レオン王国へ

 エタン様は、早朝にも関わらず見送りに出てきてくれた。ぎゅっと抱きしめてくれて、耳元で他の人には聞こえないように言う。


「私が言った事を覚えているね。周りの思惑を気にする必要は無い。自分の気持ちを大切にするんだ。私は必ずお前の決断を支持する」


 この選択で私の進む道は大きく変わる。エタン様の立場では、私に結婚を承諾させなければならないのに、私の意思を大切にしてくれる気持ちが温かい。


「ありがとうございます、エタン様」


 私はしっかりと役目を果たす約束をして旅立った。


 レオン王国の王都まで、通常は馬車で10日ほどかかる。そこを魔獣との対面を含めて全部で10日で済ませる計画だ。


 残り少ない学校生活を心配して、エタン様とエルピディオが騎馬で移動出来るよう関係各所と交渉してくれたらしい。


「もう、学校に戻れないのかと思った」

「君は戻りたいんだろう?」


 エルピディオは優しく言ってくれた。


「ありがとう」


 私は心から感謝した。


 魔術院にいた頃は、森の中を馬で駆けまわっていた。とはいえ、長距離を駆けた事は無かったので不安はあったが、馬を変えながら予定通り4日でレオン国の王都までたどり着いた。


 想像していたよりは体が楽だったと伝えると、エルピディに笑われた。


「それは、魔力のおかげだよ。見て、護衛達の方がへばってる」


 数人の護衛がついてくれているけれど、途中で数人が入れ替わった気がする。


「魔力にそんな効果があるの?」

「恐らくね。俺が通っていた学校でも、魔力が強いやつは妙にいつも元気だった。病気にもかかりにくいし」


 魔術院では病を得る人がほとんどいなかった。長命で、不幸な事故が無い限りは100歳を超えて生きる人ばかりだ。


「他の人と比べないから、気が付かなかったわ」

「僕の家族も全員、魔力が強いから本当に元気だ。特に4人いる弟は元気がありあまっている。うちは騒がしいから驚くなよ」

「想像つかない!」


 レオン王国の王宮に一人で滞在するのは心細いだろうとの配慮で、エルピディオの家に滞在させて頂く事になっている。私は生まれてすぐに魔術院に引き取られたから、本当の両親も兄弟がいるかどうかも知らない。魔術院の人達を家族だと思っているけれど、他の家とは様子が違うのだろう。とても緊張する。


 途中で立ち寄ったレオン王国の街は、見る限りでは私の国とさほど変わらなかった。魔力が近い両国は昔から一般国民の交流も多い。それほど文化の違いも無いらしい。


『こんにちは。私の名前はフィルーゼです。ソリーヌ王国から来ました』

「うん、上手いよ!」


 レオン王国の言葉を道中に少し教えてもらった。魔術院では外国語は全く習わなかった。自分の国の古い言葉や、大陸共通の古代語は知っているけれど、交流があるレオン王国の言葉ですら全く知らなかった。


「エルピディオは、他にも外国語が話せるの?」


 彼は私の国の言葉を生まれ育った人間のように流暢に話す。


「国境を共にしている国くらいだけどね」

「すごいのね」


 私の国と、あと2国。大変な勉強家だと思う。


「王宮で魔術師と話しているのを聞いたけど、君は大陸の古代語に通じてるんだろう? 僕にはそっちの方がすごく思えるよ。その辺りの授業は、いつも居眠りしてたな。呪文にしか聞こえなかったよ」


 エルピディオは柔らかく笑った。自分の国に戻って来たからだろう、いつもよりくつろいでいるように見える。


「あの建物は、どうして上に高い煙突がついているの?」

「あれは、煙突じゃなくて上空の――」


 王都に入ってからは馬を降りて案内をしてくれた。魔術院に戻ったら外国語を覚えて外国の本を読んでみたい。外の世界の事も知りたい。レオン王国の歴史や文化を学んでみたい。私の好奇心は止まらなかった。


