第4話 【黒泥】ノワ






「だからってなんでいいように言われて、それを私一人が耐えなくちゃいけないんだ!」


 階下の食堂から漏れ聞こえる声を耳にして、ノワは拳を壁に叩き付ける。そんなことをしても何の意味もないことは分かっている。

 ノワが今やるべきことは、明日の出撃のために己の愛杖である絵筆ペンテルス紡錘フューサス手入れメンテナンスをすることだとノワも分かっている。


 分かっているのだ。エルケはただ不安なだけだ。

 エルケは齢十八にして織界士団テキスタスアルセリア支部の最年長者であり、年下の仲間の前では気丈でいなきゃいけないから、そう振る舞っているだけだってノワも分かっているのだ。


 分かっているが、それでも許せない。

 限界なのはエルケだけでなくノワも同じだ。


 訓練校時代からずっと、そうやって馬鹿にされてきた。


 己が魂から絞り出せる色とは、そのものの魂の色であると。

 黒しか扱えないノワはだから、根暗で陰鬱で性格の悪い女だと。心の真っ黒な女だと。


 ずっとそうやって馬鹿にされてきた。

 ずっとそうやって踏みつけにされてきた。

 それでもノワが一人前の紡彩士ピクターとして訓練校を卒業できたのは、そんなノワですら投入しなければならない程に織界士団テキスタスは人手が足りないからだ。


 誰かを馬鹿にしなけりゃ心の平静を保てないのは分かっている。安心など、織界士団テキスタスに所属する限り永遠に得られない。

 有色界ピナコセラは緩やかに破滅へと向かっている。末端の紡彩士ピクター縫織士テクスターがどれだけ血を吐いたところで、この有色界ピナコセラは維持できない。




   §   §   §




 十八年前のタリアサス王国の陥落、そして十年前のフィーノス王国の陥落がこのユーグラリス大陸国家群にとっての致命傷となった。

 色無しペルーセオの大規模襲撃により両国が陥落したことで、このユーグラリス大陸に残された大規模世界維持装置、【大織界機マグナ・テラリウム】はその残数が六機となった。


 言い換えれば、三百年前は十八あったユーグラリス大陸国家は、このアルセリアの街があるノクタリア王国を含めた六つにまでその数を減じた、ということである。


 最高峰の紡彩士ピクター縫織士テクスターが力を合わせて世界を紡ぎ出す、創界の女神ラクテウスより与えられた【大織界機マグナ・テラリウム】がなければ、有色界ピナコセラは維持できないのだ。

 それこそ、末端がどれだけ骨を折っても無色界ペルシドゥラスには抗し得る筈もない。


――所詮、これらは【大織界機マグナ・テラリウム】の縮小品でしかないものね。


 絵筆ペンテルス紡錘フューサスも、紡彩士ピクターが携行できるように【大織界機マグナ・テラリウム】の機能を徹底的に絞ったものだ。その分性能も大幅に低下している。

 こんなもので端っこでちまちま世界を編んでも――無意味ではないが、大局は変わらない、変えられない。


 【大織界機マグナ・テラリウム】が九機稼働していて、ようやく世界は拮抗できるというのに――

 この大陸に残る【大織界機マグナ・テラリウム】は六機、たったの六機だ。もう三分の一しか残っていない。


――近く、【大織界機マグナ・テラリウム】奪還のための精鋭部隊を編成するって話だけど。


 絵筆ペンテルスを分解し、乾布で土埃を落としながら、ノワはハッと織界士団テキスタスの焦燥を鼻で笑う。

 なんにせよ、落ちこぼれのノワには関係のない話だ。それでフィーノス王国とタリアサス王国を奪還できるもよし、できないもまたよし。


 どちらにせよ黒一色しか扱えないノワの未来がそれで明るくなるわけでは無い。

 昏い世でも明るい世でも、【黒泥】ノワは永遠に嘲笑され侮蔑される存在でしかないのだから。


――こんな考え方しかできないから、黒しか扱えないって言われるのよね。


 そっと、ノワは組み立て終えた絵筆ペンテルスを己の傍ら、ベッドの上に置く。

 大枠では杖の形をしているノワの絵筆ペンテルス紡彩士ピクターが扱う中でも最も大きい部類であり、そして絵筆ペンテルスの大きさはそのものが扱える色素に比例する。


 たとえば、同僚のエルケが扱う絵筆ペンテルスは文字通り羽根ペン程度の大きさしかない。

 己の身長をすら超えるノワの絵筆ペンテルスとは、同じ機能を持たされた装備には一見して見えないだろう。



 縫織士テクスターの実力がより早く色無しペルーセオを撃退し、より早く丁寧に世界を編めることで決まるのと同様。



 紡彩士ピクターの実力はどれだけ多くの色を扱え、またどれだけ多くの世界を適切に塗りつぶせるかで決まる。



 ノワは前者の才能は最低だが、後者、特に色素――つまり無補給で塗りつぶせる範囲に関しては最上位紡彩士ピクターにすら比肩するほどだ。

 だから己の身長を超える絵筆ペンテルス織界士団テキスタスより支給され、それを見た者は誰もが最初はノワを優れた紡彩士ピクターだと誤解して持て囃す。そして、誤解が解けた後に嘲笑する。


 これはもうお約束と言っても過言ではないほど、ありとあらゆる人からノワが味わわされてきた厳然たる事実である。


――今日出てきた色無しペルーセオ強攻型レオーか。ここで出てきたのは初めてだね。


 一度解体して乾布で磨き、潤滑油を差して組み立て直した紡錘フューサスを壁に立てかけて、ノワは一人腕を組む。

 トマスやハリー、ユアンは確かに若造だが、一年以上このアルセリアの街で戦い続けて、そして死ななかった縫織士テクスターだ。


 まだベテランとはお世辞にも言えないが、一年戦って死んでないのなら少なくとも無能ではない。優秀だから死なずにすんだのだ。

 そんなハリーとユアンが手傷を負わされたのは――それも仕方のないことだ。成長しているのは有色界ピナコセラ側だけではないのだから。


 無色界ペルシドゥラスは異世界で、そして侵略者だ。だからこそ色無しペルーセオはその先兵であり、倒されることを加味して放たれている、と分析されている。

 小型から中型、大型と大小緩急つけて放たれる色無しペルーセオは、それが倒される時間でこちらの戦力を測っているとも言われている。


 だが、完全な法則性はまだ織界士団テキスタスも掴めてはいない。

 それでも大型が現れたということは、そこに無色界ペルシドゥラスが戦力をつぎ込み始めた証左であるのは疑いなかろう。


――攻勢、あるかな。まぁあったとしても何もできないんだけどね。


 織界士団テキスタスに応援を要請しても、きっと救援は来ないだろう。

 だからノワはエルケを鼻で笑うのだ。戦術の評価? だったらちゃんと色無しペルーセオの意図の一つでも看破してみろよ、と。






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