第14話 塗りつぶせる欠点と、塗りつぶせない欠点






「俺が、いずれノワを捨てる、と?」

「逆に聞くけどさ、どうして捨てないと思うの? じゃあ民の声だ。この先もし黒以外も扱えてクレールの糸に色を付けられる紡彩士ピクターが現れてなお、私が捨てられないと思う人は挙手」


 そうノワが問うと、当然のように誰もが沈黙を守った。手は、一つも上がらない。

 この際、クレールが誠実な人柄か否かであるかは関係ないのだ。クレールが本気で故郷の奪還を願っているのなら、その前提が最大の問題となる。


 元々困難な目標にわざわざ自分で縛りルールを設けて、どうしてそれが叶えられようか。

 人事を尽くして天命を待つ。自分の力を最大限に発揮できる環境をまず整える。そんな当然の努力を怠ってなお【大織界機マグナ・テラリウム】が奪還できるなら――もうとっくに誰かがやっているはずだ。


「貴方の目的がこれ以上馬鹿にされるのが嫌だから、とかだったら私も付き合ったかもしれないよ。でも貴方には高尚な目標がある。国のために動く人は、必ず他人を踏みつけにしてこう言うんだ。『清濁併せのむ必要がある、これは必要なことなんだ』ってね。ハッ、クソ食らえだよ。反吐が出る」


 ノワの罵倒を、誰も諫めようとはしなかった。そういう光景を誰もが誰もなりに頭に思い浮かべられてしまったからだ。

 大義名分の前では小事など無視することができる。大の虫を生かして小の虫を殺すのだ。


 たとえば大都市に優先して士団員が配属され、アルセリア支部には若造が定員未満しか配属されないように。

 ノクタリアという国の滅びを回避するために、織界士団テキスタスがそう判断したのだ。


 要するに――アルセリア支部が最悪滅んでもよい候補の一つと織界士団テキスタスに見做されているように、ノワもまた大義のためにクレールに見放されることを誰もが仕方ないと許容するのだ。


「あとさ、少しは私の立場に立って考えてみてよ」


 誰にも制止されないが故に、ノワは更に言い募る。


「私と貴方が専属になったとしよう。快刀乱麻に色無しペルーセオを切り捨てる若き英雄、その相棒は黒しか塗れない無能。その活躍を見た人たちは、まさか貴方の糸には私しか色が塗れないなんて思わない。だから口を揃えてこう言うだろうよ、『あの縫織士テクスターはあんなに優秀なのに、どうしてあんな無能を専属にしているんだろう』ってね」


 その様子は誰もが瞬時に脳裏に思い描けた。ノワと組むことで、クレールの欠点は塗りつぶされる。

 だがクレールと組むことで、ノワの欠点は塗りつぶされるどころか衆目にこれでもかと晒されるのだ。


「貴方はいいよ、それで目標に向かって全力でつっ走れるものね。でもそんな環境で私が腐らずにいられると思う? そうして腐った私に貴方はこう言うのさ、『フィーノス王国の奪還は俺だけじゃなく多くの人類の悲願なのに、どうして君は俺に協力してくれないんだ』ってね。聖人君子を気取った顔で、私に滅私奉公しろって言うんだ」


 言いすぎだ、とは誰にも言えなかった。

 これまで幾度となく市民から諦観にも似た視線を浴びせられてきたトマスたちには、ノワの言う未来がかなりの確度を持っていると理解できてしまう。

 だけど、


「――それが、君が今まで体験してきたことか」


 その一言が、トマスたちの心臓を鷲掴んだかのように震え上がらせた。道理で流暢に話せるわけだと納得し、その納得に戦慄する。

 ノワは予想された未来ではなく、過去に受けた仕打ちを語っていたのだ・・・・・・・・・・・・・・・・・、と。


「……だったら、なに?」

「安心した、かな。やはりそういう事はしちゃいけない、間違ったやり方だって分かったから」

「へえ? なんでそれが間違ってるってエリート様にはわかるのかねぇ?」


 この舌先三寸め、懐柔など絶対にされてやるものか、とクレールを睨みつけたノワではあったが、


「だってそれは要するに、『誰かがそこまでやっても未だ、【大織界機マグナ・テラリウム】は奪還できていない』ってことなんだろう? ならその方法は間違いだ。結果がそう示してる」

