学校の古びた噴水で特別な友達と別れる(終)
すう、と息を吸い込み感覚を鋭くする。色付いた葉が風と共に乾いた音を立てる。もうすぐ冬がやってくる。厳しい寒さの訪れを予感させるような、身が引き締まる冷たい風。
全身から魔力を放出して、周りの魔力と同化させた。
土の香り、噴水の強い水の香り。美しく調和した王都の魔力。
「あがきみますこのあめつち あがきみしきなぶこのあめつち――」
私は旋律に乗せて『あの方』への感謝の気持ちを伝える。今日の夕刻には『あの方』にも会えるはず。離れている間に色々な事があった。戻ったらその気持ちを『あの方』に伝えたい。
(大切な思い出に満ちたこの土地が、永遠に平らかでありますように)
私が紡いだ言葉は音楽となり辺りに広がった。冷たい風に乗って遠くまで運ばれる。
「――いりひさしみずのねさやけし しみさびたてりみずやまうまし」
何度か繰り返して、私は朝の祈りを終えた。
視線を地面に落とすと噴水の縁に腰掛けた。クレマンの顔を見る事が出来ない。
「⋯⋯発つのは、朝食の後だったか?」
「うん。皆が学校に行った後くらいかな。その頃に迎えが来る予定なの」
「そうか」
クレマンと二人で話すのは、これが最後になるだろう。学校で過ごす日は毎朝、祈りの時間を一緒に過ごした。
「雨の日には来ないと思ったの。でも毎日来てくれた。ありがとう」
クレマンが少し笑ったのが分かる。
「お礼を言うのは俺の方だ。雨の日の歌は晴れの日とは違う趣があった。毎朝、美しい歌を聞かせてくれて、ありがとう」
私は昨日の夜から緊張していた。皆との別れを寂しく思い、思い出を振り返りながら、この瞬間が来る事を恐れていた。
「あの、約束の事なんだけど」
クレマンは身動き一つしない。
ここを去る時に身元を明らかにすると約束をした。断片的に察してはいるだろうけど、彼は知っている事をはっきりと口にした事は無い。私は魔術院との約束を破る事にひどく緊張する。
「やっぱり、知りたい?」
そっと横に座るクレマンの顔を見上げると、真剣な瞳とぶつかった。
「禁止されている事を強いるのは申し訳ないと思ってる。でも知りたい」
「分かった」
初めての友達。私の事を無条件で信じて助けてくれた大切な友達。私も彼を信じる。
「私はリンドゥルヌの森にある魔術院で、この国を守る役目を担っているの」
さすがに魔獣の王については触れられない。国土全体の魔力を調整する役目が魔術院にはあること、魔力の強い人間が集められて秘密の中で暮らしている事を伝えた。
「魔術院の中での役割は人それぞれなんだけど、私の役割の場合は生涯、魔術院から出ない。だから成人する前の最後の一年を自由に過ごす事が許されていたの」
「一年? 君がここにいたのは半年だろう。残りは?」
「ここに来る前に、国の各地を見る旅をした」
「そうだったのか」
クレマンは何かを考えるように静かに地面を見つめた。
「外の一部の人と交流があると言っていたけど、それは俺が会った王宮の魔術師か? それ以外は?」
「そうねえ。普段の生活で会うのは、国王と王子と⋯⋯もしかしたら王族の人を見かけたことがあるかもしれない。後は宰相とその周りの人かな。でも名前や正確な役目は知らない。挨拶くらいしか話をしないの」
「そうか」
クレマンは噴水の縁に手をついて体を反らすようにして空を仰いだ。大きな息をつく。
「話してくれてありがとう。⋯⋯近いのに、遠いな」
「うん」
「もし、いつかそこまでたどり着けたら会えるかな」
レアンドルも話していたけれど、政治的な地位として彼らがそこまでたどり着く可能性はある。
でも、私は恐らくレオン王国に行く。そこでは本当にエルピディオが言うように自由に過ごす事が出来るかもしれない。それでも『外国からの留学生』として過ごしてしまったこの国では、恐らく身元を明らかにして過ごす事は出来ない。私は答え方に迷う。
「ごめんなさい、分からない。私は魔術院から外の世界に出ようと思っているの」
「外に?」
驚いたような声と共に、彼は立ち上がって私の前に立った。
「踏み出す勇気をもらって、手を差し伸べてもらった。大切なものは、大切なままなんだけど、もっと大切なものを見つけたの」
「それは――」
クレマンの声が少しだけ震える。彼は一呼吸おいた。
「君は、学校に来た目的を果たしたということか」
恋をするために学校に来た、初めにそう伝えていた。その目的を果たしたかどうか。
「うん。果たせた。こんなに心が震える事だとは知らなかった。楽しくて、嬉しくて、悲しくて、苦しくて、私の全てが変わってしまう事だった。ここで過ごして、魔術院の世界が全てじゃないと知る事が出来た」
クレマンは俯いて何度か呼吸をした。
「諦めると宣言したくせにって呆れた?」
『恋』を巡ってはクレマンに、とても迷惑を掛けた。腹が立つのかもしれない。私は立ち上がって、彼の表情を見ようと一歩近寄った。
でも彼は私が覗き込む前に顔を上げてくれた。いつもの優しい柔らかい微笑みを浮かべている。
「良かったな」
「うん!」
私は思わず抱きつこうと手を伸ばしかけて、思い直した。
(危ない! 最後の日まで嫌われるような事をしてしまうところだったわ)
「私ね、あなたの事が大好きだった。初めて出来た友達があなたで良かった。たくさん友達が出来たけど、あなたは特別だったの」
「特別?」
どう伝えて良いか言葉に表せない。すぐに抱きつきたくなるような、安心出来るような。家族や兄弟がいたら、こんな感じだろうと思うような。
