第16話 伯爵からの招待
「予備の器具は届いた、増員は前向きに検討する、
アルセリア支部の裏庭にて、壁に描かれた四重の円の中心を
まあ、予想されていた回答だ。いつも通りと言えなくもないが。
今のノワは平常訓練も兼ねて、返答と共に送られてきた予備パーツで修理を終えた
人生をこれに費やしてきた、というだけあってノワの【
「まあ、支部のある土地には普通は設置してくれないしね」
隣のエルケが円の中に【
はぁ、と溜息を零したノワが遙か遠方の空を見やる。空の向こうに、微かに屹立している姿が見えるそれが、二人が話題にしている
一台の【
これを大地に打ち込んでおけば、
「今は貴方とクレールが順調に林を広げてるし、
だがこれを打ち込んでしまうと
一つの国にたった三十六本。これを全数打ち込んでも、守れるのは全国境の三割以下だ。だから
実際、今のノワとクレールは夜ごとヴェルセリアの林を再編して回っていて、一見するとアルセリア支部は躍進を続けているのだ。
「でも、それはクレールが留まっている間だけだよ」
今のクレールはノワを専属に勧誘するために、招集期限ギリギリまでアルセリアの街に留まるつもりなだけだ。
ノワが同意しても否定しても、最終的にクレールは招集に従いノクタリア王国首都を目指さねばならない。この先も続く躍進では決してないのだ。
だが、現時点では実際にアルセリア支部はよくやっているもので、
「おーい、二人とも朗報だ。領主様から舞踏会へのお誘いが来たぞ!」
「何ですって!?」
駆け寄ってきたユアンが手にしていた招待状を軽く流し読みしてノワに渡したエルケは、もう心が伯爵家の舞踏会場に飛び込んでしまったかのようだ。
「伯爵家の舞踏会! どうしましょう、着ていくドレスを調達しないと! それでそれでぇ、伯爵令息や招待客から声をかけられちゃったりして『そこの素敵なお嬢さん、私と一曲踊ってくれますか』なんてなんてぇ!」
「やめろエルケ! 俺の背中をトマスのほっぺた代わりにすんじゃねぇ!」
笑顔でユアンの背中をバンバン叩いているエルケに、招待状を一読したノワは心底可哀相な小動物でも見るかのような目を向けた。
「ないから、そういうの」
「ハン! 乙女心の足りない奴はそうやって最初から諦めてるのよね。見てなさい私ぐらいになれば――」
「だから、無理なの。ちゃんと読みなよ、私たちは舞踏会の前に伯爵からお褒めのお言葉を預かるだけ。つまり私たちが舞踏会に客として参加できるわけじゃないんだよ」
「…………え?」
エルケの顔がピキッと石像のように――いや全身が固まってしまう。
ノワにできることはそんなエルケを優しく丁寧に粉々に砕いてやることだけである。
「お褒めの言葉を賜った後は普通は退場、運がよければ壁の飾りとして突っ立ってることを許されて、ビュッフェの少しでも摘まめたら万々歳。当然、服装は
そんなぁ、と崩れ落ちて頬をしとどに濡らしているエルケに、ユアンもノワも何と声をかけてやればいいか分からないが――まあ、常識的に考えて庶民が貴族と一緒に踊れるはずがないのだ。
招待状の文章をよく読まずに早とちりと妄想に明け暮れたエルケが悪いのである。
§ § §
アルセリア伯爵家の館はアルセリアの街を城下町として、やや小高い丘の上に立っている。
周囲を外壁に覆われた中には湧水がコンコンと地下から湧き出していて、その堅牢な作りも相まって要塞の様相を呈しているし、有事にはそう使われるのだろう。
「伯爵家、入るのは初めてだわ」
エルケがケープマントをちょいちょい整えながら、水堀の上に架けられた跳ね橋をおっかなびっくりと渡る。
「外壁の修理は頼まれてやったことあったもんな」
「私やホークたちが来る前?」
「ああ、【
伯爵家を訪れたのは支部長トマスを筆頭にユアン、エルケ、ノワ、クレール。そしてトマスと契約している
ニワタリ様はアルセリアの守り神であるので、当然のように貴賓としてハレの場に現れることができる。実際、存在価値としては伯爵などより遙かに高いのだから当然だ。
ハリーがこの場に来ていないのは、堅苦しい空気が苦手だというのと、あと年上組が誰も支部に残らないのは拙いとの判断である。
館の三階にある控え室に通されると、窓の下には次々と着飾った令嬢令息が馬車から降りてくるのが窺えた。
「あいつらから見て、世界ってどんな色に見えてるんだろうな」
窓の外を見下ろしていたユアンが、ポツリとそんなことを呟く。
「どういう意味? ユアン」
「大陸国家の6割が消滅しても、お貴族様は着飾って贅沢してるだろ? 頭ン中マジでバラ色なのか、それともやっぱり俺たちみたいに不安に駆られてるのかなって」
「人による、というのが回答になるだろうね」
ユアンの問いに、腕を組んで壁により掛かっていたクレールがやや複雑な顔で応えた。
フリュギア首長国の首都にいたクレールはその分だけ多種多様な貴族を目にしている。
「
いや、
「逆に
それがクレールが感じた貴族の印象だ。要するに、人によるわけである。土地による、という言い換えもできるだろうが。
「貴族も大変なようだよ。最近は優秀な
「俺は戦災孤児だからよくそいつらには下に見られたね」とクレールは笑うが、クレールが笑えるのは戦災孤児であるクレールが彼らより強かったからだ。
そんな話に、ノワは笑えない。膝の上のニワタリ様を撫でる手につい力がこもり、ニワタリ様に嘴で手の甲を突かれてしまう。
「
ここの領主は領民を守るトマスたちにきちんと敬意を払っているようで、部屋へ案内した使用人も、今トマスらを呼びに来たこの男も、きっちりと庶民であるトマスたちに礼節を尽くしている。
であれば、斜に構えた態度は引っ込めるべきだろう。
「安全のために、求められない限りはトマス以外は口を開かない方がいいと思うよ。もし個別に何を言われても恐縮ですと答えておけばいいさ」
クレールにそうコツを伝授された一同は揃って舞踏会場へと移動する。
できれば、貴族の前で無様な恥をかかずに退場したいものだ。
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