第8話 凱旋






「勝っ……た?」 


 緊張の糸が切れたのだろう。エルケがその場にぺたんと崩れ落ちる。

 焼却型ドラコーの取り巻きだった強攻型レオー突撃型アペルは、焼却型ドラコーが崩壊して溢れた黒い糸に動きを止められ、最後の一体が今、エルケ班の縫織士テクスターの手で落とされた。


「どうやら、そうみたいだな……」


 トマスが刃こぼれした己の太刀鋏フォーフェクスを見ながら、特大の溜息を零した。

 装備はボロボロだが、もう破界声ラケロ ヴォクスはどこからも聞こえない。動く色無しペルーセオも、どこにも見当たらない。


「エルケ、もう危険は去ったわけだしアルとカミルの顔を塗り直してやれ」

「あ、うん」


 ノワの【雨散塗呪プルヴィウス・リニオー】を浴びて一部黒ずんでいるエルケ班縫織士テクスターの顔を肌色に塗り直せば、ようやくエルケも実感が湧いてきた。

 膝がガクガクと震えているのは、疲労からか、それとも歓喜からか。エルケ自身にも分からない。


「よく……生き延びられたわね、私たち」

「本当だよ。よりにもよってあんな巨大な……アレ何型だ?」


 やはりここの連中は知らなかったようで、ユアンがしきりに首を傾げている。


焼却型ドラコー。激戦区ではそこそこ出てくるね」

「あんなのがヒョイヒョイ出てくるのかよ最前線は……田舎でよかったぜ」

「全くだ」


 ユアンとハリーは顔を見合わせて太刀鋏フォーフェクスを鞘に戻した。


「とりあえず一部でいいから有色界ピナコセラを再編しよう。このままじゃ合流できないし」

「そうだな。まだ余力あるか、ノワ」

「多少はね。ただ……」


 トマスに問われたノワはそこで言葉を濁して手元に視線を落とす。


「強襲ってやっぱり有効なんだね。事前に調整の時間を貰えなかったのは痛かった」


 右手の内にある紡錘フューサスはどこも異常がないが、絵筆ペンテルスの切っ先にはヒビが入ってしまっている。


 元より色素を絞るのが下手なノワは、道具の方で出力を絞れるよう絵筆ペンテルスを調整していたのだ。

 だというのに今回その調整のまま全力着色などしたものだから、それは細い配管に超高圧力の水を流すようなものだ。絵筆ペンテルスが破損するのは必然だろう。


「まあ、負荷かけなけりゃ多少の【織界ネオー】ぐらいなら大丈夫だと思うけど、まだ日が暮れてないし」


 【黒泥】ノワが色を置いて崩れない環境は深夜の泥沼だけだ。まだ日が暮れてない今世界を再編しても、すぐに崩れてしまうだろう。


「幾ら大量にあるからって、せっかく手に入れた糸でしょ。わざわざ崩れると分かってる環境を編むために使うのはどうかと思う」

「……そうだな。ひとまず糸の回収を頼むノワ、エルケ。縫織士テクスターは周囲の警戒を」

『了解!』


 ノワとエルケで辺り一面に散らばった糸を回収していくが、


「九割方真っ黒ね……」


 どうしたものか、とエルケは頭を抱えてしまう。

 優先すべきは自分たちの命、その判断は間違ってなかったのだが、終わってしまえば勿体ないお化けに取り付かれるのもまた宜なるかな。


「こりゃあ、明日からヴェルセリアの沼に改名だな」

「……文句があるなら言いなよ」


 軽口を叩いたハリーをノワは睨み付けるが、


「冗談。沼だろうが何だろうが色のねぇ世界より色のある世界の方が数億倍マシだ」


 そうハリーが片手を挙げてきたので、ノワもそれに応じた。

 パァンと、ハイタッチ一つ。


「故郷がほつれて消えちまうよりよっぽどマシだ。ありがとよ、ノワ」

「……」


 無言でノワは紡錘フューサスに糸を紡ぎ続けた。

 褒められ慣れていないノワはこういうとき、どういう顔をすればいいのか分からないのだ。


「あらかた集め終わったな。では作戦終了だ。一先ずは宿舎に帰ってゆっくり休もう……残った作業は全部纏めて寝て起きた後だ」

『賛成』


 ヒビが入ったノワの絵筆ペンテルスのみならず、刃と刃を打ち付け合ったトマスらの太刀鋏フォーフェクスもボロボロだ。

 元より色素が薄いエルケは皆のサポートで【塗呪リニオー】を何度も使ったせいで意識が途切れそうだし、まだ若いエルケ班の縫織士テクスターたちは疲労困憊だ。


 だが、なんとか危機は乗り切った。

 生きてアルセリアの街に戻ってくることができた――はいいが……


「……いいな、お前らは東門側でよ」

「おう、悪いな」


 アルセウス外壁まで到達していた焼却型ドラコー破界声ラケロ ヴォクスによって、未だ一同は二分されたままだ。

 無色界ペルシドゥラスの向こう側にいるトマスとユアン他二名は、外壁をぐるりと回りこむんで北門へ向かうか、壁を越えないと街には戻れない。有色界ピナコセラの生物は無色界ペルシドゥラスには入れないからだ。


「しゃあない。回り道させるのも可哀相だし、少しだけ織ろうか」

「だな。感謝しろよトマス支部長様よぉ?」

「はいはいハリー様ノワ様感謝感激雨霰ですよ、ケッ」


 ハリーとノワで泥沼を編めば、一歩一歩嫌な顔で泥を踏み越えてきたトマスらも東門側へと合流だ。


「よう、無事帰ってきたぜ」


 一人も欠けずに戻ってきたトマスたちを見て、門番は心底安堵したようだった。力無くその場に膝を付いて女神に祈りを捧げ、再び立ち上がる。


「この壁を見る限り相当の激戦だったようだな。よくやってくれたトマス」

「気にすんな、仕事さ」


 門番の老兵に片手をあげて警戒態勢を解除するように伝え、一同は兵舎へと戻り――




 そして、凍り付いた。




「クケェーーー! クケェエエーーーーー!」




 裏庭で、ニワタリ様が鳴いている。

 朝と全く変わらない剣幕で鳴いている。


 相変らずヴェルセリアの林の方、東を向いて、翼をばさばさと揺らし、トマスらに警告するように声を張り上げている。


「……なんでだよ、色無しペルーセオは撃退したはずだろ!」


 ハリーが支部の入口をドンと叩くが、その答えはもうハリーだって分かっている。

 あくまであれは第一陣だったのだ、と。


 だからそれが全滅した以上、こちらの消耗が回復する前に第二陣を投入する。そう無色界ペルシドゥラスは判断したのだ。




 即ち、次で削りきれる、と。




「……再出撃する」


 慈悲のないトマスの判断に、誰もがその場に立ちすくんだ。


「冗談、よね?」

「それは無色界ペルシドゥラスに聞いてくれ――ノワ」

「……なに?」


 いよいよ肉壁にでもされるか? とノワが怪訝そうに顔を上げた先にある、


絵筆ペンテルスの破損しているお前はもう戦力にならないしな。街を離脱して増援を呼んできてくれ」


 トマスの表情はあまりにも穏やかで、ノワは悟ってしまった。


 「ああ、こいつ、ここで死ぬつもりだ」と。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る