第15話 恋バナってなんでしょうね?






「では、始めようか」


 クレールの声に、誰もがゴクリと唾を呑んで両者を見やる。

 松明の明かりすらも消されて久しく、あたりは闇の帳に包まれて、ほんの僅かの星々の輝きが大地を照らしているだけの黒い世界。

 その闇の向こうに、クレールがホルダーから引き抜いたアクスを次々と投擲する。


 手持ちの針を投げ終えた後、クレールの太刀鋏フォーフェクスがノワの絵筆ペンテルスと、そして紡錘フューサスと交差されて――


「女神ラクテウスよ、我ら睦まじき縫織士テクスタークレールと」

紡彩士ピクターノワが希います」

「我らの世界に慈悲を与えたまえ。我らに再び世界を編み上げる力を」

「世界を、再編する力をここに」


 大丈夫だ、と目で語るクレールの視線を受けて、ノワは唯々己の絵筆ペンテルスだけに視線を向ける。


『【織界一閃リニア・ネオー】』


 詠唱に応えるように紡錘フューサスの杖頭が回る。そこから紡がれた黒い糸が両者の足元に文様を描き、黒い光を放って奔る。

 そのまま迸る黒い光はクレールが投擲したアクスを軸に展開、黒い大瀑布が地面を、木々を、草を次々と編み上げて、創造する。


「……成功した、と、思う」


 そんなノワの呟きに改めてエルケが火を熾して皆の松明に明かりを灯すと――


「嘘みてぇだ……ヴェルセリアの林が戻ってきた……」

「これ、ノワとクレールが編んだんだよな……?」

「はは……腰抜けちゃいそう」


 松明を手にしたユアン、ハリー、エルケの前に広がっているのは、紛う事なき鬱蒼とした森林だ。

 若干前より木々が多いような気もして、林と言うよりどちらかと言えば森になっているような気もするが、そんなのは些細な問題だ。


「凄いじゃないかノワ! やったな【黒泥】の汚名挽回だぞ! 万歳!」

「自分たちも散々そう言ってた癖して。調子のいい話だね」

「んなこたぁどうでもいいんだよ! 林が、ヴェルセリアの林が帰ってきた、帰ってきたんだぞぉおおおおっ!!」


 ハリーが松明をブンブン振り回しながらはしゃぐので危ないことこの上ないが、ノワだって内心は小躍りしたいほどに狂喜乱舞だ。

 まさか、本当にこの手で黒い沼以外を再編することができる日が来るなんて、思ってもいなかった。


「クレールの欠点、まさかノワとここまで噛み合うなんてね」


 エルケは感心しているんだか呆れているんだか分からない顔でノワとクレールを見て――多分どっちでもあるのだろう。


「ああ、俺もこの特性が役に立つ日が来るとは思いもしなかったよ」


 感慨深そうにクレールが太刀鋏フォーフェクスを背中の鞘に戻して、ノワに微笑んでみせる。

 そんな笑顔を向けられたノワとしては照れくさい反面、ちょっと複雑だ。外堀を埋められたような気分にもなる。


 異様なほどに色がつくことを拒むクレールの糸なら、ノワが限界まで色素を絞るとある程度の濃淡が付けられることが判明したのだ。

 要するに、クレールの糸を使うならノワでも明度だけは変化を付けられると分かったのが三日前の話。


 明度が変えられるなら、ある程度物の輪郭を描き出せるし、それならば黒泥以外もいけるのではと練習を重ねての今晩だ。

 嬉しくないはずがない。はずがないのだが――


「ただ、状況に流されているだけだっていう気もするし」


 クレールら三人が林の仕上がりを確認しに離れたところで、そうノワがポツリと零す。


「贅沢な奴。クレールは貴方の価値をも高めてくれてるのに、その物言い?」


 エルケの言う通りであることはノワとて分かっている。ノワとクレールの相性がいいことは間違いないのだ。

 だがなんと言えばいいか、心の問題というか、


「クレールにとって必要なのは自分の糸に色を付けられる人であって、私じゃないし」

