第5話 精霊の叫び






「クケェーーー! クケェエエーーーーー!」


 鶏の鳴き声にも似たその叫びは、一瞬にして織界士団テキスタスアルセリア支部に寝泊まりしていた一同の意識を覚醒させる。


 織界士団テキスタスアルセリア支部の裏庭を彷徨っている、一見して緑色のトサカを持つ鶏にしか見えないニワタリ様は、支部長であるトマスと契約しているこの土地の精霊プネウマだ。

 世界に根付く精霊プネウマだからこそ、当然侵略者たる色無しペルーセオの気配に敏感だ。


 そのニワタリ様がばさばさと翼を大きく揺らしながらここまで吠え立てるなど、尋常の事態ではない。


 タイツに足を通しプリーツスカートをホックで固定、ブラウスの上から織界士団テキスタスのフード付ケープコートをリボンで留めて白い手袋を嵌める。

 いつも通り三つ編みを編んでいる時間なんてないから、後ろで一本に纏めてくるっと軽く縛って終わりだ。髪など所詮、目に入らなければそれでいい。


 織界士団テキスタスの身支度を調えたノワは絵筆ペンテルス紡錘フューサスを引っつかんで自室から飛び出した。


「エルケ!」


 ほぼ同時に部屋から出てきたエルケとて、流石にノワに毒づいている余裕などどこにもない。


「一階に集合、急ぐわよノワ!」

「分かった!」


 スカートがめくれるのにも構わずエルケとノワは階段を一足飛びで飛び降りていく。


「ノワ、エルケ!」


 二階にて、こちらも左右一組の太刀鋏フォーフェクスをまだ腰に佩けてもいないユアン、ハリーらと合流。


「二人とも怪我は? まだ病み上がりでしょうに」

「気にしてる余裕ねぇだろエルケよぉ」

「ああ。いい加減ベッドで寝てるのも飽き飽きしてたところだ」


 二人のそれが強がりであることを承知しつつも、ノワもエルケもそれ以上は何も言えない。

 今もニワタリ様は裏庭でずっと危険を訴え続けている。こんなこと、最年長のエルケだって体験したことがない。


 揃って一階のホールに駆け下り――というかほぼ揃って着地すると、多分寝不足になりながら書類整理をしていたのだろう。顔色の悪いトマスは既にその場で一同を待ち構えていた。

 普段エルケと共に出撃している、ノワと同世代の縫織士テクスターはまだ二階から降りてこない。準備に要する時間差は経験の差でもあるから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。


「悪い、ユアン、ハリー。療養生活はこれでお終いだ」

「阿呆、ニワタリ様があんな喧しく叫んでる横で寝てられるかっての」

「そうそう、気にすんな大将」


 ポン、とトマスに肩を叩かれたハリーとユアンが太刀鋏フォーフェクスホルダーを腰に留め終えたところで、ようやくエルケ班の縫織士テクスターが一階へと駆け下りてくる。

 遅い、と叫びたいトマスであったが、いま仲間内の空気を悪くして得られるものは不利だけだ。静かに後輩が集まるのを待ち、一言。


軍団レギオがくるぞ、全力出撃する。明日のことは考えるな」

『了解』


 ハリー、ユアン、エルケ、ノワの四人は短く応じたが、エルケ班の縫織士テクスターらは不安そうに顔を見合わせてしまう。


「あの、トマスさん。具体的な作戦とか……」

「現場を見てから考える。戦場はニワタリ様の向きから相変らず街の東、ヴェルセリアの林だ。挟撃はなしと予想。色無しペルーセオめ、正面から踏みつぶせると踏んでやがるな。行くぞ」