「――――ッ!!」


 クレールのその一言は、さながら稲妻のようにノワの体を撃ち抜いて硬直させる。

 そう、それだけやっても未だに無色界ペルシドゥラスを押し返せていないから、此度の精鋭部隊選出の話が挙がったのだ。


「ずっと不思議だったんだ。国を追われたときからずっと思っていた。皆が苦しみながら頑張ってるのに、俺たちはどうしてこんなに追い込まれているんだろう、って」


 もう有色界ピナコセラはどうしようもないほどに追い詰められている。

 ユーグラリス大陸に十八あった国家は既にその残数を六にまで減らしている。


 三百年かけて十二の国家が滅びていく間ずっと、全ての人類が愚かだったのか? そんなはずはない。【大織界機マグナ・テラリウム】に、最良の紡彩士ピクター縫織士テクスターを宛がって、最善を尽くしてきたのではないのか?

 男女一組じゃないと動かせない【大織界機マグナ・テラリウム】の最大効率を引き出すために、時に最善のペアを作り出すためなら最良でない誰かを踏みつけにしてでも、人類のために。


「誰もが血を吐くような辛い思いをして、それでも押し負けているなら――あるいは、前提となる考え方がまず間違っているのかもしれないって。それを考え直してみることに意味はないか?」


 【大織界機マグナ・テラリウム】は当代最高の紡彩士ピクター縫織士テクスターが稼働させている。それを織界士団テキスタスの誰もが疑っていない。ノワだって疑っていない。

 だがもしその根底が間違っているから、【大織界機マグナ・テラリウム】は未だ世界を再編できずにいるのだとしたら?


「そんな、そんな馬鹿な話があるか! 歴史を舐めるのも大概にしろ! お前、自分が過去の賢人たちより賢いなんて思ってるんじゃないだろうな!」

「それが盲点だノワ。【大織界機マグナ・テラリウム】は知恵と賢さで稼働させる物なのか?」

「そ、それは……」


 それは違うだろう、とノワも思う。

 だが、だがとノワも思ってしまう。そんな小僧小娘の思いつき一つで状況が一転するなら、これまで雑に扱われる仕打ちに耐えてきたのは一体何のためだったのだろう、と。

 世界が、そんな戯言で犯されていい筈がないと、そうでなければこれまで罵詈雑言に耐えてきた私が報われないじゃないか、と。


「ノワの質問に答えよう。俺は自分が過去の賢人たちより賢いだなんて当然思っちゃいない。この世界に数多いる、【大織界機マグナ・テラリウム】を求める者の一人に過ぎない」

「……」


 自分が天才ではないとクレールは認めた。だから、


「その上で俺は一つの選択肢として、誰もやったことのないやり方で【大織界機マグナ・テラリウム】に臨む。そうじゃなくちゃ意味がない。他人の尤もらしい忠言なんぞクソ食らえだ」


 賢い人々が幾度となく重ねてきたであろう過去の例を模倣する気はないと、クレールはそう断言する。


「ずっと、踏み付けにされて生きてきた。透明な糸を作り出すお前は色無しペルーセオだと。間接的に紡彩士ピクターの邪魔をして世界再編を阻む無色界ペルシドゥラスの回し者だと。崩れていく故郷を背後に色無しペルーセオの根絶を近った、この、俺を! よりにもよって色無しペルーセオ呼ばわりだと!? ふざけるな!」


 ガンと、食卓を叩いたクレールもまた、ノワのように怒りと怨嗟の中で生きてきたのだ。

 呼吸を整え、怒りを押さえつけたクレールが、改めてノワに向き直る。


「だから、俺は決めたんだ。もし俺の糸に色を置ける人が現れたのなら、俺を色無しペルーセオじゃないと証明してくれる人の専属になれたなら――その人のためだけに【大織界機マグナ・テラリウム】を使おうって」


 だから、クレールは動けないでいるノワの手を取って笑うのだ。


「俺の全てを投じて、君を守ると誓う。君は君が幸せだと思える世界を織ってくれればそれでいい。だからノワ、俺の専属になってはくれないだろうか」






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る