第10話 捨て身






 一人の青年が、織界士団テキスタスアルセリア支部へとゆっくり近づいてくる。

 年頃は――トマスと同程度か。長く伸ばした透明に近い薄緑の髪を後ろで結わえていて、一見して女性にも見えるが――その背中には太刀鋏フォーフェクスがあり、その胸にはアクスがある。

 だから何らかの理由でこの街を訪れた、どこかの縫織士テクスターだ、は。どれだけ優美に見えても、縫織士テクスターは男性にしかなれないから。


「失礼、織界士団テキスタスアルセリア支部の士団員とお見受けする。赤玉が打ち上げられたため、状況を確認したく参上仕った」


 近づいてきた青年に、ノワは軽く涙を拭って頭を垂れる。


「状況確認ありがとうございます。織界士団テキスタスアルセリア支部のノワと申します。お手数ですが織界士団テキスタス本部への報告を頼まれては頂けないでしょうか」

「報告、ですか?」

「ええ。本日明朝、アルセリアの精霊プネウマ色無しペルーセオの大規模襲撃を警告。

 即時織界士団テキスタスアルセリア支部の全戦力で出撃、焼却型ドラコー一体を中心とする第一陣と交戦開始。

 体感時間にして一刻後、これを撃退。撤収。

 現在再び精霊プネウマ色無しペルーセオの大規模襲撃を警告し、アルセリア支部の全戦力が再出撃。以後の消息は不明、と」


 頭を垂れたままお願いします、と告げると、


焼却型ドラコー? それは……相当に拙いのでは」

「ええ、相当に拙いです。だから伝令をお願いしています」


 青年がごく当たり前のことを呑気に聞いてくるので、逆にノワは怒りを超えて失笑してしまった。

 第一陣には焼却型ドラコーは一体しかいなかったが、それが撃退された以上、第二陣には更なる戦力が用意されていると考えた方がいい。


「私は戦場に戻りますので、何卒本部へ報告を。押しつけてしまい、申し訳ありませんが」


 焼却型ドラコー級が複数いるような戦場において、訓練校卒業三年程度の新人数人など、僅かでも時間稼ぎができれば上等だ。

 そんな戦場を目前にして、


「――貴方は、俺に助力を求めないのか?」


 どうしてトマスと年もそう変わらぬであろう生け贄を新たに捧げられるというのか。

 ノワだって多少性格は悪いが人の子だ。見ず知らずの人間に「私と一緒に足止めして死んで下さい」なんて言えるほど厚い面の皮は持っちゃいない。


「最も憂慮すべきは織界士団テキスタス本部に何の現場報告も届かないまま、アルセウス支部が壊滅することです。貴方の助力を得られれば確かに私たちの生存確率は上がるかもしれませんが、最悪を回避するために士団員は誰か残さねばなりません」


 トマスの猿真似を口にして、ノワは壊れかけの絵筆ペンテルスを握りしめる。


「実際のところ、ですよ。もうアルセリア支部は第一陣を退けた時点で余力はもう残っていないんです。ここに紡彩士ピクター縫織士テクスターが一人加わったところで、どうせ何の役にも立たないんですよ」


 ノワはもう全力砲撃などできないし、ここで無傷の縫織士テクスターが一人増えたところで、焼却型ドラコー相手に何ができるというのか。

 であれば参戦を望むのは死亡者報告数の数を一つ増やすだけで、総体において状況は好転せず僅かに悪化するだけだ。


「なので、本部への報告をお願いします。それでは」


 もう一度ペコリと頭を下げて、ノワはそれっきり後ろも見ずに駆け出した。これで本部に報告は届く。

 然るにノワは何一つ心おきなくトマスたちの救援に向かうことができる。




   §   §   §




 そうして訪れた戦場はもう明らかに瓦解寸前だったため、


「【雨散塗呪プルヴィウス・リニオー】ッ!!」


 迷わずノワはトマスたちごと戦場を一気に塗り潰した。

 戦場に焼却型ドラコーは見当たらない。トマスたちにはもう、敵本命を引きずり出すだけの余力も残っていなかったのだ。


 だから露払いの強攻型レオー相手に死にかけていて、しかし強攻型レオーまでならまだ、色がつけば――


「ノワ! 何で来た!」


 黒く染まった強攻型レオーの首をそぎ落としながら、トマスが遠慮なく罵倒を投げてくるが、


「どっかの縫織士テクスターがいたから連絡を任せてきた! 私だって――」


 強攻型レオーが傘になって黒い雨を免れ、ノワ目掛けて一直線に猪突してくる突撃型アペルに、正面から【塗呪リニオー】を叩き付けて、


「アルセリア支部の一員だ! 置いていくなよクソッタレ!」


 ノワはそう死に物狂いで叫ぶ。なおクソッタレはトマスにではなく突撃型アペルに向けた罵倒だ。

 色がついて脚が鈍ろうと、それまで蓄えていた運動エネルギーが一瞬で無くなるわけではない。間一髪の回避である。


 突撃型アペルに正面から挑んだのは正直ちょっと命知らずが過ぎた。仕方がなかったとは言え、正面突撃の威力なら強攻型レオーを超えるからこその突撃型アペルだ。

 横からアクスを投げて足止めすれば首を落とすのは容易い、というのが対突撃型アペルの定石だというのに。【塗呪リニオー】が外れてたら突進を躱せずそのまま死んでいただろう。


