隠れていた別の道
明日からの学校生活に向けて寮に戻ると、遅い時間だったにも関わらず、すぐに部屋にルアナとマルミナが飛び込んで来た。
「こんなに長い事! もう戻って来ないかと思った!」
他の女の子たちも続々と訪れて、ちょっとした騒ぎになる。皆、戻った事をとても喜んでくれた。私も嬉しくてたまらなくて、きゃあきゃあとはしゃいでしまった。
寮の先生が様子を見に来たけれど『ほどほどにして寝なさい』と軽く言うだけで、大目に見てくれた。
翌朝、祈るために寂れた噴水に現れた私を見て、クレマンは驚いたような顔をした後に、少し眩しそうに私を眺めてから、いつものように優しく『おはよう』と言って迎えてくれた。その後も何一つ聞かないところが、彼らしいと思う。
前と変わらない学校生活が戻る。残りはあと一か月。私は思い残しが無いように目一杯楽しんだ。残り期間を知っている皆も、帰国までにやるべき事を一緒に考えてくれる。
(図らずも、本当に外国に去る事になったわね)
私は今、レオン王国の言葉を一生懸命に勉強している。
学校に通い始めた頃には想像もしなかった顛末を面白く感じている。でも、そういう事を話したいエルピディオはここにはいない。隠しごとの無い彼には、たくさん話を聞いてもらった。外の世界の話も、たくさん聞かせてもらった。夜の寮で、窓枠が風に揺れると彼が来てくれたんじゃないかと期待してしまう。
このまま、つつがなく学校生活が終わると思われたけれど、少しだけひやっとした事もある。
クレマンがいない時、ブロイに言われた。
「レオン王国の王女が、この国を視察がてら俺の家に滞在する事になった」
「へえ、そうなの」
ブロイのお父さんは偉い人だったはずだから不思議はない。魔道具好きのあの王女とブロイは気が合うだろうなんて考えていたら。
「どうしてか、俺が魔道具に詳しい事を知っていた。工房に案内する事になっている」
心臓がどきんと跳ねた。王女に、学校の友達で魔道具や回路に詳しい人がいると話したかもしれない。この国の稀少な石で作る回路は素晴らしいと話してしまったかもしれない。
「へ、へえ」
汗をかきながら素知らぬ顔をしたけれど、鋭い目で睨まれる。
「お前だろう」
「ん? 何が?」
大きくため息をつかれた。
「この先も会えると思っていいか? 俺は工夫して完成させた魔道具をお前に自慢したい。お前の意見も聞いてみたい。以前、二度と会えないと言っていたが、その状況は変わったと思っていいか?」
ブロイの事を大切な友達だと思っている。信用している。私は覚悟を決めた。
「約束は出来ない。でも、⋯⋯もしあなたがレオン王国に来たら、会う機会があるかもしれない」
「キシリーンよりは近そうだな。なら、レオン王国と繋がりを作る為に、王女のご機嫌を取らなきゃな」
ブロイは優しく微笑んだ。
「お前を驚かせるような物を作ってみせるから」
「楽しみにしてる」
◇
レアンドルとも、今までのように何度か一緒に時間を過ごした。書類上のお兄さんだと思うと奇妙な気がしたけど、彼との時間は、学校生活を象徴するように思えて感慨深い。
恋について教えてくれた事を思い出す。ちゃんと見つける事が出来たと報告出来ない事には罪悪感を覚えていた。
「明日が最後だね」
明日の放課後は、皆が集まって別れを惜しんでくれる事になっている。その前の最後の時間は俺だとレアンドルは譲らなかった。お茶会をしたいルアナとマルミナ、魔道具を作りたいブロイとクレマンも譲らなかった。
最終的に話し合って、レアンドルが時間を勝ち取ったのだと誇らしげに言っていた。皆が、私と過ごしたいと思ってくれた事が本当に嬉しかった。
今日は、とっておきの場所を最後に残しておいたと言って、王宮の色とりどりの塔が一番美しく見えるという丘に連れて来てくれた。
レアンドルが特別だと言うのが心から理解出来る景色だった。塔の輝きは幻想的で、王の威光を示すような、この国の繁栄を表すような、素晴らしい光を放っていた。
(エルピディオにも見せてあげたかった)
喜ぶ私を見て、彼も嬉しそうに笑ってくれた。
