第2話 彷徨う魔女

 白い渦に巻き込まれた意識が、徐々にハッキリとして来る。悪夢にうなされたかの様にガバッと起き上がると、そこは自分のアパートの部屋でもなく、白い空間でもないありふれた緑の草の上であった。

 ただ普通と違うのは、少し離れた場所に薄黒いモヤの巨大な塊が存在している事である。その範囲はかなり広大な様だ、全く全容がつかめない。あのモヤが瘴気なんだろう。

 白い法衣の御老体は、吸収すべき瘴気の近くに転移させると言っていた。

 それと移転したては、弱っちいからすぐに瘴気を吸収しろと言っていたな、と思い出すと同時に薄黒いモヤに向かってダッシュした。

 モヤに近付くと、タバコの煙を空気清浄機が吸い込む様に身体へモヤが入り込んで来る。

 匂いはない。タバコの酷い臭いがするようだったら、早々にリタイアするとこだった。

 なんとなくだが、身体にエネルギーが蓄えられている感じがする。だが、まだ弱っちい状態に変わりがないだろうからモヤが濃そうな中心部には入らず、外周に沿って歩いて行く。


 歩き出すと、自分が裸足で部屋にいた時のスウェット上下なのに気付く。御老体よ、時間がないからってこれはないんじゃないだろうか。どこの世界でもこれは防御力ゼロだろう。これで勝てるとしたら、すっぽんぽん以外はあり得ないだろう。

 草の上を裸足で歩くなんて、なんてこそばゆいんだろうと思いながら、モヤが濃くなっている部分に目を向けると、段々と草が枯れていき地面がむき出しなのが見えた。これは尚更、中には入って行きたくなくなって来た。

 薄黒いモヤを吸収しながら外周を歩いていると、その曲がり具合からモヤは円の形をしてるんじゃないかなと思えて来た。このまま歩いて行けば、元の場所に戻れそうだなんて考えていたら突然、頭の中に声が聞こえて来た。

「規定の魔素量に達したので、元マスターから付与された取り扱い説明書的なモノを起動致します」

 なんだコレ?…そう言えば、御老体が白い空間ですべて説明する時間がないから取り扱い説明書的なモノを付与しとくって言ってたな。

「うん、よろしくお願いします」

「取り扱い説明書的なモノを起動致しました。現マスターお見知りおきを」

「取り扱い説明書的なモノって事は、わからない事があったら質問すれば答えてくれるのかな?」

「イエス、マスター。大抵の事柄は網羅されております」

「わかった、ところで君の事はなんて呼べばいいんだろうか?」

「元マスターからは取り扱い説明書的なモノとしてか登録されていませんので、その呼び方で問題ないかと…」

「イヤイヤ、こっちに問題大有りだよ。長過ぎる」

「名称変更に関しての規約をチェック。マスターの権限において名称を変更出来ます」

「あ、そうなんだ。取り扱い説明書的なモノだと長過ぎるからトリセツで!」

「マスターからのオーダー、名称変更を確認。名称を取り扱い説明書的なモノからトリセツへと上書きします。上書き成功…そのまま保存致しました」

「それじゃさっそくトリセツ、この薄黒いモヤが瘴気って事でいいのかな?」

「はい、魔素が邪気に汚染されて黒く変色している瘴気で間違いありません」

「汚染…放射能汚染みたいなもんか?そんなもん身体に取り込んで大丈夫なんだろうか?」

「普通の生物は生きていられませんが、マスターは取り込むと同時に分離浄化しているので問題ありません」

「なるほど、人間空気清浄機みたいなもんか」

「マスターのイメージで問題ないかと…魔素の蓄積量に応じて出来る事が増えますので、このまま瘴気を吸収することを推奨いたします」

「わかった、このまま歩いて行こう。ちなみに着るものとか靴ってなんとかならない?」

「防御力の高い装備品等はまだムリですが、防御力のあまりない村人、旅人程度の服装なら今の魔素量で作成可能です。どちらを作成しますか?」

「それじゃあ旅人でお願い」

「かしこまり」


 身体の周りを白いモヤが取り囲むと、たちまちスウェット上下がシャツとズボンに変わり、ポンチョの様な革の外套を上に羽織った旅人が出来上がった。靴は革で出来たショートブーツだ。これってメチャクチャ便利じゃないかと思った。ネット通販なんか目じゃないよ。

