国王の名の下に発せられた命令

「ご無事ですか!」


 兵士達が駆けつけてきたのは、私の涙が止まって、エルピディオの簡単な手当も済んだ頃だった。短剣の毒は体に巡ってしまう前にエルピディオが魔力で押し出していた。傷は、私が鞄の中に入れていた簡易な手当ての道具で処置をした。


 とても痛そうだけど、彼は平気だと笑った。


「ああ、でもやっぱり平気じゃないかも。君が口づけしてくれたら、痛くなくなる気がするんだけどな」


 軽口を言うくらいには平気そうだ。


「ねえ、あの方は騎士じゃないかしら! 本物を見るのは初めて!」


 先日の王宮では騎士ではない警備兵しか見なかった。今回は、魔術師が王宮の騎士を派遣してくれたようだ。私は物語で憧れてきた騎士を間近にして舞い上がってしまう。話しかけられると、恥ずかしくなってしまい顔が熱くなる。


「ふん、もう僕達が片付けちゃったから、役に立たないけどな」


 エルピディオが私にだけ聞こえるように憎まれ口をたたく。


「物語の挿絵よりも、本物の方がずっと素敵なのね」

「あー、傷が痛い。すごく痛い。ねえ、僕の手を握って魔力を注いでよ」


 私は慌ててエルピディオの言う通りにした。エルピディオは満足そうに、にっこり笑った。



 そのまま騎士に連れられて王宮に着くと、エルピディオとは別の場所に案内された。エルピディオが騎士に何かを伝えると彼らの態度が変わっていた。以前エルピディオが言っていた、レオン王国の有力な家の人間というのは本当なのだろう。


「また後でね」


 少し前に一度来たけれど王宮には慣れない。他国の王宮で平然とした顔が出来るエルピディオを少しうらやましく思う。


 私は魔術師がいる奥に連れて行かれると、部屋に入るなりこっぴどく叱られた。


「次は自分で動かずに、必ず先に知らせを出せと言っただろう!」

「でも、エタン様――」


 私の言い訳は一切聞かずに、魔術師は怖い顔をして私を叱りつける。この叱られ方には覚えがある。まだ魔術院で一緒に暮らしていた頃、私と別の子が喧嘩に魔力を使い、森の一部を滅茶苦茶にしてしまった。あの時と同じだ。エタン様は相当怒っている。


「ごめんなさい」


 でも最後は、しゅんとする私の頭を優しく撫でながら『無事で良かった』と言ってくれた。その後で、私を座らせて詳しい事を聞いてくれた。


「お前は、レオン王国のエルピディオ・ナバロ殿と、いつから交流があるんだ」


 私は記憶を呼び起こす。あれは確か前回の事件から少し経った頃だった。聞いた魔術師は深くため息をついた。でも、それ以上は何も言わなかった。


 そして、私の襟元に付けている魔道具に目を留めると、詳しい説明を求めた。


「魔道具のこういう活用方法は思いつかなかったな」


 そして、きっかけを作ってくれたブロイとクレマンの話を聞いてくれた。私は学校が楽しいこと、友達が仲良くしてくれることを話した。エタン様は優しい顔で頷きながら全て聞いてくれた。


「魔術院に戻りたくないと思うか? 外の世界に出たいと思うか?」


 真剣に聞かれる。私は少し考えてから正直に答えた。


「分からない。魔術院は嫌いじゃないけど、学校の皆と一緒にいたいとも思う。両方欲しいなんて我儘よね」


 エタン様は深く息をつき、私の頭をそっと撫でてくれる。なぜ、こんなに痛ましそうに見るのだろう。


「これは、魔術師という立場ではなく、同じ境遇で育った者としての意見だと思ってくれ」


 少し緊張した顔で続けた。


「もし大きな決断を迫られたら、落ち着いて自分の気持ちを見つめるんだ。いいな」

「大きな決断って?」

「国の都合も、魔術院の事も、使命も全部忘れていいから。するべき事なんて考えないで、お前がどうしたいかを考えなさい」

「ねえ、決断って何?」


 エタン様はこれ以上は答えてくれなかった。


 学校に戻れそうな気配はなかった。王宮に留め置かれる理由を説明されないまま、数日に渡って色々な人に引き合わされ、話を聞かれた。明日には帰れるだろうか、そう思いながら心細い日を過ごした。


