異国からの侵入者

(あれ? 強い魔力?)


 食堂で夕食を取った後だった。女の子達とおしゃべりしながら部屋に戻る途中で強い魔力を感じた。物に込められた魔力ではない。私の部屋に魔力の強い誰かがいる。


 『あの方』に近い魔力だから、魔術院から誰かが訪れて来たのかもしれない。知らせもなく、こっそり来るという事は何かあったのだろうか。


 もう少しおしゃべりしようというルアナの誘いを断って自室の扉の前に立った。そっと扉を開くと、私の机に向かって書き物をする背中が見えた。広い背中からは、背が高そうな男性に見えるけれど、こんな人は魔術院にはいない。年齢は私とそれほど変わらないだろう。私は部屋に入って扉を閉めた。


「こんばんは」


 集中しているようなので、そっと声をかけてみる。


「お帰り、お邪魔してるよ。もうすぐ終わるから少しだけ待ってて」


 その人は首をかしげ、ため息をつき、天井を仰いで何かをつぶやきながら、真剣に何かを書き続けた。ちらちらと横顔が見える。薄いすみれ色の髪、切れ長の瞳、整っているけれど、この国では見かけない感じの顔だちをしている。


(異国の人?)


 同じ質の魔力を持つ近隣の国を記憶の中から探し出す。今の政治の状況では全て友好な関係だったはず。


「出来た!」


 ペンを置いて立ち上がると男性はこちらを振り向いた。正面から見てもこの人の顔に見覚えがない。


「あなたは誰?」


 男性はにっこり笑った。


「僕はエルピディオだ。レオン王国から来ている」

「レオン王国⋯⋯」


 この国と国境を共有する、同じくらいの規模の国だったと記憶している。昔から交流がある友好国で、横に長いこの国の端よりもレオン王国の方が王都からは近いくらいだ。この人は私と同じ学校に通う留学生だろうか。


「私はフィルーゼです。キシリーン国から来ています」

「やだな、魔術院のお姫様。僕は全て知ってるから、そんな嘘は必要無いよ」


 エルピディオと名乗った男性は、面白そうに笑った。


「――あなたは、魔術院からの使いで来たの?」

「違う」

「では王宮?」

「違う」


 私は一歩下がった。先日の質の違う魔力の攻撃を思い出す。攻撃した本人の魔力を宝珠に込めたとは限らない。この人が襲撃者かもしれない。


 何も疑わずに部屋に入ってしまった事を後悔する。心臓が早鐘を打ち嫌な汗が出て来た。


 エルピディオが一歩私に歩み寄る。私は扉に向かって一歩後ろに下がる。隙を見て部屋の外に逃げるつもりで、扉までの距離を目で測った。


「騒いだら、学校生活が終わっちゃうんじゃない?」


 ぎくりとして動きを止めた。エルピディオの余裕を気味悪く感じる。緊張で息が詰まりそうだ。


「大丈夫。僕は君に危害を加えないよ」

「き、危害を加える人は、自分でそう言わないんじゃないですか?」

「ごめんね、そうだよね。怪しんで当然だと思う。だから、これを準備したんだ」


 エルピディオはにっこり笑うと、さっき悩みながら書いていた紙を目の高さに掲げて私に示した。


「聞いてくれる?」


 私が頷くと、えへん、と喉の調子を整えてから内容を読み始めた。


 風になびく青空のような髪、花のような姿。

 君は果物を口にして美しく微笑む。

 僕は君の虜。

 麗しい輝き。

 すばらしい魔力、すばらしい魔力。

 ああ、私の愛しいあなた。

 

 さあ、結婚しましょう。


 読み終わると私の前に片膝をついて、片手を差し伸べた。


「?」


 ぽかんとする私に、エルピディオは『さあ』と、私に差し出した手を催促するように、ぐいっと前に出す。


「???」


 なおも固まったままの私を見て、エルピディオは困った顔をして微笑む。


「ほら、僕の手を取って?」

「えっと、手を取ったらそれは、結婚しましょうの承諾になるってこと?」

「良かった、僕の気持ちはちゃんと伝わったね。さあ、手を取って」


 何が起こっているのか分からなくなった。落ちつこうと思い、私は手を差し伸べるエルピディオを避けるようにしてテーブルの前の椅子に腰掛けた。そして大きく息を吸い込む。


「私は、今日初めてあなたに会ったと思うの」

「君にとってはね。でも僕は、もっと前から君を知ってるよ」


 エルピディオは立ち上がると、私の前に立って紙を差し出した。さっき読み上げた内容が書かれている。


「見てよ。書く文字も話す言葉も、この国の人と変わりないだろう。幼い頃から練習してきたんだ」

「うん、本当に上手だと思う。この国の人だと言われても疑わないくらいよ」


 エルピディオは満足そうにうなずいた。


「僕の書いた詩はどう? 君を称える言葉は溢れるように出て来るんだ。どの言葉を選べばいいか、とても迷った」

「褒めてくれたのよね、ありがとう」


 正直に言うと何を言ってくれていたのか覚えていない。最後の『結婚しましょう』で、驚いて全て忘れてしまった。私は慌てて手渡された詩に目を通した。


「えっと⋯⋯果物を口にして美しく微笑む?」


 この人と一緒に果物を食べたことがあるだろうか。私の事を前から知っていると言った。


「うん。見た目だけはいい騎士みたいな男と一緒に、果物を食べている君を見た」


 昨日の放課後はレアンドルと一緒に町に行って、この季節にしか届かないという珍しい果物を一緒に食べた。


「昨日の事ね? 町で私を見かけたの?」

「美味しいと笑う君は本当に素敵だった。僕と結婚したら、もっと美味しい果物をご馳走するよ。レオン王国にも美味しい果物はたくさんあるんだ。だから、ね?」


 エルピディオは座る私に、再び手を差し出した。私はそれを無視して質問に戻る。


「それでね、私にとってあなたは今日初めて会った人なの。だから、いきなり結婚しましょうと言われて驚いてる」

「結婚してから僕を知ればいいじゃないか」


 エルピディオが不満そうな顔をして、テーブルを挟んで私の向かい側に腰掛けた。


「君の友達にもいるだろう? 先に結婚が決まって、その後にお互いを知る方法はこの国でもよくある事じゃないか」


 マルミナも家同士で決めた婚約の後に交流を深めたと言っていた。


「確かにそうね」

「だろう? だから結婚してから僕を知ればいいよ」


 そういう方法はあると思う。でも、ここで承諾するのは何かが違うと思う。


「何か納得できない」

「ん? 何が?」


 違和感の原因を考える。どうして私は結婚しますと言わない?


「えっと、どうして知らない人と結婚しなきゃいけないか分からないから。だってね、先に結婚を決める人は家の都合とか何か理由があるでしょ? 私があなたと結婚する理由が分からない」


 エルピディオは笑った。


「僕が君の事を好きで、絶対に結婚したいと思ったからだ。先週のオダリス王国からの攻撃を防ぐ君の姿に、僕の心は奪われた」

「あれはオダリス王国からの攻撃だったの?」


 襲撃者の正体は私も知らなかった。

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