第2話 有色界と無色界
神に見放された
元々名前など存在しないただの世界だった
真面目に生きようとしない、命を紡ごうとしない人類に創界の女神ラクテウスが怒りを発し、人の生活に転換をもたらした。
だがその女神の怒りを受けてなお人は反省することもなく、そうして目に見える形で世界が終わり始めたのが、三百年前の
月が欠けることはこれまで幾度もあったため、民はそれを深刻なものとは捉えなかった。
だがいつまで経っても欠けた月は戻ることなく、次第に月はその輝きを失い始め――空に広がる謎の空隙が地平線にまで達したとき――奴らがそこから湧き出てきた。
世界の色を喰らうもの。
世界を
その侵食に当然人類は抗ったが――所詮は女神の忠告を受けてすら反省などしなかった人類である。
当時に最初から一丸となってこれに抗していれば、まだこの世界は名もなき唯一世界であり、
有識者たちが額を付き合わせて検討した結果、色を奪われ人が入り込めぬ空間となった場所には異世界が存在している、と推測された。
つまりは、異世界からの侵略を受けているということだ。
その異世界を暫定、
即ち
それは異世界に抗し得ずにいるからこそ、この世界に名付けられた敗北の
もし早々に
§ § §
「手ひどくやられたな、トマス。大物か?」
アルセリアの街の入口にて門番にそう問われたトマスは、小さく頷いた。
「久しぶりにな。かなりの手練だった」
ヴェルセリアの林が
能うならば
だが、
「まあ、時間も時間だしな、夜の闇の中で
長年アルセリアの街の門番を続けていた男は、そこで紡ぐべき言葉を見失った。そこから先は言っても詮無きことだからだ。
わざわざトマスたちが視認性が低下する時間に出撃していたのは、当然
「ゆっくり傷を癒やしてくれ、お前たちだけが頼りなんだからな」
「ああ、分かってる」
全世界的に見て、人類にはもうかなり後がなくなってきている。言い換えれば、
だから未だ若造であり、しかもたった一匹の
だって、アルセリアの街はまだ
これ以上小さい街になると
駐屯士団がいなくなった街から順に、
それは周囲を見回せば明らかであるのに、どうして未だ若いトマスたちに唾を吐けようか。
「【黒泥】、お前さんもな」
「私を【黒泥】と呼ぶな。私にはノワって名前がちゃんとあるんだ」
門番をそう睨み付けた白髪の少女――ノワは吐き捨てるようにそう言うと、大股に
またやってしまった、と門番の老兵は頭をかいた。励ますつもりが怒らせただけに終わってしまった。
彼が若い頃は、二つ名持ちの
だがノワは違う。ノワの二つ名は、その
§ § §
夕暮れの出撃にはよいこともある。
たとえば、人口六千人に迫るアルセリアの街ですら、街灯を灯す余裕はもう失われていることとか。
暗い夜道のおかげで負傷した二人の姿は殆ど市民の目に留ることなく、石畳みから雑草の覗く、そろそろ再整備が必要な街路を行くことができる。
負けてはいなくとも負傷者の姿は市民からの不満や憐憫を集めるから、人目に留らないのはよいことだろう。
彼らの帰るべき場所、
男子は二階、女子は三階。一階は共有スペースで個室の数は三十に迫る。最盛期には二十人以上の団員が寝泊まりしていたその建物に宿る灯火の光は、今はまばら。
兵舎の戸を開き、三階にある自室へ戻ろうと階段を上っていたノワの前に、一人の少女が立ちはだかって道を塞ぐ。
「二人負傷、要安静。無様なものね【黒泥】」
「無様なのはあいつら。私じゃないよエルケ」
エルケと呼ばれた、ノワより二つ年上の先輩である
「どうせ貴方が盾になってりゃ防げた損耗でしょ。貴方、
そんなエルケの指摘に、ノワは表情一つ変えず階を上る足を進める。
「ちょっと、聞いてるの!?」
「煩いな、聞いてるよ。ならまずエルケが盾になればいい。
「何ですってぇ!」
この二人がこういがみ合うのはいつものことだ。そして両者の指摘はどちらも正しい。
仲間内で罵り合うことに意味などないのに、互いが互いに丸めてもいない言葉の針で突き刺し合うのは――どちらももう限界だからだ。
「休ませてよ。出撃してきた相手を詰って楽しい?」
「私は未来の為の戦術評価をしているのよ!」
「だから、それは私のいないところでやって。結果だけ聞かせてよ。どうせ最後には私に対する悪口になるんだからさ」
上を取るエルケを押しのけるようにしてノワは自室へと戻ると固く鍵をかけ、シーツの下に藁を敷き詰めたベッドへと倒れ込む。
戦術評価? 馬鹿らしい。最終的な結論はいつだって決まっているというのに、それをすることに何の意味があるというのだ。
どうせ下される結論は常に、「黒しか塗れないノワが悪い」にしかならないのだから。
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