 私のお世話係のような女性は、来客の度に魔術院の事など、何をどこまで話して良いかの指示をくれる。でも、私の質問には口をつぐんで答えてくれない。


 騎士隊長に状況の説明をした時には、舞い上がって緊張してしまった。その他の来客にも全て緊張し通しだった。


 魔道具と魔力の研究者だという人たちの訪問には、魔術院の人間という事も魔力が強い事も隠さなければならなかった。クレマンにもブロイにも、隠し事に向いていないと指摘されていたので緊張しながら、回路やその組み方について説明をした。


 驚いた事に、国王にも拝謁を賜った。国王が即位なさる時、魔術院で儀式を行った。その時に私がお手伝いさせて頂いた事を覚えていて下さった。私はここでも緊張して、上手く受け答えが出来なかった。


 そんな数日を過ごした後、宰相に呼ばれた。宰相には全てを話すよう言われたけれど、エルピディオについての質問には慎重に答えた。レオン王国で力のある家の人だと言っていたエルピディオにとって、私のどんな言葉が足を引っ張ってしまうか分からない。いつも以上に緊張して臨んだ。


 宰相は一通り話し終えると、少し表情を和らげた。


「息子が、君にまとわり付いているようで申し訳ないね」

「息子さんですか?」


 王宮で子供は見かけていない。不思議に思って宰相の顔を眺めたところで思い至った。


(黒い髪に黒い瞳。美しく整った顔だち。まさか!)


「私は、レアンドルの父だ」


 宰相、王の弟、レアンドルの愛称の『王子』。私は驚きで息を呑んだ。


「君は隠し事が上手くないようだね。レアンドルは学校に転入してきた留学生の正体を不審に思ったらしくて、何とかして私から正体を聞き出そうとしているよ。全くしつこくて敵わない」


 動揺する私を見て、宰相は少し困った顔で笑った。


「安心しなさい。君の素性は明かしていない」


 私はほっと息をついた。宰相の柔らかい表情を見る限り、咎められて学校への通学を終了させようという話の流れでは無さそうだ。


「レアンドル様には、仲良くして頂いて色々な教えを受けております。親切にして頂いて感謝しております」

「親切ねえ」


 宰相はますます困ったような顔をしてため息をついた。


「リンダーン侯爵のご子息も父親に何度も聞くものだから、気にしたリンダーン侯爵が調べて君の素性を掴んでしまったよ。さすがに息子には話していないようだが」


(リンダーン? ⋯⋯ブロイ!)


 魔道具に詳しい私が学校に残れるよう、父親に素性を聞いたと言っていた。ブロイのお父様は素性を知っていて、ブロイには隠してくれているようだ。


 私が隠し事が下手なのは自覚している。でも、思った以上に学校生活を続けるのに危うい橋を渡っているようだ。嫌な汗が出て来た。


「皆、随分と君に強く興味を持つものだと不思議に思っていたが、実際に会って良く分かった。とても魅力的な女性だったんだね」


 そう言って笑う顔はレアンドルにそっくりだった。でもすぐに、宰相は表情を元に戻して居住まいを正した。


「国王の名の下に告げる」

「はい」


 私も居住まいを正し、気を引き締めた。


「レオン王国に赴き、かの国の魔獣の王と交流を図る事を命じる」

「魔獣の王に!」


 エルピディオがいるレオン王国とこの国は、今までよりも強く手を結ぶ事になったそうだ。


 この国は敵国から武力を使った侵略を受けることが多く、兵の扱いに長けている。逆に、魔力を使った攻撃を受けることが多かったレオン王国は、武力よりも魔力の使い方に秀でている。