「俺の兄は結婚してるくせに、女の子がとても好きなんだけど」
レアンドルは静かな声で話し始めた。
「少し前に、王宮に正体不明の美人がいるから見に来るよう誘われたんだ。父に聞いても絶対に身元を教えてもらえない謎の女性だって」
話の流れが見えなくて、私は黙って続きを聞いた。
「兄が褒めるくらいだから気になって、父の執務室に向かうその女性を、こっそり覗き見たんだ。本当に美人だったよ。でも俺はその女性が、話が面白くて、色々な事に好奇心たっぷりで、思いがけない驚きや気付かなかった楽しみをくれる魅力的な人だって知ってたんだ」
レアンドルは塔に視線を向けたまま、軽くため息をついた。
「父が正体を知ってるって確信して、何度も頼み込んで、兄にも口添えしてもらって、何とか正体を聞き出した。俺の強い気持ちを知って、父はやっと息子の為に骨を折ってくれようとしたんだ。でも遅かった。その女性は、俺の妹になったらしいよ」
私の事だ。何と言っていいか分からず、私も塔に視線を戻した。
「かなり昔の事だけど、王子が強く希望して君の国の女性と結婚した事例があった。父の力を借りれば、君の国に手が届いたかもしれないんだ。知ってた?」
レアンドルを見ると視線を私に向けていた。覗き込もうとしなくても、強い感情が流れこんで来る。でも、私はその事が腑に落ちない。
「王子と結婚した事例の事は知ってた。でも、おとぎ話みたいなものだと思ってた」
出来る範囲で正直でありたい。私は慎重に言葉を選びながら答えた。
「恐らく、その女性の心を手に入れた男と俺の違いは、手が届くって信じて行動したかどうかだろうな。後悔しても遅いけど」
エタン様と宰相が言っていた事を思い出した。私がエルピディオとの縁談を断ると思ったから、何かを進めようとしていたと言っていた。
(レアンドルが、私との縁談を望んだ?)
でも彼は恋をしないと言っていた。結婚するなら、全てを捨てても一緒にいたいと思える人を選ぶと言っていた。魔術院出身の女性と結婚する事で、何か彼の利になるような事があったのだろうか。私の疑問を察したのか、レアンドルは苦笑した。
「最初に話しただろう。恋に落ちるのは、自分の意思で決められないって。まさか自分でそれを経験するとはな。⋯⋯君も経験したんじゃないのか?」
最初にエルピディオと会った時には、まさか恋に落ちるとは思っていなかった。
「うん、そうね。思いがけない経験だった」
「何だよ、認めたな? でも、少しだけ期待してるんだ」
「期待?」
レアンドルは、さっきよりもずっと強い視線を私に向ける。
「俺の気持ちを知って考え直すんじゃないかって。君の方も、はなから諦めていただけで、無理じゃないなら俺を選んでくれるんじゃないかって。俺なら⋯⋯君が大切にしてきたものを捨てなくても済むんじゃないか?」
心臓が大きく跳ねた。レアンドルとの未来を選べば、『あの方』と離れずに済むのだろうか。
でも同時に、エルピディオの優しい瞳を思い出す。暖かい魔力を思い出す。最初に求婚してくれた時に読んでくれた、おかしな詩を思い出す。
「今まで大切にしてきたものよりも、もっと大切なものが出来てしまったの。恋は思ったよりも恐ろしいものだった。私を全て変えてしまった。苦しくて、悲しくて、でも幸せで」
私はしっかりとレアンドルの目を見た。
「選んだ道を変えるつもりはない」
レアンドルは痛みをこらえるように固く目を閉じた。大きくため息をつくと、いつもの顔に戻る。
「手が届くって知らない方が幸せだったな。――ところでさ、今回の事で俺は宰相の権力を思い知ったんだよ」
確かに宰相は周りの人がひれ伏しそうなくらいに、とてもとても偉い人のようだった。
「今まで政治の事には興味が持てなかったし、宰相の職は恐らく兄が継ぐんだけど、俺も負けないくらいの権力を目指してみようと思ってるんだ」
「それは、国を揺るがす話ね」
私たちは声を合わせて笑って塔を眺めた。その日は夕日が落ちるまでずっと話をして過ごした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます