第6話 レギオ






 まず姿を現したのは、子犬ほどの大きさしかない先遣型キャニスの群れだ。

 壁となって迫るそれにノワが絵筆ペンテルスを横一線に振るい、無色界ペルシドゥラスから現れた色無しペルーセオを漆黒に塗り込めて出鼻を挫く。


 圧倒的だ。この漆黒に先遣型キャニスのただ一匹とて抗えない。抗し得ずに勢いを失っていく。

 だが、


「ちっ、あっちはどうやら今日は本気らしいぞ」


 動きを止めた先遣型キャニスを平然と踏みつけにして、歩兵型ルプスと呼ばれる主力色無しペルーセオが、次から次へと姿を現してくる。

 だが、


「今日ほどノワを頼もしいと思った日はないぜ」


 そうユアンがからかうように笑う。なにせ先遣型キャニスを踏みつけた歩兵型ルプスもまた、あっという間に黒に汚染されて途端に勢いを失い、あとから現れた歩兵型ルプスに更に踏みつけにされているとあらば――ノワの存在のありがたさが骨身に沁みるというものだ。


 だがノワの初撃もそこまでが限度である。

 同胞を踏み越えて現れた歩兵型ルプスの第二陣が続々と有色界ピナコセラの大地に立つ。


――ルゥオォオオオオオオオーン!!


 大地を踏みしめて、破界声ラケロ ヴォクスを放つ。

 それは同胞たちに踏みつけにされた漆黒の色無しペルーセオごと、有色界ピナコセラを容赦なくほどいていく。


「攻撃開始。ノワは期を見て洗いざらいぶちまけろ。色無しペルーセオを最大効率で塗れるなら何を巻き込んでも気にするな、支部長命令だ」

「……っ、了解」


 トマスを先頭に、縫織士テクスターが突進してくる歩兵型ルプスとの交戦に入る。

 ここから先は混戦になるから、ノワが一切遠慮せずに撃てば、トマスたちすらも砲撃に巻き込むことになる。


 そしてトマスは、それを躊躇するなと今ノワに命令したのだ。


――色無しペルーセオどもに比べれば、私たちの方が塗り替えには強いけど……


 あり得ベからざる色の塗り替えには、生物、物質、色無しペルーセオの順に高い耐性を持つ。


 色無しペルーセオと違い、元より色を持つ有色界ピナコセラの住人は、多少色を上塗りされても生命に影響はない。

 だが、それでも存在強度は少しずつ削られていく。程度の差こそあれ、本来の色でなくなれば色無しペルーセオ同様に弱体化するのは人間も同じなのだ。


 ノワのくろに巻き込めば、その瞬間だけは縫織士テクスターたちは有利になる。弱体化は色無しペルーセオのほうがより激しいからだ。

 だがそれによって縫織士テクスター側もまた少しずつ存在強度を削られていき、しかし目の前には無色界ペルシドゥラスより現れた次なる色無しペルーセオが立ち並ぶのだ。


 そして、何より。


――昼に地面を巻き込めば、そこからも有色界ピナコセラは崩れていく。


 ノワが塗呪投射を躊躇うのは何よりもそれが嫌だからだ。世界にはあるべき色があり、矛盾した色を置けば存在強度が失われてやはり世界はほつれていく。

 有色界ピナコセラを守る紡彩士ピクターのその手で、有色界ピナコセラを壊すことになるのだ。


 これこそがノワが普段より【黒泥】と忌み嫌われる最大の理由である。普通の紡彩士ピクターなら、地面と同じ色を合成し塗呪投射すればいい。それで色無しペルーセオだけを弱らせられる。

 しかし黒しか扱えないノワにはそれができない。ノワのくろはどれだけ薄めてもそら恐ろしいほどに全てを黒く染め上げる。誤射――というより有色界ピナコセラごと色無しペルーセオを殺すのがノワという紡彩士ピクターだ。


――これはもう、焦土戦術だ。


 この土地で生まれたトマスたちはだから、そんな加減の効かないノワを毛嫌いしていて、しかしそのトマスがついに「迷わず撃て」との判断を下した。

 ノワだって人の子だ。その判断がどれだけ心苦しいかは想像が付く。自分の手で自分の故郷を壊す命令を下すなんて――


「ノワ、命令でしょ。迷わず撃ちなさい」


 肩を小突かれて振り返れば、エルケが己の色皿パテラに肌色を調合してノワを睨んでいた。

 確かにノワが黒をばらまいた上からノワが肌色を塗呪すれば、トマスたちの消耗は最低限に抑えられるだろう。


 だが、土地の負担はどうやっても消し去れない。エルケの色素量は凡百のそれなので、ノワの手で黒く塗られた地面全てを茶色に塗り直すなど不可能。精々皆の肌を塗り直すのが限界だ。


