魔獣の王との交流

 翌朝の早くに皆の見送りを受けて出発した。馬に乗り二人になると、エルピディオが私の緊張をほぐすように、軽い口調で話す。


「昨日はよく眠れた? うちは騒がしくて落ち着かなかっただろう。王宮の方が良かったかもしれないな」

「いえ、よく眠れたし楽しかった。素敵なご家族ね。あなたが、とても愛されているのが分かる。滞在させてくれてありがとう」

「悪いけど、もう一晩あの騒ぎに付き合ってくれ」


 明日、ここを発って自分の国に帰る事になっている。エルピディオはここに残るので私は護衛の人と戻る。


(エルピディオとは、お別れだ)


 もし求婚を断ったなら、エルピディオとは二度と会うことが無いだろう。その事に、思ったよりも心が揺さぶられる。


(今は、レオン王国の魔獣の王の事を考えなければ)


「魔術院のようなものは無いけれど、魔獣の王の存在は隠してるんでしょう? 立ち入り禁止にしているの?」

「危険という理由で立ち入り禁止にしてる。君の国もそうだと思うけど、眠る魔獣の王の近くには通常の魔獣が多く集まるだろう? 実際に危険だから、誰も不思議には思わない」


 辺りをうろつく魔獣は、王の魔力に惹かれて集まる。魔力の少ない人間にとっては命を脅かす危険すぎる存在だ。


 森に入った。この国では王都から魔獣の王まで、馬で数時間程度とかなり距離が近い。守護の力が強くなる分、通常の魔獣の害も増える。兵士達は、魔獣に対しても対処できるように訓練されているそうだ。


「感じる、強い魔力!」


 魔獣の王に近づいたことが分かる。大丈夫、私の魔力と調和している。その様子を見てエルピディオもほっとした顔をした。


「君の方は大丈夫そうだね」


 敵国の魔獣のように、私とは相容れない魔力が強かったとしたら、この時点でもう私は限界を迎えていたはずだ。少なくとも私の方は大丈夫。後は、魔獣の王が受け入れてくれるかどうかだ。


 もうしばらく進むと、大きな石造りの建物が姿を現した。見かける警備の兵の数が増えている。


「ここだ」


 馬を降り、案内の兵の先導を受けて建物に入った。そこで、この国の宰相と魔力を担当する大臣と合流すると聞いていたけれど、もう一人女性が待っていた。私とそれほど年齢が変わらないように見える。


「王女! なぜここに」


 エルピディオが戸惑ったような声をあげた。


(王女様?)


 私は丁寧に礼をして、レオン王国の言葉で練習してきた挨拶をした。エルピディオの家族と会った時に散々緊張したおかげか、国を代表した状況で無様な真似をせずに済んだ。


 魔獣との対面について、エルピディオを含めたこの四人が立ち合うそうだ。王女を含め、今まで会った人たちは皆、私の国の言葉を流暢に話す。私は自分の無教養さが恥ずかしくなった。


(今後、使う機会は無いかもしれないけど、戻ったら外国語も勉強しよう)


 魔獣の王に会う不安から気を逸らすように、他の事を考えながら先頭を歩く大臣に続いた。


「ここです」


 大臣が大きな重そうな扉に手をかけ、ゆっくりと押し開く。促されて、私はその部屋に足を踏み入れた。


(似てる、『あの方』とよく似てる!)


 部屋の中央であふれ出る魔力に毛をそよがせ、背を呼吸でわずかに波打たせるその姿は、私の国の『あの方』とほとんど同じと言える。


 思わずエルピディオの顔を見ると、軽く微笑んでくれた。両国の魔獣の王に会った私たち二人だけに分かる事だ。


(この魔力、『あの方』の元に帰ったみたい)


 『あの方』に対する畏敬の念に近い思いが私の中に溢れる。私は白い光を放つその姿に向かい心を覆う全てを放つ。


 圧倒的な存在の前に、私の存在など塵にも等しい。王の慈悲を受けこの世界に仮初の繁栄を築いている私達。王の圧倒的な魔力に耐え得る器を与えられた者として、心からの感謝と尊敬の念を伝え、今後の存在を許してもらう。


 『あの方』の御心を感じる時と同じように私の魔力を放出する。すぐに王が応えてくれる。少し大きく背中を波打たせると、強く温かい魔力が私に注がれる。私は自分を空にするように全ての魔力を吐き出し、王の魔力を受け入れる。


(同じ。『あの方』と同じ魔力)


 でも、かすかに違う。何だろう、香りだろうか。言葉には出来ないけれど何かが少しだけ違う。でも心地よい魔力。


 魔獣が喜ぶように、また大きく背中を波打たせて惜しみなく魔力を私に流す。私は自らを捨てて全てを放ち、そこに王の偉大な魔力が注がれる。私は王の魔力で満たされる。王の私達を慈しむ御心を感じ、私達の感謝と尊敬の念を伝える。