 そう言い捨てたトマスが踵を返し、先陣を切って軍靴の音も高らかに出入り口へと向かえば、残る士団員もそれに従うのみだ。



 外に出れば、向かう先はまだ朝日が眩しい時間だ。少年少女たちが井戸に水汲みに来ていて、わあきゃあ笑いながら滑車を回して釣瓶を引き上げている。

 パン屋の屋根からは竈の煙が白く立ち上っていて、誰もが軽い空腹を覚えたが――腹にある固形物は吐いたときに喉を詰まらせる可能性がある。その危険性を、全員が一度は体験・・している。


 牛乳の入った缶を乗せた荷車を引くロバが、飼い主と共に硬い顔で外を目指す少年少女らを目にして、頭を垂れる。

 ロバは主の真似をした習慣で、そして飼い主はこれまでずっと街を守ってくれている英雄たちに感謝を込めて。


 そうやって織界士団テキスタスアルセリア支部全員が揃って出撃する様に、アルセリアの街の門番は経験がら悟ったようだ。


織界士団テキスタスアルセリア支部長トマスより信号弾を省略した略式通達。市政議会に市街地の民の避難準備を要請する。万が一俺たちの誰かより先に色無しペルーセオの姿が見えた場合、外壁だけでは長くは持たない。迷わず退去を」


 緊急時にはそれに応じた色の信号弾を挙げるのが織界士団テキスタスの通例だが――その為の色素すら今は惜しい。


「……了解だ、死ぬんじゃねぇぞトマス」


 年嵩の兵士が敬礼し、即座に配下に警鐘を鳴らすよう指示する横を、ノワたちは無言で駆け抜ける。

 急ぎ林を抜けて広がる泥沼の前に立てば、精霊ならぬノワたちですらもう肌で感じ取ることができる。


 世界をほど色無しペルーセオの雄叫びは、もう有色界ピナコセラの目と鼻の先にいる。


「ノワ、射撃準備。何も遠慮しなくていい。何を巻き込んでもいい。可能な限りの色無しペルーセオを巻き込んで撃て。エルケは適時不利な味方の補佐を。糸の回収は余裕があればでいい」

「了解」


 エルケが短く返す一方で、ノワは即座には頷くことができない。


「……分かってると思うけど、私は絞るの下手だから大量に土地を巻き込むよ、それでもいいんだね」

「構わない」


 ノワはエルケとは比較に――否。手練の紡彩士ピクターすら比較にもならない色素の持ち主だ。

 然るに解体する前の色無しペルーセオに無理矢理色を付けていく戦法は単純に色無しペルーセオを倒すだけなら極めて有効だ。


 トマスが、ハリーが、ユアンが腰の太刀鋏フォーフェクスを抜きはなった。

 足止め用のアクスは不要だ。最早環境に留意して迎撃する余裕など、トマスたちが持てるはずもない。




 驚くほどに静かな林に、トマスたちの呼吸の音だけが響き渡る。

 焦燥に駆られながら、誰もが無色界ペルシドゥラスを睨む。色無しペルーセオを待つ。


 戦端が開かれるこの直前の空気に、喉がひりつき唾が粘る。

 粘る唾を嚥下し、得物を握り直す。


 肌を揺らす、世界をほどく破界声ラケロ ヴォクス無色界ペルシドゥラスから伝わってくるのに、姿は未だ見えず。


――まだか。


 逸る。焦る。息を整える。


――まだか。


 絵筆ペンテルスを、太刀鋏フォーフェクスを握りしめる。


――まだか!


 色無しペルーセオに来て欲しいはずがない。来るなと誰もがずっと思っている。

 それでも、この矢を番えた弓を引き絞っているかのような時間は、無限の一瞬のように一同を焦燥感で刻一刻と削っていく。

 だから、早く敵の姿を見たい。敵にこの怒りを叩き付けたい。


 だから、早く、早く――



――ルゥオォオオオオオオオーン!!



「撃て! ノワ!」



「【塗呪一閃リニア・リニオー】ッ!! くたばれ色無しペルーセオィ!!」



 世界を黒一色に塗りつぶすノワの砲撃を皮切りに、色無しペルーセオ縫織士テクスターが激突する。






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