「どれだけ削られても、生き延びれば明日を迎えられるわ。でも負けたら全てが終わる。やるしかないのよ」


 そうエルケに強い口調で語られて――ノワも覚悟を決めた。やるしか、ないのだ。


「トマスたちには前髪は諦めて貰おう」


 ノワもまた絵筆ペンテルスを握り直して、そう何でもなさそうに嘯く。

 ノワは普通の紡彩士ピクターと違い、色皿パテラは使わない。黒一色しか使えないノワには色を混ぜる意味がないから、だからの両手持ち大型絵筆ペンテルスだ。


「ハリーは幸運ね。支部で唯一の黒髪だからハゲずにすむわ」


 エルケもまたノワの軽口に付き合って笑う。

 笑えるのはいいことだ。たとえ作り笑いであろうと、心はそれだけ奮い立つのだから。


 トマスらが歩兵型ルプスらに抗している背後では今も、無色界ペルシドゥラスから増援が続々と現れており、


――強攻型レオー突撃型アペル、いよいよこっちを突き崩すつもりだ!


 トマスらが三人がかりで挑んで一蹴されかけた強攻型レオーが複数姿を現し、いよいよノワは覚悟を決めた。

 ノワの支援無しでは、トマスらはここで終わる。ここで終わらせてはいけないから、だからノワはヴェルセリアの林を終わらせると決めた。


「皆、余裕があったらフード被って!!」


 前線を維持している縫織士テクスターらに警告を放って、口の中で三つ、数えて。


「【雨散塗呪プルヴィウス・リニオー】ッ!!」


 斜め上に構えた絵筆ペンテルスから漆黒の意思を撃ち出すと、それが空中で弾けて広範囲に塗呪の雨を降らす。

 線の攻撃であった【塗呪一閃リニア・リニオー】とはその範囲が桁違いに広い、面での、しかも上からの制圧だ。

 上空からの漆黒の雨は、どこに避けようと色無しペルーセオどもを容赦なく黒く染め上げていく。

 そして色さえ付いてしまえば、さしもの強攻型レオーとてトマスらの敵ではない。首を落とすのがただ手間なだけの、動く的だ。


「ノワ、エルケ来てくれ! 今のうちに紡績頼む、少しでも回収しておきたい!」

『了解!』


 あらかた首を落とし終え、周囲が糸の山だらけになった林が、少しずつほつれていく。

 この林を――たとえ黒泥にしかならなくても、再生させるための糸は必要だ。たとえ真っ黒の、それ以外にはもう染まらない糸であっても。


 敵増援の来る間隙を縫って、


「紡げ、紡錘フューサス


 ノワとエルケは絵筆ペンテルス紡錘フューサスに持ち替えて、元は色無しペルーセオだった糸を回収していく。

 大量の糸だ。だがこれを投じてなお、ノワが塗り払った面積を再生させるのが精一杯で有色界ピナコセラを広げるには至らないだろう。


 だが、維持はできる。かろうじてまだ有色界ピナコセラとして維持ができる。

 たとえそれが実り豊かな林ではなく、何も生み出せない黒泥だとしても――




   §   §   §




 そうやって、何回か強攻型レオーらの攻撃を退けて彼らが一息ついていた、その時に。


 突如として、大気が震える。

 これまでのそれとは比較にならない破界声ラケロ ヴォクス無色界ペルシドゥラスの向こうから、ここから出せとばかりに領境を揺るがし始める。


「紡績中止、迎撃態勢!」

『了解!』


 紡錘フューサスを再び絵筆ペンテルスに持ち替え、縫織士テクスターたちは太刀鋏フォーフェクスを握り直し――


 そうして、姿を現したそれを前に、誰もがただ怖気の籠もった息を呑むことしかできない。



 その体格は、トマスたちの十倍超。体積に至っては三十倍を軽く超える。

 半透明の体に大量の鱗を貼り付けて、人宜しく二本の脚で地面を這いずる様は醜悪の一言。

 長い尾は鞭のようにしなり踊って、それが地面を叩くだけで、雄叫びもなく地面がほつれる。


「な、なんだ……あれ」


 トマスらは見るのは初めてだろう。エルケも呆然とただ見上げるだけの有様からして同様だ。

 だが、ノワは見たことがある。訓練校に入る前から、家の方針で紡彩士ピクターとなるべく育てられてきたノワは見たことがある。



焼却型ドラコー、久しぶりね」



 ここでこいつと出会うことになるとは思わなかった。


 だが、ある意味では好都合だとノワは絵筆ペンテルスを構え直す。




 記憶にあるのは、地を埋め尽くすほどの焼却型ドラコー殲滅型ベヘモスの群れ。




 破界声ラケロ ヴォクスを受けてほつれていく市民の姿。




 悲鳴と罵倒と、絶望色に染まった声。




 一瞬にして最初からなかったかのように消え去った街。




「一体だけだ――そう、たった一体だけなら……この私が塗りつぶしてやる!」




 お前たちには負けられない。




 この怒り漆黒で、全てを塗りつぶしてやる。






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