求婚の真意

「フィルーゼ、やっと会えた!」


 宰相に会った日の夜、部屋のバルコニーに出て月を眺めていると、手すりを乗り越えてエルピディオがバルコニーに降り立った。まるで学校の寮に入ってくるように。


「あなた、王宮でもこんな事を!」


 王宮内は強い魔力で守られているので、この国の魔力に近いエルピディオの魔力は察知しにくい。全く気が付かなかった。


 私は慌てて辺りを見回す。幸いにも人目は無いようだ。エルピディオはいつもと同じ笑顔で近づいて来る。


「会わせてもらえないから探したよ。結構大変だったけど、どうしても会いたかったから頑張った」


 宰相の話を聞いて心にわだかまりがある私は、それに素直に応えられない。


「もう、傷は痛くない⋯⋯ですか?」


 どう話をしていいか分からなくなる。少し後ずさる私を見て、彼の表情が硬くなる。


「傷は全く問題ないよ。前の時のように魔力を失ったわけではないし、何の支障もない」

「そうですか、安心しました」


 エルピディオが一歩近付き、私はまた一歩後ろに下がる。


「魔獣に⋯⋯魔術院で眠る魔獣の王に会ったと聞きました」

「さすがに緊張したけど、受け入れてもらえた。わが国の魔獣の王と同じ温かさを感じた。他国の魔獣の王の力を多く持つ僕を受け入れてくれたんだ。拒まれなかったという意味ではなく、受け入れてくれた。⋯⋯この感覚、君になら伝わると思うんだけど」


 私は頷いた。よく分かる。受け入れてもらえると、魔力が混ざるような感覚を覚える。魔獣と一体になるような特別な感覚。エルピディオは、私たちの『あの方』に受け入れてもらった。


「私もレオン王国の魔獣の王に受け入れてもらえるでしょうか。少し怖いです」


 拒絶されたとしたら、敵国の魔力に触れた時とは比べ物にならない位の衝撃を受けるだろう。命を落とす可能性もある。


(それよりも、受け入れてもらえなかったら、きっと悲しみの方が強い)


 魔術院で魔獣の王を崇めて育ってきた私にとって、その存在は絶対だ。例え他国の魔獣の王であっても崇める気持ちに変わりない。拒まれるなんて考えたくない。


 エルピディオはほほ笑むと、目の前に立った。


「心配しなくても大丈夫。きっと受け入れてもらえるよ。僕だって大丈夫だったんだから」

「ありがとう」


 彼の優しい薄紫の瞳を見て安心した。でも、その感情を読み取られたくなくて怖くなってすぐに目をそらした。私は逃げるように彼に背を向けて部屋に続く扉に向かった。


「明日、早くに出立すると言われてるので、もう休みます」

「待って」


 腕を取られて、振り返るとエルピディオは怖いくらいに真剣な顔をしていた。


「婚姻の申し入れについて聞いたんだろう? そんなに不快だった?」

「不快だなんて、そんな事は」

「じゃあ、どうしてそんな態度を取るの?」


 腕を掴む力が痛いくらいに強くなる。


「ごめんなさい。少し驚いたので」

「驚くって、なぜ? 最初に会った時から、ずっと気持ちを伝えて来たつもりだ。今さら驚く事じゃないだろう」


(気持ち?)


