日の出が美しく見える場所

「はあー、疲れた!」


 私は寝台の上に仰向けにぱたんと寝転がった。ふわりと広がる石鹸の香りには未だ違和感を覚える。魔術院で使っていた石鹸の香りが少し懐かしくなる。


 今朝、クレマンの髪に触れた事を思い出す。魔術院の幼い子たちの風呂上りの頭を拭いてやる時、あんな風に柔らかい髪に顔を埋めて抱きしめてやると喜んでくれた。思い出すと少しだけ寂しくなる。


 魔術院を離れてからもう6か月経つ。学校は4月が区切り良いと言われたので、自由な1年の半分を使って国の各地を巡った。


 この1年が終わった後の私には、もう魔術院の外に出る機会は訪れない。見たい物、見たい所を出来る限り巡れる旅程を数年かけて計画した。ここに無事に着いた時点で目標のうちのほとんどを達成できている。


(後は、恋をするだけ)


「出来るのかなー」


 枕元の灯りをぼんやりと眺めた。


 教室で教師が私を紹介した時は大騒ぎになった。みんな転入生という存在を初めて見たのだ。珍しくて仕方ないらしい。しかも、思った以上に『異国の王女』という肩書は、みんなの興味を引いたらしく、授業中には一挙手一投足まで観察され、休み時間は周りに人だかりが出来て質問攻めにあった。


 魔術院には全員合わせて30人くらいしかいない。数年に一度、亡くなったり新しく赤ちゃんがやってきたりする程度で、顔ぶれがほとんど変わらない。


 訪れる人も、国王や王子と王宮のごく限られた数人だけ。日常生活の雑事も全て自分達で行う狭い世界で育ってきたので、これまでの人生で出会った人の数よりも多い人に囲まれて少し怖くなってしまった。


 笑顔で受け答えしていたつもりだったけど、無理しているのが分かったのか、食堂で友達になってくれたルアナとマルミナが上手く助けてくれた。二人は寮での生活についても細かい所まで気を配って面倒を見てくれた。二人のおかげで、ここで暮らして行く自信がついた。


 全て二人を紹介してくれたクレマンのおかげだ。


(でも、クレマンには嫌われているみたい)


 恐らく距離の取り方を間違えた私を不快に思っているのだろう。迷惑じゃないとは言ってくれたけど、恐らく本心ではないと思う。


(申し訳ないことをしたな⋯⋯)


 この学校に居られるのは半年程度。それは恋をするには長いのか短いのか分からない。本当は友達になってくれたクレマンが恋にも協力してくれたら、確実に目標を達成できるのだけど、恋には『好意』が必ず必要だと思う。嫌われているから無理だ。


 私はふう、と大きなため息をついた。ルアナとマルミナは、まずは学校生活に慣れる事を優先した方が良いと言ってくれた。焦らないで、そうしてみようと思う。


 私は明かりを消して眠った。


 夢の中で素敵な騎士が私の前に片膝をついて手を取った。


『さあ、お姫様。私と一緒に行きましょう』

『はい、騎士さま』 


 騎士さまは、ひらりと白馬に乗り私を横抱きにして座らせると馬を駆けさせた。


 二人は恋に落ちて幸せになりました。


 でも私達はどうやって出会って、どうやって恋に落ちたのか全く思い出せない。騎士さまに尋ねてみる。


『とにかく、私達は恋に落ちて幸せになるのです』


 騎士さまは素敵にほほ笑むばかりだった。



 目が覚めると、辺りはまだ薄暗かった。時計を見ると食堂が開くまで1時間以上ある。


「よし、ちょうど良い感じ」


 長年の習慣で、日の出の少し前に自然と目が覚める。その時間に、幼い頃から1日も欠かさず『あの方』に祈りを捧げている。私は素早く身支度をして寮の裏口から庭に出た。


 昨日の古びた噴水の辺りは、学校の敷地全体の魔力を感じ取りやすかった。今日もあの場所で祈りを捧げようと向かう。朝早くに散歩をする人はいないようで、たまに用事に忙しそうな使用人を見かけるくらいだ。


 『異国の王女』の設定は違和感無く受け入れられたようで、魔術院や魔力について触れる人は誰もいなかった。この調子なら例え祈る姿を見られたとしても自国の習慣で済むだろう。過度に人目を気にすることはやめた。