 王と対話するかのように魔力の交流を行った。


 学校に通うにようになってから数か月、私は『あの方』のお傍から離れている。懐かしい。今すぐに戻って『あの方』に会いたいと思った。心が焦がれるように、あの方を求めている


(会いたい、会いたい)


 目の前の王は、その気持ちに気づいているかのように、試すように、私に魔力を浴びせ続ける。『受け止めよ、受け止められるのか?』私は精一杯それに応える。


 やがて、魔獣の王は満足したように、大きく背中を波打たせると、魔力の放出を穏やかに止めて、静かな眠りに戻った。


 私は魔力の放出を止めて立ち合いの人々の方に向き直り、凍り付いたように動きを止めている一同に、軽く礼をした。


「それは⋯⋯それは、あなたの国のやり方なのか」


 大臣が真っ白な顔色で、足をふらつかせながら私の前に立ち、腕を掴んだ。エルピディオも硬い顔をしたまま身動きひとつしない。宰相と王女は、それを戸惑ったような顔で見ている。


「申し訳ありません。何か失礼があったでしょうか」


 私は『あの方』と同じように対話をした。この国の流儀から外れた行動だっただろうか。血の気がひいて心臓が早鐘を打つ。


「あなたは今、確かに魔獣と交流をした。私達は、わずかな魔力を受け入れ合って『交流』だと満足していた。そんな風に、全てを放つようなやり方は知らない。王がこんな風に人に魔力を与える姿を見たのは初めてだ」


 ますます強く腕を掴まれ、私の混乱も深まる。良い事だったのか、悪い事だったのか判断がつかない。


(どうしよう、私、やりすぎたのかな)


「どういうことだ、説明してくれ。交流は成功なのか?」


 苛立ったように宰相が大臣に尋ねた。私の気持ちを、そのまま代弁してくれたような質問。


「申し訳ありません」


 慌てて大臣は私の腕を離して宰相と王女に向き直った。


「成功です。大成功です。我が国の魔獣の王はソリーヌ王国のフィルーゼ殿を受け入れました」


 宰相と王女が、ほっと息をついた。


「受け入れた以上の事です。私ですら見た事がないくらいに、魔獣の王はフィルーゼ殿との交流を楽しんだ」

「楽しんだ?」


 宰相が怪訝な顔をする。


「我々のような魔力が強い者が魔力を放ち、それを王が受け入れて多少の魔力を返してくれる事を交流と呼んでいます。でも、今のは全く違った。多少どころではない、浴びせるように、もっと受け取れと言わんばかりに、王は何度も強い魔力を放った」


 大臣は潤んだ目を王の方に向けた。


「私は感じました。王が魔力をして我々を守護下さろうという御心を。何十年もお目に掛かっていたのに初めてだ」


 エルピディオが、乾いた声でつぶやいた。


「君が魔獣に『仕える』というのは、こういう事だったのか」


 私にもやっと、大臣とエルピディオの驚きが理解出来た。


「私の国の魔術院では幼い頃から、このように魔獣の王と対話する術を学びます。こうする事で、より強く国土が加護を得られると信じているからです」


 これは魔術院の人間であっても、誰もが簡単に出来る事ではない。魔獣に向けて心の全てを開け放つ、自分を全て捨てるような祈りは、十年以上練習して習得するものだ。


 その域に達したと判断されるのが成人の18歳。その年齢を迎えたら、『あの方』に仕える人間は生涯を終えるまで離れない。


 大臣は再び私に向き直ると、両手をぎゅっと握りしめた。


「ソリーヌ王国があなたの出国を渋った理由が分かりました。あなたを迎えられる事はこの上ない喜びです。ぜひ我が国の人間にも、本当の対話を伝えて頂きたい」


 宰相も上機嫌でエルピディオに向かって言った。


「君達の縁談は、両国にとって非常に良い縁だ。ソリーヌ王国も乗り気でいてくれるうちに、早く先に進めることだ」


 結婚は決定された事なのだろうか。不安に思っていると王女は何かに気付いたような顔をした。


「宰相、大臣。先走らないように。フィルーゼ嬢の意思を尊重して決める事になっているはずです。彼女の意思を歪める圧力となりかねない言動は許しません」


 そのまま王女は、エルピディオに向いて言う。


「エルピディオ・ナバロ。あなたはまだ、フィルーゼ嬢から承諾の返事を得られていない。そうでしょう?」


 エルピディオは畏まって、王女の言う通りだと答えた。


「フィルーゼ嬢、臣下が先走って不快な思いをさせて申し訳ない。私共があなたを歓迎しているという気持ちはご理解頂きたいが、あなたの自由な意思を阻害するつもりは無い」


 私に近づくと、優しく手を握ってくれた。小声で言う。


「あなたは、あなたの気持ちを一番に考えて決めればいいの」


 恐らく私と同じくらいの年齢だろう。でも、既に女王としての風格を感じる。私は心から感謝して丁寧に礼を返した。

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