第7話 ドラコー






「【雨散塗呪プルヴィウス・リニオー】!」


 強攻型レオー突撃型アペルを一蹴した黒い雨を、ノワは今度こそ一切の躊躇いもなく撃ち放つ。

 一瞬にして黒く染まった焼却型ドラコーではあったが、


「! 脱ぎ捨てた!?」


 エルケが息を呑んだように、そう。焼却型ドラコーは剥離可能な積層鱗を備えていて、色づいた部位を平然と振り落として半透明の異様を維持できるのだ。

 色無しペルーセオはやはり、織界士団テキスタスの戦い方を学習している。そうでなくてはこんな機能が備わっているはずがない。


 お返しとばかりに焼却型ドラコーが息を吸い込むような仕草を見せた。

 そこから先を知っているノワは、


「散開! 狙われたら運が悪かったと思って諦めて!」


 トマスに断りもなく指示を出し、それに誰もが素直に従った。

 そうして


――ゴガァアアアアァァアアアアアッ!!


 口より吐き出された破界声ラケロ ヴォクスは通常のそれのように拡散せず、指向性を与えられて一直線にトマス陣営の中央を突き抜けた。

 走り抜ける破界声ラケロ ヴォクスは地面を、木々を薙ぎ払い、遠くはアルセリアの外壁にまで到達して細り、消える。


「……指向性の、破界声ラケロ ヴォクスだと……?」


 なんとか回避したユアンがそう呆然と呟くとおり、焼却型ドラコーは拡散する破界声ラケロ ヴォクスを狙った方向に向かって一極集中して放つことができる。

 だからこそ、付けられた名前が焼却型ドラコーなのだ。射線上にある全てを焼き払う、それはまるで神話に語られるドラゴンのように。


「拙いぞトマス! 戦場が二分された!」


 ややあってその事実に気付いたハリーの顔からは血の気が引ききっている。

 幸い破界声ラケロ ヴォクスの直撃は全員回避できたようだが、今や織界士団テキスタス焼却型ドラコーが作り上げた直線上の無色界ペルシドゥラスで分断されてしまっている。


 有色界ピナコセラを織り直せば合流はできるが、戦場のど真ん中でのんびり再編など行える余裕なんてある筈もない。

 焼却型ドラコーを倒すまでは、この分断は続いたままだ。否、この先焼却型ドラコー破界声ラケロ ヴォクスを繰り返せば、その分だけ分断が起こる。


「あれは私が相手をする! 取り巻きは任せた!」

「……わかった、頼んだぞノワ」


 了承を受け、最早他の色無しペルーセオには目もくれずノワは焼却型ドラコーと相対する。


――ルゥオォオオオオオオオーン!!


「煩い……」


 ただ闇雲に色を塗呪するだけではあの焼却型ドラコーは倒せない。

 倒すには奴が鱗を脱ぎ捨てるより早くに内側まで染め抜くか、もしくは鱗を脱げないように拘束するか、だ。


 そしてそのどちらも並の紡彩士ピクターには実質不可能だが、


――ルゥオォオオオオオオオーン!!


「叫ぶな!」



 良くも悪くも、【黒泥】ノワは並ではない。



 左手の絵筆ペンテルスと右手の紡錘フューサスを交差させると、紡錘フューサスの杖頭が回り始める。

 先ほどとは逆の向き、即ち糸を紡ぐのではなく、紡いだ糸を放出するように。


「【黒縛網アーテル・レーテ】! いけぇ!」


 紡錘フューサスから鎌首をもたげて宙を奔るは、漆黒に染まった糸の投網だ。

 世界を編むのは縫織士テクスターの仕事だが、練習すれば紡彩士ピクターにだってこの程度は編める。綿密に絡み合った複雑な世界ではない、糸より作られた道具の一形状ならば。


 漆黒の投網が巨体を縛り付け、剥離による脱色を阻止しながらじわじわと焼却型ドラコーを染めていくが――


――色の透りが遅い……! 流石にタフね……ッ!


 流石に一瞬では染め上げられず、動揺した隙を付いて長い鞭のような尾がしなり、


「チッ! やる!」


 投網全体ではなく、その根元、紡錘フューサスと繋がった部分をその速さと質量で引きちぎった。


――ルゥオォオオオオオオオーン!!


