番外編:この幸せを胸に秘めて(後)

 レアンドルがわざわざ俺を訪ねて来たのは、学校を卒業してしばらく経った頃の事だった。彼も政治の世界に入り、俺たちはそれぞれ違う施策に駆け回っていた。


「俺の方は、昨日決着して落ち着いたんだ。お前の方はまだ忙しいのか?」


 まだ仕事が残る俺を気遣ったのか、王宮の人気のない休憩室で、どこからか手に入れて来た夕食の包みを手渡してくれる。


「さすが王子、豪華じゃないか」

「もう学生じゃないんだ、その呼び方はやめろよ」


 レアンドルは渋い顔をする。宰相は甘い人間ではないし、魑魅魍魎が蠢く王宮は血筋だけで渡れるほど易しい世界ではない。彼なりに、ひどく苦労している事だろうとは思う。


(でも、お前は俺には絶対に手が届かないものを手に入れたんだからな)


 妬む気持ちが全く無いとは言えない。でも、レアンドルが彼女に誠実に向かい時間をかけて彼女の心を掴む努力をしていた事を知っている。俺は彼女の特別だと奢り、油断して努力を怠った。当然の結果だろう。


 俺は遠慮なく夕食に手を付けた。腹が減っていたから素直に嬉しく思う。


「お前は政治に興味が無いと思ってた。学者にでもなるのかと思ったよ」


 レアンドルは自分用の夕食に手を付ける。


「俺も、そのつもりだった。外国に勉強しに行くのもいいかと思ってたんだ」

「何で急に?」

「ん? 宰相以上の権力を手に入れてやろうと思ってな」


 半分冗談で言ってやると、レアンドルはぴたりと動きを止めた。夕食を包みに戻すと、居住まいを正して俺の方を向いた。怪訝に思って俺も同じように彼の方を向くと、見た事が無いくらいの真剣な顔をしていた。


「もしも、もしもだが」


 歯切れ悪く、少し視線を揺らしながら続ける。


「お前の目的が、俺が思っている所にあったとしたら⋯⋯思った結末にはならないかもしれない」


 俺は軽く憎しみに近い気持ちを持つ。


「大丈夫だ、分かってる。お前は、あの国に手が届いたんだろう?――友達として会いたいと思うくらいは許してくれないか。頼む」


 最後に抱きしめた彼女の温もりを生涯忘れる事は無いだろう。嬉しそうに俺に抱きつこうとする彼女の笑顔を、死ぬまで大切に心に持ち続けるだろう。レアンドルと彼女の幸せな姿を目にする事になったとしても、それは変わらない。この胸に秘めた俺だけの大切な宝物だ。


 大丈夫だ、俺は最後の時のように、ちゃんと友達としての顔を見せる事が出来る。


 頭の中に彼女の記憶が鮮やかに呼び起こされ、泣きたくなる。でも、こいつにだけは絶対にそんな無様な姿を見せたくない。


 俺の様子を見て怪訝な顔をしたレアンドルは、少ししてから、すごく嫌な顔をした。ひどく苦い物でも口に詰め込まれたような顔をしている。


「お前なあ! 何だよ、ひどい勘違いだな」


 大げさにため息をついて肩を強く小突かれた。中等部の頃のような振る舞いだ。


「ああ、もう。そんな誤解をしてたのか。本当に頭に来るな」


(勘違い? 誤解?)


 ぽかんとする俺に、彼は説明してくれた。


「正直に言うと、お前が勘違いした通り、父の力を使ってキシリーン国には手が届いたんだ。でも遅かった。俺達は完全に負けたんだよ」

「どういうことだ」

「彼女が自由になれるよう、手を差し伸べた男がいる。そいつに見事にかっさらわれた。見た事ないか? 色素の薄い、背の高い男」


 言われてみると、心当たりはある。その男は朝の祈りの時に木陰に姿を見せた事があった。彼女の護衛だと思っていた。


「王都に行った時なんかに、姿がちらつくんだよ。最初はキシリーンの護衛かと思ったんだ。でも、ちょっといい雰囲気になった時に限って邪魔するように視界に入ってくるんだよ。思い返すと、あれは牽制されてたんだ。卒業生の夕べで俺に木の実を飛ばしたのも絶対にあいつだ」


 何をしようとしていたのかは後で問う事にする。


「クレマン。お前、彼女の育った所を正確に知っているのか?」

「彼女が去る時に教えてくれた」

「何だよ、俺には絶対に教えてくれなかったのに。それはそれで、腹がたつな」


 レアンドルはぶつぶつと文句を言いながら衝撃的な事を告げた。


「彼女は、あの男と結婚した。あの男の国で暮らしてるよ。しかもな、書類上でフィルーゼは俺の妹になってるんだ」

「妹? どういう事だ?」


 俺はレアンドルから、レオン王国と彼女の夫についての話を聞いた。彼女の恋の相手は学校の生徒だとばかり思っていたが、まさか外国の人間だったとは。


「俺は、本当に間抜けだな」


 一年以上、レアンドルが彼女を手に入れたと思い込んでいた。頭がいいと自惚れている自分の何と滑稽な事か。おかしすぎて笑いが止まらなくなった。レアンドルもつられて笑う。