言葉に詰まって考え込む私にクレマンは吹き出した。
「何だよ。意味が分からないよ」
「ごめん、そうよね」
説明が下手な私は、今までに何度も『意味が分からない』と呆れた顔をされた。思い返すと懐かしくて二人でひとしきり笑った。
「俺にとっても君は特別だった。――特別に大切な友達だから、最後に一度だけ抱きしめてもいい?」
さっき、私が抱きつこうとした事が分かっているのだろう。最後まで優しいクレマン。私は嬉しくなって彼の顔を見上げた。優しい笑顔。目を見合わせて笑い合った後、私は抱きついた。
エルピディオの『どの男も三歩以内に近づけるなよ』を思い出したけど、特別な友達との別れは例外で良いと思う。
「ありがとう。今までずっと、ありがとう」
感謝を込めて言うと、クレマンは私を抱きしめる力を強めた。でも、何も言わなかった。
◇
「お母様、リボンの色はやっぱり白の方が良かったかしら」
ハルデリアが私の腕を引っ張って小声でささやく。私と同じ薄い水色の髪に編み込まれているのは淡い桃色のリボン。大切なお客様をお迎えすると伝えたから、幼いなりに緊張しているのか、朝からずっと落ち着きが無い。
「白もいいけど、このリボンはハルデリアによく似合ってるよ。ハルデリアとお母さんは、いつでも何を着ても最高に可愛いからな」
後ろからエルピディオがハルデリアを抱き上げて、そのまま抱きしめる。
「きゃあ。お父様、ドレスがしわになっちゃう!」
「ぼくも、ぼくも、だっこ、おとしゃま!」
小さなグリディオも、エルピディオに抱っこをせがむ。彼は片手でひょいと抱き上げると両腕で器用に子供達を支えた。
「二人とも暴れるな。落としちゃうぞ」
子供達は不安定な姿勢をきゃあきゃあ喜びながら、エルピディオにしがみついている。
「あー、僕の可愛いフィルーゼが口づけしてくれたら、絶対に落とさないんだけどなあ」
彼は今でも結婚前のように人目を気にせず、くっついて来る。子供達もそれを当然だと思っていて『ほらお母様、早く!』と急かしてくる。
「もう、お客様がいらしてしまうわよ。二人とも降りなさい」
エルピディオは笑って二人を降ろすと、素早く私を抱きしめて耳元に口づけをした。本当に困った人だ。でも結局、優しい薄紫の瞳に見つめられると許してしまう。
「お前達、いい加減に人目を気にする事を覚えろよな」
ブロイが壁に寄り掛かって腕組みをして、呆れたように言う。
「あら、私の方は同じようにしてくれて構わないのよ」
王女が扉を開けて玄関前の広場に出て来た。エルピディオと私は丁寧に挨拶の礼をし、子供達にも同じようにさせる。ブロイは腕組みをしたままだ。
「人前でそんな事はしない」
仏頂面で言うブロイの横に立ち、王女は『恥ずかしがり屋なんだから』と甘く言った。仏頂面をしていてもブロイの瞳が、とても甘く緩んでいる事を私達は知っている。私とエルピディオは、こっそり目を見合わせてほほ笑んだ。
「もうすぐ、到着すると連絡があったんだけど」
王女が通りの方に目をやった。王女はここ数年で、ますます美しくなった。即位と婚礼を数日後に控えた喜びも加わって、誰もが見惚れる程の輝きを放っている。
数日後にレオン王国の王女とブロイが結婚する。そう、私が学校で一緒に魔道具を作っていたブロイは魔道具の事を学びに来た王女と意気投合し、定期的に会ううちに二人は恋に落ちた。
王女との国境を越えた結婚には色々な障害があったらしい。でも、二人はそれを乗り越え、数日後に婚姻の式を執り行う。同時に高齢で退いた国王の後を継ぐ王女の即位の式も行う事になっている。
「来たわよ」
王女の声にブロイも壁から身を起こして横に立った。私達はその後ろに控える。
ブロイが仮の住まいとしている屋敷に、今日は大切なお客様を迎える事になっている。ブロイと私がいた国から、即位と婚礼の式に出席する為にはるばる遠くまで訪れてくれる友達。
大型の馬車が門の向こうに到着して扉が開く。降り立つ人が遠目に見える。黒髪を束ねた背の高い男性。エスコートされて薄い金色の髪の女性が、最後に同じ色の髪の男性が降りた。
私の緊張が伝わったのか、子供達が二人とも私にしがみつく。エルピディオが私の背中を優しくぽんとたたいた後『おいで、父さんといよう』とグリディオを抱きかかえて、数歩後ろに下がった。
案内されて庭に足を踏み入れた三人はブロイに目を留めて笑顔になり、続いて王女を見て緊張したような顔をした。そして後ろに控える私に目を留める。
「フィルーゼ! フィルーゼなの?」
ルアナが悲鳴のような声を上げ、よろめいた。それを支えるクレマンと、並んで立つレアンドルは、ある程度の予想をしていたのか、懐かしそうな笑顔になる。
学校での思い出が一気に蘇る。私は少し泣きそうになりながら三人に向かって手を大きく振った。
(終)
◇
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございました。
番外編1話(前後編)を明日、明後日で投稿して完結になります。クレマンとレアンドルの反省会のようなお話です。
構想ではクレマンが十年かけて魔術院に辿り着き、二人が結ばれる話でしたが、エルピディオが頑張り過ぎてしまいました。
恐らくフィルーゼの淡い初恋はクレマン。クレマンとレアンドルには選択次第で違う結末がありました。二人も遅れを取った自覚があるようなので、番外編までお付き合い頂けると嬉しいです。
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