 私はよく分からなくなる。結婚しようと何度も言われた。好きだとも言われた。でも、それが彼の気持ちだったのだろうか。


「決められた事だから役目を果たそうとしたんでしょう? それってあなたの気持ちでは無いじゃない」


 エルピディオは怪訝そうな顔をして少し黙った後、急に弾けるような笑顔になると、私の腕を無理やり引き寄せて抱きついた。


「やめて! 離して!」

「やだ。だって嬉しいから」

「何が嬉しいの!」


 どうにか引き剥がそうとしても、離れてくれない。


「フィルーゼは勘違いしてるよ」

「勘違い?」


 エルピディオは再び嬉しそうに笑い声をあげた。


「多分、順番を間違えてる」

「お願い、とりあえず離れて!」


 ため息をついて腕を緩めてくれた。私は振りほどいて数歩離れた。


「私が、順番を間違えてるってどういうこと?」

「婚姻の話があったから、僕が君と交流を図ろうとしたと思ってるんだろう?」

「違うの?」


 また私の腕を取ろうとするので、それを避けて下がる。


「逆だよ。順番を追うと、攻撃の情報を得てこの国に様子を見に来た。次に、攻撃を防ぐ君を見た。その君の勇姿に僕は心を奪われた」


 エルピディオは、熱く強い視線を私から外そうとしない。


「君に会いに行って求婚した。君は、魔術院にいるから結婚できないと言った。覚えてる?」


 私は頷いた。


「だから、自国と相談して正式に婚姻が結べる状況を整えた」

「え!」

「結婚出来ない理由が無くなっただろう?」


 この話が本当だとしたら、エルピディオが私と結婚したいと思ってくれている気持ちも本当なのかもしれない。急に鼓動が早くなり、顔に血が集まるのを感じる。


「じゅ、順番は確かに勘違いしていたかもしれない。でも、それと『嬉しい』はどう関係があるの?」


 彼はさっき『嬉しい』と喜んでいた。私の勘違いとどう繋がるのか分からない。


「だって、僕の気持ちが政治的に強制されたものだと思ったから、あんな冷たい態度を取ったんだろう? 僕の気持ちが本物だと思ってたのに、違ったと思って傷ついたって事だろう?」


 心臓がひと際大きく打った。私を好きだと言ってくれていた気持ちが嘘だと思って傷ついた。そうなのだろうか。違う、違う。考えたくない。


「そんなことないもの! あ、あなたが言う好きも結婚しようも、レアンドルの誉め言葉みたいに挨拶みたいなものだと思ってたもの!」

「そんな事を思ってたのか?」


 エルピディオは目を見開いてしばらく私を眺めた後に、大きく息をついて床に座り込んだ。下を向いてしまったエルピディオが傷ついているように見えて、自分の言った言葉を取り消したくなる。


「こんな事を誰にも言った事ないし、僕は本気なのに。これ以上、どうしたら分かってもらえる?」


 私は彼の横にひざをついた。

 

「ごめんなさい。⋯⋯違う、少し違う」


 頭の中を周る色々な考えが上手くまとまらない。私は座り込むエルピディオの手をそっと取った。私から触れた事に驚いたのか、彼が顔を上げる。その苦しそうな瞳を見て必死で考えの端を捕まえる。


「私は⋯⋯挨拶だと思いたかったの。向き合う事が怖かったの」


 少しずつ、自分の考えを手繰り寄せる。エルピディオは何も言わずに待ってくれる。


「向き合ってしまったら、私が今まで信じて大切にして来たものが壊れそうな気がした」


 『あの方』への想いまで間違っていたと思いたくない。息が苦しくなってきた。もう考えたくない。


 エルピディオが黙ったまま、私の手をぎゅっと握り返してくれる。穏やかな瞳に励まされて、私はまた頭の中を巡る考えをまとめる。


「魔術院の中が全てじゃない。あなたが教えてくれる世界を、もっと知りたいと思った」


 考えが、一番触れたくない所にたどり着いた。私は深呼吸する。


「あなたと一緒なら外の世界に出られるのかもしれないと思った。だから、政治的な強制だったと知って悲しかった」


 エルピディオの言う通りだ。私は傷ついた。彼は切れ長の瞳を、柔らかく緩めた。


「今はもう、本当の気持ちだって分かってくれてる?」

「私の態度は失礼で、不誠実だった。ごめんなさい」

「うん」

「レアンドルが教えてくれたんだけど、結婚するかどうかは、全てを捨てても一緒にいたいかどうかで判断するんですって。――だから、考えてみる。魔術院も『あの方』からも離れて、あなたと一緒にいたいかどうか」


 今の私の頭の中から取り出せた、精一杯の言葉。傷つけてしまった彼に伝わっただろうか。エルピディオがじっと私の瞳を覗き込む。


「分かった。ありがとう」


 エルピディオはぐっと私の手を引くと私を抱きしめた。彼の魔力が心地良くて私は抗わずに身を委ねた。


「あなたの魔力、とても好きなの。安心する」


 最初に注いでもらった時から、そう思っていた。それを認めるのが怖かった。


(逃げてはいけない。ちゃんと考える)


「んーっ、あーっ!」


 エルピディオが急に大きな声をあげて、私を引き剥がした。立ち上がりながら私の腕を引っ張り上げて一緒に立たせる。


「え、何?」

「駄目だ、危ない」

「え?」


 クレマンのように顔を赤くして、気まずそうな顔をしている。


「このまま君の部屋に入り込んでしまいそうだ。さすがにまずい」

「いつも、私の部屋に平気で入っているじゃない」


 王宮はやはり勝手が違うのだろう。彼は困ったような顔をしてから、月を見上げて深呼吸をした。


「納得できるまで、しっかり考えて欲しい。それまで、誰に返事を急かされても気にする必要はないから。だから、取り敢えず我が国の魔獣に挨拶する使命を果たそう」


 そうだ、大切な役目が私にはある。私は力強く頷いた。


「うん。その事に集中する」


 私は明日、レオン王国に出立する。初めて外国に行く。緊張と楽しみな気持ちを噛みしめた。大きかった不安は、エルピディオと話したことで、ほとんど無くなっていた。

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