 ノワの束縛から解放された焼却型ドラコーは即座に破界声ラケロ ヴォクスで投網をほどき、黒く染まった肉体を振り落として再度ノワの前に立ちはだかる。

 そこそこは浸透したようで焼却型ドラコーの大きさは元々の八割程度まで縮小しているが、ただそれだけだ。


 今度はこちらの番とばかりに振るわれた爪を躱すも、そちらは囮か。

 横薙ぎに叩き付けられた尾に軽々とノワの痩躯は吹き飛ばされ、宙を横に飛んで落下。ゴロゴロと地面を横転し木の根にぶつかって動きを止める。


「ノワ!」


 耳朶を叩くは誰の声か。くゎんくゎんと耳鳴りが響いてノワには良く聞き取れない。


「よそ見……してんなぁ……!」


 ふざけるな。

 ふざけるなふざけるなふざけるな。


 たった一撃食らった程度でおねんねなどしてられるか。そうとも、たった一撃食らった程度で、


 歯を食いしばる。

 右手の紡錘フューサスを握りしめる。

 左手の絵筆ペンテルスを杖に立ち上がる。


 口の中を切ったか、血の味がする。視界が赤い。額も切れているのか。

 笑う膝が鬱陶しい。何をやっている。お前は人間を二本の足で立たせるのが仕事だろうにゲラゲラ笑っている暇があるか。


 立て。

 立って立ち向かえ。


 戦って焼却型ドラコーを塗りつぶせ。


 さもなければ、



























――『ノワ、貴方まだそんなところを這いずり回っているの?』
























 あそこには――





 あの一言を言い放った女の元には――





 あの傲慢チキで鼻持ちならない女の喉元になんて――





「いつまで経っても届かないじゃないかぁ!!」





 目指した場所に手を届かせるために。



 そこへ至る階に足をかけるために。



 一歩一歩、歩いて、上っていくためには――



「こんなところで死んでられないんだよ、私は!」



 だからノワは奥歯を噛み締めて立ち上がる。

 苦痛に喘ぐ体を叱咤して立ち上がる。


 焼却型ドラコーは既に大きく息を呑むように顎門を空へと向けていて、だから――


「いいよ、正面勝負なら望むところだ」


 紡錘フューサスを地面に突き刺し、ノワは絵筆ペンテルスを両手で構える。

 杖頭部を焼却型ドラコーに向けて、しかと大地を踏みしめる。



「此なるは女神ラクテウスに捧げし我が原型アニマ、我が原理アニムス



 焼却型ドラコーが振り下ろした顎門を開き、破界声ラケロ ヴォクスを撃ち放つ。


 射線上の全てをほどくために。


 射線上の全てを無色界ペルシドゥラスへと還すために。




 だから、ノワも全く同じことをする。




「魂より湧き出でよ我が原色、全てを呑み込め! 【黒侵奔烈アーテル・ピューター・エクスプルソリア】ァッ!!」


 絵筆ペンテルスより湧き出でるは漆黒、混沌、唯々一色。


 如何なる色をも呑み込んで塗りつぶす、光をも呑み込む暗黒の濁流があらゆる色を分解する指向性の破界声ラケロ ヴォクスと真っ正面から衝突し、鍔競り合う。




――アアアアァァアアアアアッ!!



「煩い……!」



 ジリ、と押し負ける。かかとが滑って後ろに下がりそうになるのを、爪先の圧で圧し留まる。軍靴を地面に押し込んでその場に圧し留まる。



 ふざけるな。私のいろはこんなものか。



 自分の内から湧き出でる慟哭はこの程度か、この程度の濃度しかないのか。



 ふざけるな、そんな馬鹿な話があるか。




――アアアアァァアアアアアッ!!



「叫ぶなぁ!」


 絵筆ペンテルスを睨み付ける。戦うべき相手は焼却型ドラコーではなく、ただただ自分自身だ。

 これは自分との戦いだ。あんなものドラコーはただの他山の石に過ぎない。




 ノワにはできるのか、できないのか。




 今この場で問われているのはただそれだけだ。




 敵は常に目の前にはおらず、自分自身の中にいる。




「鬱陶しいんだよ! お前の声は!」


 燃やせ、真っ黒に燃やせ。


 命を燃やせ。


 魂を燃やせ。


 それでも足りないだなんて――絶対に言わせない。


 怒りに満ちた目で絵筆ペンテルスのその先を睨み付ければ、ノワの漆黒が破界声ラケロ ヴォクスをじわじわと押し返して――




「くぅたぁああああばぁああああれぇえええええッッ!!」




 そして、焼却型ドラコーの全身を一瞬にして黒一色に染め上げる。

 脱ぎ捨てる隙など刹那すらない、あまりにも暴力的なそれが、ノワのくろだ。




「トマス!」

「任せろ!」


 太刀鋏フォーフェクスを握りしめたトマスが、動きの鈍った焼却型ドラコーの背に駆け上がりその首に刃を突き立てて――



――嘘だろ、全身が完全に染まってるんだぞ!?



 その硬度に、トマスは戦慄する。


 落とせない。

 首を、落とせない。


 今の焼却型ドラコーは完全にその性能を底辺にまで引きずり落とされているのに、それでもトマスには焼却型ドラコーの首が落とせない。

 最凶ではあるが凡才ではないノワと違って、トマスはただの凡人だから切り裂けない。


 だから、ならば。


「せー」「のおっ!!」


 右からハリーが。

 左からユアンが。


 己の二振りの太刀鋏フォーフェクスを、トマスのそれに叩き付けて、焼却型ドラコーの首に押し込んで――




 そうして、ゴトリと焼却型ドラコーの首が地に落ちた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る