 裸足じゃなくなったことでテンションが上がったので、いそいそと瘴気の外周回りを再開する。

 しかも魔素を吸収するとエネルギーが補充されるみたいで、いくら歩いても疲れがない。この世界でなら飛脚で食って行けるんじゃないだろうか。

「マスター、魔力探知を取得しました。これにより周囲に存在する魔力を認識出来ます。さっそくですが、後方1キロほどに異質な魔力を探知致しました」

「向こうの反応はどうなってるの、襲ってくる様な気配がありそう?」

「まだこちらを見つけてはいない様です。一定の速度で移動中」

「それなら保留で、瘴気の吸収を優先しよう」

「イエス、マスター」


 そのままぐるぐると外周を回って瘴気を吸収していると、

「マスター、魔力鑑定を取得しました。これにより対象物の鑑定が可能になります」

「さっき探知に引っかかった魔力の鑑定出来る?」

「イエス、マスター。彷徨さまよう魔女の歩く家です」

「危険度はどんなレベル?」

「生物の魔素を奪い取る不死の魔女と呼ばれていて、冒険者ギルドの危険度ではSクラスに指定されています」

「危険度Sクラスってどんな感じなの?」

「討伐不可能なので、手出しするな…ですね。全種族にとっての脅威とされています」

「ワオ!いきなりとんでもないのが出て来たね。やり過ごすしかないかな」

「マスター、それフラグです。魔女に見つかりました、接近遭遇まで3分です。マスターの現在の魔素量では逃亡は不可能です。カップラーメンなら作れます」

「トリセツさん、カップラーメンの情報いりますか?作れても食べる時間がないよ」

「さすがはマスター、気にするのそこですか!元マスターが見込まれる訳です」

「まあね…それって褒めてもらえてるのかな?」

「ところでマスター、魔女への対応はどういたしましょう?現在の魔素量では殲滅攻撃は不可能です」

「いきなり過激だね!すべての交渉は対話から始まるんだよ」

「かしこまり」

 なんだろう、トリセツに時々モヤモヤさせられる。モヤだけに…

「………」

 薄黒いモヤだけに…

「……」


 なんて会話をしていたら、彷徨う魔女の歩く家が少し離れて停止した。三角帽子っぽい屋根が載った家の下に手と足が生えている。家の扉が開くと、三角帽子をかぶって、童話に出て来る如何にも悪そうな魔女が顔を出した。家の回りにあるデッキの手すりを掴みながら、

「見たことない顔だね。ワレでも近づけない邪気を含んだ瘴気溜まりを平気で歩いているとは、いったいオヌシは何者じゃ」

「地球という異世界から来て、異常発生した瘴気を吸収してる者です」

「異世界人かい?珍しいね、そこそこ旨そうな魔素がありそうだね。ちょっとこっちに近づいて来てくれないかい?」

「そう言われて、はいそうですかと近づく人はいないと思いますけど」

「まぁ、そうじゃろうな。だがこの距離なら問題ないじゃろ。エナジードレイン!」

 いきなり魔女の前に魔方陣が浮かび上がると、せっかく蓄えたこちらの魔素を奪い取ろうとする。

「マスターへの敵対行為を確認、自衛権の発動に伴い対抗策を強制発動します」

と、どっかの国の軍隊ではない自衛集団の行動規範みたいにトリセツが言うと、同時に魔女が苦しみ始めた。

「なんじゃこれは!ワレのエナジードレインが逆流している。オヌシ何をしたんじゃ…プギャ」

 なんとも情けない音と共に、デッキに立っていた魔女が急に縮んで倒れ込んだ。

「トリセツ、いったい何が起きたんだ?」

「魔女がマスターの魔素を奪い取る行為に及んだので、その魔法を逆流させ10倍返しで魔素を吸い取ってやりました」

「トリセツ…怒らせると怖い子…ガクブル」

 魔女の魔素を吸い取った時に魔女の意識というか記憶といったものが流れ込んで来た。

 出身はゴルゴン女王国で、ゴルゴン3姉妹の次女エウリュアレ…交渉は対話からとか言っといて、名前も聞く間もなく決裂してしまったな。

 『広く彷徨う女』という2つ名を持ち魔法全般に詳しく、エナジードレインで他の生物の魔素を奪い取るのが趣味…趣味だったんだ。


 ゴルゴン女王国の女王は3女のメデュサ、状態異常の魔法を得意とする。頭に生えている無数の蛇に睨まれると石化する…なんて噂されてるらしいが、頭にあるのは本人がオシャレだと思っているドレッドヘアーなんだそうだ。蛇じゃないらしい、もちろん石化の魔法は使えるので話半分といったところか。


 長女のステンノの2つ名は『強い女』。身体強化の魔法に特化したゴリゴリ筋肉の巨体脳筋女らしい…よほど長女が嫌いらしいな次女エウリュアレよ…記憶の中でディスり過ぎだろ。アマゾネス軍団を率いるイケイケゴリラ姉ちゃん…絶対嫌ってる…らしい。


 面白そうだなゴルゴン3姉妹。そう言えば当の本人はトリセツの10倍返しでぶっ倒れてるんだったな。

 思い出して歩く家の前に立つと、トロルのように引き締まった緑色の長い腕が、手のひらを上にして差し出された。手のひらに乗るとデッキのところまでスッと持ち上げてくれる…なにこれ、ちょっとカワイイよ。

 デッキに降りると、魔素を完全に吸い取られてミイラの様にからっからっに乾き切った魔女が横たわっていた。

「マスター、現在の魔素量では無限収納が使用出来ないので、この魔女の天日干しは瘴気を浄化している空間に放り込んでおきましょう。マスターに弓引いた事を徹底的に後悔させて差し上げます」

 トリセツを怒らせるとホント怖いなと思っていると、魔女の天日干しが吸い込まれて行った。色々と知ってしまった現状では、少し情がわいちゃってるんだけどね。


 こうして、マスターこと私とトリセツとの異世界戦略がわちゃわちゃしつつも、スタートしたのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る