 私は噴水まで来ると、意識を集中させて辺りの魔力を探った。昨日と変わらずこの土地は魔力に満ちて整っている。


 すう、と息を吸い込み『あの方』への感謝の気持ちで心を満たす。


「あがきみますこのあめつち あがきみしきなぶこのあめつち――」


 私は気持ちを声に乗せて紡ぐ。


 穏やかな音楽となり、風と共に遠くに運ばれる。この先の生活を少し不安に思う気持ち、この国の広さと豊かさを改めて感じて『あの方』への感謝の気持ちが増したこと、気持ちを旋律と言葉に乗せ、いつもよりも長く祈った。


「――いりひさしみずのねさやけし しみさびたてりみずやまうまし」


 私は確かに感じた。想いは魔術院に眠る『あの方』に届いた。


 私はふう、と息をついて辺りを見回した。噴水から流れる水が、さらさらと清らかな音をたてている。昨日は気が付かなかったけれど、噴水の中央の大きな彫像のは魔獣のように見える。古びてはいるけれど丁寧に手入れはされているようだ。


「何の魔獣なのかな。ウリオン?」


 彫像を眺めながら噴水を周ったところで、私が祈りを捧げていた反対側に人が腰かけていた事を知った。


「あ!」

「⋯⋯おはよう」


 気まずそうな顔をして挨拶をしてくれたのはクレマンだった。


(昨日もここで会った。きっと、ここはクレマンが朝を過ごす場所なんだ)


 朝の散歩をしていると言っていた。昨日も今日も、きっと私はクレマンの朝の時間を邪魔してしまっている。これでは、ますます嫌われてしまう。


「おはよう。ごめんなさい、ここはあなたの場所なのね。明日からは違う場所を探すから。本当にごめんなさい」

「別に、俺の場所というわけじゃない」

「昨日もごめんなさい。私、ここで初めて友達が出来たから舞い上がってしまったけど、やっぱり迷惑だったと思って。反省しています」


 後ずさりながら言うと、クレマンは少し困った顔をした。


「そんなに謝らないで欲しい。俺も驚いたから、冷たい態度を取ってしまったと思って反省してる。君は知らない国に来て心細かっただろうに申し訳なかった」

「いえ、ルアナとマルミナを紹介してもらえて、本当に感謝してるの。ありがとう」

「ルアナと仲良くなれたみたいで良かった。あの子は兄の僕から見ても、面倒見がいいんだ。きっと助けてくれる」

「ありがとう。本当に素敵な妹さんね。友達になってもらえて嬉しい」


 クレマンは嬉しそうに笑ってくれた。


「さっきの歌、昨日とは少し違う気がする。朝に歌うのはフィルーゼの国の習慣?」

「毎朝、日の出と共に歌うの」

「美しい歌だね」

「ありがとう」


 褒められて嬉しい。魔術院では皆それぞれ自分の言葉と旋律を持つ。私は日の出と共に歌うけれど、日の入りに合わせる人もいれば、月に向かう人もいる。それぞれ自分の感覚で、一番伝わると思う方法で『あの方』に想いを伝える。


「あなたは、毎朝ここで過ごすの?」

「うん。ここが一番、日の出が美しく見える」


 建物も山も邪魔をせず、ゆっくりと現れる太陽の姿が見える。とても美しいと思う。


「明日は違う場所を探すから。邪魔してごめんなさい」


 せっかくの朝日を邪魔されるのは気分が悪いはずだ。そう思ったけれどクレマンは遠慮がちに提案をしてくれた。


「もし嫌じゃなければ、明日からもここで習慣を続けてもらえないかな」

「え? 邪魔じゃない?」

「フィルーゼの歌は⋯⋯何て言えばいいんだろう。日の出を敬うというか、1日を迎える朝にしっくりくると言うか。ごめん、上手く言えないけど聞かせて欲しいんだ」

「ありがとう、嬉しい。私もここから見る日の出が美しいと思う。ここで気持ちを歌いたい」


 クレマンとそのまま、他愛もない話をしてから食堂に向かった。開いたばかりの食堂には、まだ人が少ない。しばらくするとマルミナが、すぐにルアナがやってきて、みんなで同じテーブルを囲む。


 それが毎朝の習慣になった。


 ちなみに、クレマンに恋の相手になってくれないか聞いてみたところ『他を当たってくれ!』と真っ赤な顔で断られてしまった。そう都合良くはいかないようだ。

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