「ふーん、乙女なのね。能力じゃなくって自分ワタシを必要として欲しい、ってワケ」

「悪い? 私のこの黒は私が努力したり血を吐いたりして身につけた物じゃないんだよ」

「……前言撤回。貴方乙女じゃなくて逞しいわ。そっちの方なのね」


 エルケが納得したように頷いた。


「でも貴方が必死に磨いたことって何?」

色無しペルーセオの色塗り」

「……貴方それ男に褒められて嬉しいの?」

「嬉しいよ。それだけを必死に磨いてきたんだし」

「貴方もうちょっと乙女になんなさい」


 そう分かったような顔のエルケにダメ出しされるのが、ノワにはどうにも納得がいかない。


「エルケにだけは言われたくないよ。毎晩トマスに晩酌付き合って貰ってるくせにトマスの好意に気が付かないんだから」

「…………え?」


 ピキッとエルケが固まって、ああやはりとノワは半ば侮蔑にも近い顔でエルケの肩を叩く。


「あのさ、トマスが書類仕事に睡眠時間削ってるのは知ってるよね? なのにトマス、エルケのクソ鬱陶しい絡み酒に文句の一つも言わず付き合ってるんだよ? 流石に分かれよ、トマスが可哀相だ」

「え……え? 嘘…………」


 サッと赤くなったエルケは急に、


「ちょ、ちょっと用事を思い出したから帰るわね!」


 なんて言い捨てて脱兎の如くその場から逃げ出した。


 馬鹿め、とノワは思う。そうやってエルケが逃げ出した先にあるのはトマスがいる兵舎じゃないか、と。

 まあその程度も分からないほどにエルケは錯乱している、ということだろうが。


「今は時期が悪くないか?」


 林の仕上がり確認から戻ってきたクレールの物言いは、どうやらノワたちの会話の最後のほうは聞こえていたようだが、


「時期が悪いって?」

「俺がノワを連れて行くのにエルケが身ごもったら色無しペルーセオの迎撃ができなくなるぞ」

「クレールってデリカシーがないって言われない?」

「そうなのか? だったらすまない。実は俺もノワと同じで色無しペルーセオを狩る技術に全振りで生きてきたから、そういうのに疎いんだ」


 なるほど、とノワは頷いた。であればあの戦闘能力も納得が――いや、どう考えても異常だあれは。納得できるはずもない。


「大丈夫だよ。クレールが思ってるよりトマスは子供だから」

「え? まさか赤ちゃんはコウノトリが運んでくると思ってるのか彼?」

「流石にそこまでじゃないけど。帰ろうか。帰れば全て分かるよ」


 そうやって首を傾げているクレールと、うんうんと頷いているハリー、ユアンらが兵舎に帰ると、


「トマス、いい加減素直にならないとフラれるよ」

「……うるせぇ、そんなこたぁ分かってるんだよ」


 ほっぺに紅葉を付けたトマスを前にして、そういうことかとクレールの視線は生暖かくなってしまった。

 いざ意識すると素直になれず、つい心にもないことを言ってしまうのだろう、トマスという男は。


「お互い前途多難だな、トマス」

「うるせぇクレール、専属を保留されてるお前よりまだ意識されてるだけ俺の方が有利だ」

「だが断られてもいない――そうだノワ、林の再編成功祝いに一杯やらないか?」

「……一杯だけだからね」


 そうノワが応じるとクレールが勝ち誇ったように笑い、逆にトマスが頬をひくつかせる。

 一応、ノワとしても念願だった泥沼以外の世界再編が成功したから祝杯を上げたいだけで、他意はないのだが――その筈だし。


「チキショウ、俺も付き合わせろ」

「いいよ。皆でエルケにフラれたトマスを慰めてあげようじゃないか。ねぇハリー、ユアン?」

「まだフラれてねぇ!」


 こいつぁいい肴になるな、と四人は笑った。

 どいつもこいつも性格の悪いことだ。まあ、仲が悪くないならそれはそれでいいのだろう。多分。






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