「ここだ」


 エルピディオは足を止めた。私の国の王都とは違って起伏が少なくて緑が多い町。その一角にある屋敷は、美しい庭の奥に広がっているようだ。


 緊張して足をすくませる私を見て、エルピディオは優しく背中に手を添えて門をくぐらせてくれた。警備の兵がエルピディオに敬礼をして、彼はそれに頷いて応える。


「それほど、君の国の屋敷と変わらないだろう?」


 庭を建物の方に進みながらエルピディオが言う。


「ごめんなさい、普通の屋敷を知らないから比べられないの」

「全く?」


 頷くと少しだけ困ったような顔をした。


「そうだな、君の家族と僕の家族では、少し形が違うな」


 視線を感じて振り返ると、花壇の陰に薄いすみれ色の頭が見えた。強めの魔力も感じる。よく見ようと思って視線を凝らすと、何か言うのが聞こえた。恐らくレオン王国の言葉だろう、意味が分からない。


「リルディオ、頭が見えてるからだ。それに、彼女は魔力を察知できるぞ」


 エルピディオが私の国の言葉で植え込みに声をかけた。そして私の方を見て柔らかく笑った。


「何で隠れてるのが分かるんだって言ってる。末の弟だ」


 その弟は植え込みからぴょこんと顔を出した。


(きゃあ、可愛い!!)


 エルピディオがそのまま小さくなったような少年だった。思わず二人の顔を見比べてしまう。


「よく似てるって言われる」

「そっくりね、そっくりね!」


 魔術院には親子も兄弟もいないから、誰かが似ているという事が興味深い。


『こんにちは。私の名前はフィルーゼです。ソリーヌ王国から来ました』


 声を掛けてみると、リルディオと呼ばれた男の子は目を見開いて、また何かを言った。エルピディオが少し顔をしかめて、今度はレオン王国の言葉で何かを言い返した。


「ごめん、君がこの国の言葉を話したから驚いたんだ」

「違うよ!」


 リルディオが駆け寄って来て私の手をにぎった。


「おとぎ話の妖精みたいに綺麗だから、兄さんじゃなくて僕が結婚するって言ったんだよ」

「え?」


 リルディオも私の国の言葉を流暢に話す。でも、ちゃんと意味が分かって言っているのだろうか。


「ね、いいでしょう?」


 ぎゅうっと引っ張る手を、エルピディオが無理やり引き離した。そして、レオン王国の言葉で何かを言う。


「何だよ、父さんが、お客様がいる時はソリーヌ王国の言葉で話せって言ってたよ。兄さんが破ったら駄目じゃないか。父さんに言い付けてやる」

「え? 父さんいるのか?」

「みんないるよ。朝からずっと待ってるよ。母さんが『まだかしら』ってもう300回以上言ってる。僕、みんなに教えてくる!」


 リルディオは私に抱きついて『さっきの、考えておいてね』と言うと、屋敷の方に駆けて行った。


「ごめん、騒がしくて」


 エルピディオが困ったような、少し恥ずかしそうな顔をした。


「可愛い弟さんね」

「あいつ、あんな事言って何考えてるんだか。後で叱っておくから」

「あの、結婚って⋯⋯」


 国の役目で魔獣に挨拶に来た異国人という立場で扱われると思っていた。


(よく考えたら、レオン王国から婚姻の申し出があったのだから、当然、エルピディオのご家族も承知だということよね)


 結婚するものだと思われているのだろうか。それに対して、良く思っていないかもしれない。


「結婚を申し入れたけど、まだ返事をもらえていない事を家族は知ってる。でも、その事には触れないように伝えてあるから、何も気にしないで欲しい」


 不安な気持ちが拭えない私の顔を覗き込むと、エルピディオは揶揄うような口調で優しく言う。


「結婚するって宣言してくれてもいいんだよ?」


 私は大きく息を吸って、改めて自分の役割を思い出す。


(私はレオン王国の魔獣に挨拶に来た。余計なことは考えない)


 エルピディオに促されて屋敷の扉をくぐった。

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