恋の授業

「フィルーゼ、制服の時とずいぶん雰囲気が変わるな! すごく綺麗で可愛いよ」


 昨日みんなに選んでもらった服に着替えて中庭に降りると、レアンドルはもう待っていてくれた。


「レアンドルも素敵だわ」


 落ち着いた黒髪が引き立つ淡い水色のシャツが、とても似合っている。レアンドルは魔術院にいる男性達よりも体がしっかりして見える。


(もしかして、騎士さまは、鎧を着ていない時はこんな感じなのかな)


 そう思うと一緒に過ごす事に気恥ずかしさを感じる。


「君の髪の色に合わせたんだ」


 背の高い彼は少し屈んで私の瞳をのぞきこむようにして微笑んだ。


「さて、お姫さま。どうしたい? 俺は君とちゃんと話をしてみたいんだけど、どうかな」

「私も、あなたと話がしてみたい」

「じゃあ、ゆっくり話が出来る所に行こう」


 私たちは町に出ることにした。店や屋敷が密集する中にも景色の良い場所や美しく整えられた公園があった。散歩をしながら案内してもらう。


「わあ!」


 小高い広場からは町が見渡せた。王宮の敷地内にある背の高い塔も見える。塔の窓には美しい色ガラスがはめられていて日の光で美しく輝いていた。


 幼い頃、王宮から魔術師が戻って来ると、皆で王都や王宮の話をせがんだものだ。この美しい塔の話は何度も聞いて憧れていた。


「本当に美しい色に輝いているのね」

「ん? 君の国まで伝わってるの?」


 レアンドルの不思議そうな顔に慌ててごまかす。


「この国についての本で見かけた事があって、実際に見たかったの。連れて来てくれてありがとう」

「喜んでもらえて良かった」


 目の前に広がる景色の特徴的な建物について説明してくれる。話で聞くだけだった王都に実際にいる。その事に改めて感動する。


 町のほうぼうから守りのための強い魔力を感じる。王宮にいる魔術師が整えているだけあって、その流れは美しくすら感じる。魔術師は生涯に渡って国王ただ一人に仕える。今の魔術師が選ばれる為に、どれだけ魔術院で努力をしていたかを思い出す。


 魔術院の事をぼんやり思い返していると、レアンドルが少しためらうような調子で口を開いた。


「ねえ、恋をするために来たって言ってただろう? フィルーゼが思っている恋ってどんなもの?」


 見上げると、ふざけたり茶化したりする様子はなく真剣な顔をしていた。


「実は分からないの。だから恋がどんなものか知りたい」

「分からないのに、こんな遠くまで来たの?」

「私のいた所には、学問に必要な書物は読み切れないほどあったんだけれど、物語はとても少なかった。でも、その中に少しだけ恋について書かれたものがあってね」

「うん」

「大抵、二人は恋に落ちて幸せになりましたって一言しか書いてないの」

「あはは、君が読んだのがおとぎ話だとしたら、確かにそうかもな」

「恋と幸せは結び付いているようだけど詳しい事が分からない。周りに聞いても誰も知らないの。だから幼い頃から、きっと素晴らしいものだと思って憧れていたの」

「幸せね⋯⋯」


 レアンドルが何かを考えるように視線を宙にさまよわせた。


「恋が無くても幸せに暮らせるんだと思う。私には果たすべき使命があって、それを果たせる力があるんですもの、十分幸せだと思ってる。周りの皆も恋をしていないはずだけど幸せそうだし。でも物語を読んでいると、恋はそういう幸せとはまた違うものに思えて」

「それで、経験してみたくなったんだ」

「そう。でも学校の皆の反応を見ると、突飛な願いだったみたいね」


 聞いた誰もがとても驚く。魔術院で希望を伝えた時には『どうしたら実現できるか』と議論になったけれど、荒唐無稽な希望だという反応は無かった。


 レアンドルは大きく息をついた。


「突飛というか⋯⋯恋をするのに適した環境じゃないからだと思う」

「学校は学ぶ場所だから?」

「そうじゃない。がっかりさせたら申し訳ないけど――」


 レアンドルは丁寧に説明してくれた。


 貴族の子弟は自分の気持ちよりも、家の評判や都合を優先させなければならない。


「恋した相手と条件が合って婚約に至ることもある。だけど、婚約も結婚も視野に入れない『恋』は歓迎されない」


 婚約、結婚。私とは縁の無い事。


「君は、結婚してここに残るという選択が出来る?」

「いえ。絶対に出来ない」


 レアンドルは優しくため息をついた。


「将来につながらない恋は歓迎されないんだ」

「条件が合わない人とは、恋が出来ないのね」


 彼は困ったような顔をする。


「そうでもないから、やっかいなんだ。うっかり、そんな相手に恋してしまったら家か恋か、どちらかを選択する事になる。どれを選んでも辛い」

「恋に落ちる相手は、自分の意思で決められないってこと?」

「俺が知る限りではね」


 そうなのか。誰とも将来を共に出来ない私は恋に落ちてはいけない。相手に迷惑を掛けると言うことだ。恋に落ちる資格すら無いとは思わなかった。


「全然、知らなかった。協力してくれる人を見つけて『恋をしましょうね』って始めればいいと思ってたの。恋の先なんて考えたことなかった」


 魔術院の皆は協力者さえ見つけられれば恋が出来るだろうと考えた。同年代の男の子が日常的にいる環境に身を置きさえすれば一人くらい、私に協力して恋をしてくれる相手が見つかるだろうと。


