が転んで、しかし人の雪崩は止まらず転んだ令嬢は後に続く全ての者たちに足蹴にされ、踏みつけられ、そしてあっけなく事切れる。

 人が人扱いされない地獄がそこにあって、それでもこの場に残るよりはまだマシだ。




焼却型ドラコー殲滅型ベヘモス……空輸型キコーニアに運ばせて空から……」





「そうだ、会いたかったぜノワ」





 ノワの呟きに応じたのは――当然トマスでもクレールでもない。

 その声もまた、空から振ってきた。




 だからノワが、エルケが、トマスが、クレールが。




 最早覆う物もなくなった漆黒の空を見上げれば、そこには翼を広げる巨鳥のような形状の空輸型キコーニアと――




「よっ、と」




 その空輸型キコーニアの背中から飛び降りて皆の前に立つ、一人の少年は、では、これは――いったい、何者だ。







「久しぶりぃノワ! 無音界クイエタスも十分に堪能したろ? そろそろ俺たちのお役目に戻ろうぜ、な?」






 そうノワに親しげに語りかけてくる白髪の少年は、一体何者だというのか。






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