 二人で涙を流しながら大笑いをした。こんなに笑ったのは彼女がまだ学校に居た頃が最後だろう。


「ひどい勘違いをして悪かったな」

「勘違いじゃなければ良かったんだがな」


 にじんだ涙を拭ったレアンドルは真面目な顔に戻った。


「偶然だが、俺も宰相に並ぶ権力を手に入れようと思ってるんだ。彼女が今いる国では、彼女みたいな力があっても自由に暮らす事が出来る。彼女は自分だけ解放される事に罪悪感を持っていた。俺は強い権力を握ってキシリーン国を解放してやるんだ。可愛い妹のためにな」


 キシリーン国⋯⋯魔術院を解放する。俺と同じ目的じゃないか。


「もし、勘違いが解けても気が変わらないなら、俺と手を組もう。一人でこの権謀術数渦巻く世界を泳ぐのは正直辛い。相棒が欲しい」

「そうだな。お前の七光りと俺の頭脳の組み合わせは最強だよな? もっとも今は、自分の頭脳をひどく残念だと思ってるが」


 俺もレアンドルも既に気が付いていた。魔術院の解放は、その存在が知られていないからという事もあるが、過去に誰も取り組んでいなかった。今までに本気で解放しようとした人間がいないだけで不可能な事では無い。


 力を合わせ始めた俺たちは、しばらくして驚くべき話を耳にした。


 ブロイがレオン王国の王女と婚約しようとしている。仲立ちとなったのは魔道具を作るという共通の趣味。レオン王国、魔道具ときたらフィルーゼの影響としか思えない。


 しばらくレオン王国に行っていたというブロイに会った時に、彼は俺とレアンドルにだけ静かに呟いた。


「俺の友達は、とても幸せに暮らしてる。大切にされているし、あいつの伴侶は信頼できる人間だった」

「ありがとう」


 レアンドルは後でぼやいていた。


「幸せで良かったと思う気持ちが半分。幸せじゃなかったら、俺が奪い取ってやったのにという悔しさが半分。何とも複雑だ」


 俺も全く同じ気持ちだった。



「あのブロイが、ついに女王の夫になるのよね。何だか不思議な気持ちだわ」


 ルアナが、凝り固まった体をひねってほぐしながら、のんびりと言う。レオン王国まで行って、結婚式と戴冠式に出席してから帰るまでの半月近い旅に、彼女の夫は快く送り出してくれた。馬車が出立する寸前まで、毎日手紙を書くだの何だの甘く言い合っていた事には閉口させられた。何年も一緒に暮らしても、夫婦というものは、こう仲睦まじく過ごすものなのだろうか。


 レアンドルは、王宮から持ち出した仕事の資料に熱心に目を通している。俺も同じだ。レオン王国には遊びに行くだけではない。普段は会えないような人とも接触する事が出来る。せっかくの機会に取り組みたい事が俺達にはいくつもある。話し相手がいないルアナは独り言ばかり言っている。


「あーあ、マルミナも一緒に来れたら良かったのに」


 身重のマルミナは残念ながら来ることが出来なかった。ブロイと噂の王女に会えない事を残念がっていた。


(本当はもう一人、会える人がいるけどな)


 ルアナもマルミナもフィルーゼの素性を未だに知らない。彼女はキシリーン国にいて二度と連絡を取ることが出来ないと信じている。


 キシリーン国を解放しようとレアンドルと決めてから、もう何年経つだろう。俺達の地道な活動と、ブロイによってより深まったレオン王国との交流によって、魔術院を隠し続ける必要が無いという考えが、国王にも根付き始めている。


 最初の一歩として昨年の祭事の時に『魔術師』が魔力が強い重要人物として公に姿を現した。今まで王宮内でも触れてはいけない謎の人だった魔術師の正体が遂に露わになったが、予想以上に人々は『へえ、そうなのか』と反感も嫌悪感も持たず受け入れた。


 国王からは魔術院の本当の意味さえ隠せるなら存在まで隠す必要が無い、ましてや所属する人間を隔離して自由を制限する必要は無いという言葉を引き出す事も出来ている。


 レアンドルと俺は、久しぶりに会う彼女に良い報告が出来る事を嬉しく思う。


 目的地に到着した馬車がゆっくりと止まった。降りた俺達は、こじんまりとした屋敷の庭に通される。建物に目を向けると数人の人影がこちらを注視している事に気付いた。


 ブロイ、恐らく隣にいるのはレオン王国の王女だろう。その後ろにいるのは。


「フィルーゼ! フィルーゼなの?」


 ルアナが悲鳴のように彼女の名前を呼ぶ。


 彼女は最後に会った時と同じ笑顔だった。いや違う。あの時よりももっと幸せそうな笑顔だった。小さな子供が彼女にしがみついている。彼女にそっくりな小さな可愛い女の子。少し離れた所に立つ男は、恐らく彼女の夫だろう。彼と、彼にそっくりな男の子は⋯⋯見なかったことにしたい。


 隣のレアンドルをちらりと見ると、目が合った。お互い少しだけ苦笑いしてから、彼女に向けて笑顔を作り直して歩み寄った。


 彼女が手を振ってくれる。ルアナが走って行って彼女に飛びついた。王女に対して失礼ではないかと気になったが、王女も笑ってその様子を見守っている。


 俺は、ちゃんと笑えているだろうか。友達としての顔を作れているだろうか。もう一度表情を作り直してから、ルアナにしがみつかれながら手を振ってくれているフィルーゼに向けて、手を上げた。


(終)

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魔術院の姫君は、恋を求める、学校に通う、魔力を振るう 大森都加沙 @tsukasa8omori8

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