 恐らく魔術院から王宮には恋の事は伝えず、環境の希望だけ伝えたのだと思う。伝えていたら王宮側から、私の希望を叶えるのは難しい事を教えてもらえたかもしれない。


 私は深くため息をついた。


(はなから無理な希望だったのね)


 もともと叶うはずのない願いだったと思えば諦められる。


「教えてくれて、ありがとう。恋は諦める。でもね、それでもいいって思えるくらい学校で過ごす毎日が楽しいから国に帰らずに、ここにいようと思う」


 レアンドルは困った顔をしながら、優しく提案してくれた。


「それなら、俺と恋をする真似事をしないか? 恋する二人が人目を忍んで、こうやって時を過ごす事を『逢引き』って言うんだ」

「逢引き!」

「君は俺に欠片も魅力を感じない?」


 にっこり微笑む彼の黒い瞳は、黒曜石のように輝き吸い込まれそうだ。話をしていて楽しいし、整った顔は見て素直に美しいと思う。そう言うと、にっこり笑ってくれた。


「嫌いじゃない男と逢引きを重ねるのは、恋に落ちた二人の行動に近い。そのうち本当に俺に恋するかもしれないよ?」

「でも、そうなったら、あなたが困るでしょう?」


 レアンドルは声を上げて笑った。


「俺なら困らないよ。他の男だったら、君みたいな魅力的な女の子に好意を寄せられたら、あっと言う間に恋に落ちて地獄を見るだろうな。でも俺は大丈夫」

「どうして?」

「俺は君に恋したりしない。君は俺に恋したとしても、俺に同じ気持ちを求めたり、婚約をねだったりしないだろう?」

「しないわね。いずれ去る事が決まっているもの」

「俺も君と同じで、恋に落ちる事に憧れてるのかもしれない」


 少し恥ずかしそうな顔をして、後ろに束ねた髪をもて遊んだ。


「俺は家柄もいいし縁談もたくさん来る。でも、いつか心から愛せる人に出会えるんじゃないかと思って全て断ってる。兄が家を継ぐから両親にも強制されなかった」

「まだ愛せる人に出会えてないの?」

「学校中の女の子は確認済みだ」

「わあ、すごい」

「褒められる事じゃないよ。まあ、俺は完璧な男だからな、大抵の女の子は俺に夢中になっちゃうんだ。気を付けないと相手の評判を落としてしまうし、しつこく婚約を迫られても面倒だ。もう学校の女の子とは距離を置こうと思ってたんだ。きっと俺は誰も好きになれない」


 少し悲しそうに見える。


「でも、女の子と過ごすのは好きだ。特に君みたいな魅力的な女の子は最高だね。フィルーゼとは一緒にいて楽しい。意見をはっきり言うし、会話も面白い」

「そうなの?」


 レアンドルが手を差し出した。


「君は恋のような気分を味わえる。ひょっとしたら、俺に恋するかもしれない。俺は綺麗な女の子と逢引きを楽しめる。お互いの利害が一致すると思わないか?」


 私は、レアンドルの手を取って握手した。


「うん。いい考えだと思う!」


 私たちは、これからも逢引きをする約束を交わした。


「恋を諦める宣言はするのか?」

「うん、ルアナもマルミナも協力してくれているから、ちゃんと言っておく」

「そうか⋯⋯あ! 逢引きだけしたいという俺の行動は、傍目にはかなり不誠実に映るだろうな」


 レアンドルは、これ以上評判を落としたくないと、困ったような顔をしている。


「なるほど。では気が合ったから友達になったと言えばいい? 逢引きと言わなければいいのよね」

「確かにそうだな。うん、いいね。そうしよう」


 学校に戻ると、食堂の前でクレマンがうろうろとしていた。


「クレマン!」


 レアンドルが声をかけると、クレマンはこちらを見て片手をあげた。


「クレマン、お前こんな所で何やってるんだよ」

「何って、夕食を取ろうと思って食堂に来ただけだ」

「わざわざ、外から食堂に入るのか?」


 レアンドルの問いかけにクレマンは『散歩してたんだ』と歯切れ悪く答えた。何か言いたげにレアンドルと私を見るけど何も聞かない。


「お前、俺がフィルーゼの嫌がる事するんじゃないか心配してたんだろう」

「そんなんじゃない」


(心配してくれたんだ)


「やっぱり、お前って『お兄さん』だよなあ。ルアナの他にもう一人、妹が出来たような気がしてるんだろう」

「そんなんじゃない」


 クレマンは、大きくため息をついた。


「けど、ほら。フィルーゼは人との距離の取り方が俺たちとは少し違うし、お前はその⋯⋯それに付け込みそうだし」

「心配してくれたのね!」


 嬉しくなってクレマンの手をうっかり握り、勢い良く振りほどかれる。


「ほら! フィルーゼ、それだよ! 距離を考えて!」

「ははは。安心しろ。俺たちは友達になったんだよな、フィルーゼ?」

「うん。友達になったの」


 今日案内してもらった場所のことなど聞いてもらいながら、私たちは食堂に入った。中にいたルアナとマルミナにも同じように心配されて、レアンドルはまた不貞腐れていた。


「ほんっとに、俺って信用されてないんだな」

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