「死ねぇ!」


 足元の地面に刺さっていたアクスを引き抜いて全力で突撃型アペルの脇腹を縫い止め、ノワは流し目で戦況を把握する。


 既にエルケは限界を超えて色素を絞り出した反動で昏倒しているらしい。

 エルケ班の面々も既にどこかしらに怪我を負っており、的にならないよう木陰に隠れて、トマスらが討ち漏らした先遣型キャニスを狩るのが限界だ。うち二人は足をやられていて移動もままならない。

 今はエルケ班と太刀鋏フォーフェクスを交換したトマス、ハリー、ユアンらがかろうじて黒く染まった強攻型レオーの首を落としているが、その動きは精彩を欠いて明らかに鈍っている。


――無理もないよ。ずっと戦い続けているんだ。


 第一陣の時だって、何度も彼らはノワの黒い雨を浴びながら戦っていた。それもまたトマスらを弱らせている遠因の一つでもある。


「どこまでやる? トマス!」


 第二陣の迎撃は、最早不可能だ。であれば残る気力体力色素はキッチリ計算の上で、使うべき時にのみ使わねばならない。


「ノワの砲撃が当てにできない以上、焼却型ドラコーが出てきてももう撃退しようがない。突撃型アペル強攻型レオーの全滅を!」


 ノワは頷いた。妥当な判断だ。

 突撃型アペル強攻型レオーは脚が速い。討ち漏らせばすぐにでも奴らはアルセリアの街に突入するだろう。

 焼却型ドラコーは火力があるが、脚そのものは然程早くない。無論その長距離狙撃は脅威だが、街までまだ距離があるし、遠くの相手をそうそう精密には狙い撃てまい。

 逃げる市民を守るなら、焼却型ドラコーは無視してよい。というより焼却型ドラコー相手にはもう何もできることがないから、とも言うが。


 目の前の色無しペルーセオがあらかた糸になって崩れ落ちたが、もうノワにはそれを紡錘フューサスで紡いでいる余裕はない。


「ハリー、ユアン。ノワが来た以上は焦土戦術が再開できる。怪我してる連中を今のうちに下げさせろ」

「わかった。アル! お前はカミルを掴んで後退。ユアンはエルケを頼む! ホークはまだ歩けるな!」

「はい、ハリーさん!」


 ユアンが気絶しているエルケの股に腕を入れ、腋の下から己の首を差し入れ肩上でエルケ横に抱き上げる。

 俗に織界士運びテキスタスキャリーと呼ばれる人体運搬に最も最適な運び方だ。

 エルケに意識があれば文句を言っただろうが、今はそんなことを気にしている場合ではない。




 そうやって怪我人を後方へ逃がし、後はただひたすら【雨散塗呪プルヴィウス・リニオー】と後退をバカみたいに繰り返して――


「まぁ、よくやったよね、私たち」

「ああ」


 二体の焼却型ドラコーを前にして、ハリーとノワはスッと細い笑みを交わす。


 トマスは先ほどノワを庇って尾撃の一振りに吹き飛ばされた。今どこにいるのか、生きているか死んでいるかも不明だ。

 ユアンは指向性破界声ラケロ ヴォクスが擦ったせいで全身から血を噴き出して傍らに倒れ伏している。


 残るハリーも膝が笑っていて、既に太刀鋏フォーフェクスを杖にしてすら立つことができずにいて、ノワはノワでもう体力の限界だ。


 突撃型アペル強攻型レオーは気合いと根性で全滅させたから、半包囲を組んでいるのは歩兵型ルプス先遣型キャニスだ。

 そして目の前には今にも破界声ラケロ ヴォクスを放たんとする二体の焼却型ドラコー。ここまで削りきった。



 上出来じゃないか、とノワはそっと目を閉じて自分の終わりの時を待ち――



――ルギャァアアアアァァアアッ!!



――あれ? 破界声ラケロ ヴォクスと音が違う?



 好奇心に負けて再び眼を見開いたノワの目の前には――



――焼却型ドラコーの目玉に刺さってるの、あれは……アクス



 片目を抑えて喚いている二体の焼却型ドラコーと、そして、



「一つだけ、訂正して頂きたい」


 片手に長刀身の太刀鋏フォーフェクスを、逆の手には指の間に二本のアクスを挟んだ、薄い緑色の髪の青年が、



「文脈がどうあれ、俺は『何の役にも立たない』と言われるのが何よりも嫌いだ。事実ではあるが、撤回を要請する」



 ハリーとノワを庇うように、焼却型ドラコーの前に立ちはだかっていた。






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