 手を結び知見を共有する事で、お互いの国の防衛力を高める事に決まったそうだ。


「お互いに誠実に取り組む証として、力の源である魔獣の王を披露し合う事になった。魔術院を代表して、魔獣の王に一番近しい魔力を持つ君に行ってもらいたい」


 私はこぶしを握り、手が震えそうになるのを堪えた。


「エタン様のお手伝いで、私が行くと言う事でしょうか」

「いや、エタンが王宮を離れるわけにはいかない。護衛は付けるが、君だけで行くんだ。我が国の魔力と、レオン王国の魔力が相容れると証明して来て欲しい。なに、簡単な儀式みたいなものだから、ただ行くだけでいい」


 答えられない私に、宰相がたたみかける。


「エルピディオ・ナバロ殿が昨日、レオン王国の代表として我が国の魔獣の王と対面を果たした。魔獣の王はそれを受け入れた」


 眠る魔獣の王は、異質な魔力を寄せ付けない。我が国の魔獣の王とレオン王国の魔獣の王が眷属だという噂は恐らく真実だったのだろう。そうでなければ、強い魔力を持つエルピディオは受け入れられなかったはずだ。


「同じように君も、レオン王国の魔獣の王に受け入れられると証明して来るんだ」


 魔術師が言っていた大きな決断は、この事だったのだろうか。こんな大切な役目を果たせるのか不安になる。自分の気持ちを大事にするように言ったエタン様の言葉を思い出す。


(私は⋯⋯他の魔獣の王に会ってみたい。外国を見てみたい)


「承知いたしました。精一杯、努めて参ります」


 宰相は軽く頷くと、少し固い表情になった。


「もう一つある。しかしこれは、命令ではない」

「はい」


 宰相の表情から推測するに、さっきよりも重い話のようだ。


「君に縁談がある」


(エンダン?)


 言葉と意味が結びつかず、頭の中が混乱する。


「先ほども言ったように、レオン王国と強く手を結ぶことになった。敵はオダリス王国だけではない。他国との強い協力体制が必要だ」

「はい」


 それはさっきも聞いた。なぜしつこく繰り返すのだろう。


「レオン王国から、エルピディオ・ナバロ殿と君の婚姻について申し入れがあった。君をレオン王国に迎え入れたいとの希望だ」

「エンダンって、縁談ですか! 私は魔術院の人間なのに!」


 思わず、礼を忘れて宰相に向かって大声をあげてしまった。驚きのあまり腰が抜けそうだ。力が抜けて椅子から床に転げてしまいそうだ。


(そうだ、私は魔術院の人間だ。外には出られない)


 きっと、縁談があったというお知らせだけだろう。考え直して気持ちを鎮める。でもそれは無駄だった。


「討議の結果、国として承諾する事に決まった」

「え!」


 私は再び、礼を失した態度を取ってしまう。口をぽかんと開けて固まる私に、宰相は少し表情を緩めた。


「エルピディオ・ナバロ殿は、レオン王国でも由緒ある家の当主になられる方だ。一方で君は魔術院の、しかも魔獣の王に一番近しい魔力を持つ、この国にとって掛け替えの無い存在だ。二人の婚姻は、魔獣の王の披露と併せて協力体制の象徴となり大きな意味を持つ。⋯⋯正直な事を言うと、レオン王国の武力はさほど弱く無い。この取り組みは、我が国が得る物の方が圧倒的に大きい。君ほどの魔力の持ち主を送り出す事でやっと成り立つ。ぜひ受けて欲しい」


(政治的な婚姻)


 エルピディオの求婚は、これを受けての事だったのだろう。私を好きだから求婚したのではなく、政治的に婚姻の話が出たから、私を好きになろうと努力してくれたということだ。


 胸に何か鋭い物が刺さったように感じた。


「ただし、エルピディオ殿とエタンからの強い希望で、必ず君の了承を得るという条件が付けられている。私としては不本意だが、君には拒む権利がある」

「はい」


 私は深呼吸をした。


「返答は今すぐ必要でしょうか」

「いや、返答の期限は無い。しかし可能であればレオン王国に行って戻って来る頃には返答が欲しい。レオン王国を実際に見て、意思を固めてもらいたい」


 私は再び居住まいを正した。


「承知致しました。戻りましたら返答致します」

「良い返事を期待している」


 私は魔力が抜けてしまったかのように体を重く感じた。

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