私の夢は恋をすること

「恋って、誰かを好きになる恋のこと?」


 ルアナが不思議そうに聞く。私が言葉を間違って理解しているのではないかと疑っているようだ。


「そうなの。素敵な人を見つけて恋をする事が、幼い頃からの夢だったの」

「⋯⋯それは、自分の国では出来ないのか?」


 クレマンが驚いたような顔をしている。まあ、当然の疑問だろう。


「私の立場では出来ない。私には使命があって家族のような限られた人としか会えない場所にいたの。今後もずっとそこから出られないから、恋するなんて無理だと思ったの」

「⋯⋯あなたの国にいる時は、その場所からずっと出られないということ?」


 マルミナが真剣な顔をしている。


「そう。国に戻ったら、そこからもう出ないわ。残りの生涯は全てを使命に捧げる」


 結婚は禁止されていない。ただ、魔術院から離れられない私が接する事ができるのは、その存在を知る一握りの人か魔術院の中の人だけ。


 魔術院に引き取られるほど魔力が強い人間は、国中探しても数年に一度しか生まれない。数年続けて生まれる事もあるけれど、大抵は4~5年ごとに1人生まれるかどうか。私と一番年が近い異性は10歳の男の子。その次は37歳。恋の相手という気持ちにはなれない。


「だから私の国の偉い人達と一緒に考えて、何も知らない遠くの外国の学校なら夢を叶えられるんじゃないかって思ったの。――この方法では無理だと思う?」


 3人が戸惑っているのが分かる。魔術院の皆で考えた方法だったけど間違っていただろうか。ルアナがごくりと喉を鳴らした。


「ごめんなさい、少し驚いてしまって。使命に生涯を捧げるなんて、とても気高い行いだと思う」

「そうかしら。⋯⋯それは、あまり考えた事が無かった」


 そんな事を褒められたのは初めてで恥ずかしくなる。


「そんな覚悟があるのですから、幼い頃からの夢くらい叶えたいわよね」


 心なしかマルミナの瞳が潤んでいるように見える。私の手をぎゅっと握ってくれた。


「あなたの夢を叶えましょうね」


 ルアナもその上から手を重ねてくれる。クレマンは驚いて呆けたような表情のまま固まっている。


「ありがとう」


 少し深刻な雰囲気になってしまった。困っていると私の後ろから明るい声が降って来た。


「それなら、俺はどうかな」


 振り返るように見上げると、真っ黒な瞳とぶつかった。


「「王子!」」


 ルアナとマルミナが声を合わせた。


(王子?)


 まずい。王位継承者は魔術院に来て儀式を執り行う事がある。私はほとんどの儀式に参加しているから、顔を見られている可能性がある。


(学校に通う年齢の王子はいなかったはずだけど)


 少し身を引いて観察した。長めの黒髪を後ろで束ねている。整った顔立ちには、確かに国王や先王の面影がある。けれど『王子』と呼ばれたこの人には見覚えは無い。


「お邪魔するよ」


 王子は隣のテーブルで話を聞いていたらしい。先ほどまで座っていたと思われる椅子を私の横に置いて座った。少し狭い。王子は『盗み聞きなんて下品よ』というルアナの声は聞こえない振りをしている。


「レアンドル・エドシャールだ」


 差し出された手を取っていいのか迷って、ちらりとクレマンを見ると、かすかに頷いてくれた。異性で友達じゃない人だけど握手は大丈夫らしい。


「フィルーゼです」

「みんな『王子』と呼ぶけれど、俺は王子じゃない。父が王の弟だから愛称として呼ばれているだけだ。君にはレアンドルと名前を呼んでもらいたいな」


 なるほど。王の甥にあたるのなら面影があってもおかしくない。にっこり笑うレアンドルは握手が終わっても私の手を離してくれない。


(そういうものかしら?)


 ちらりともう一度クレマンを見ると、今度はかすかに首を横に振っている。私は手を引っ込めようとしてみたけれど、レアンドルは離してくれない。


「?」


 もう一度クレマンを見てみると困ったような顔をしている。


「どうして、何度もクレマンを見るの?」


 レアンドルに質問されてしまった。そんなにはっきりと見たつもりはなかったけど分かりやすかっただろうか。隠す事でもないので正直に伝える。


「朝食の前に失敗をしてしまって、クレマンに教えてもらったの」

「失敗?」

「私がいた国とここでは異性との距離の取り方が違うみたいで、私はそれを上手く理解できなくて失敗しちゃったの」


 ルアナがレアンドルを押しのけて、ぐいっと身を乗り出して来た。


「それ、詳しく教えて!」


 私は祈りの事は伏せて、散歩中にクレマンに出会った事、友達になって抱きついたら間違っていると正された事を伝えた。


 クレマンはまた真っ赤になりルアナとレアンドルはお腹を抱えて笑った。マルミナも控えめに上品に笑っている。


「いいわね、フィルーゼ! あなた大好きよ。いつも何を考えているか分からなくて取り澄ました顔をしてるクレマンを動揺させるなんて、やるじゃない。双子の私ですら、あんなに困っている兄の姿は滅多に見ないの。何があったのかと思ったら、そういう事だったのね」


 私が見る限りクレマンは慌ててオロオロしている事が多かったけど、普段は違うようだ。


(そんなに困らせてしまったのか)


 申し訳なさに身が縮む思いだ。レアンドルはもう一度私の手を握った。


「クレマンは正しいよ。だけど、好意を持つ相手に自分を売り込む時にも距離を詰める」

「自分を売り込む?」

「そう、今、俺は君に自分を売り込んでいるよ」


 レアンドルが、ぐっと近寄った。何となく私はのけぞって後ろに身を引く。


「王子、ほどほどになさって」


 マルミナの優しい言葉に、レアンドルはため息をついて手を離した。


「仕方ないな。でも、俺に君の夢を叶える手伝いをさせてくれないか?」


 レアンドルが黒い瞳を輝かせて私をじっと見て言ってくれる。


「ありがとうございます。ぜひ、よろしくお願いします」

「うんうん。俺も3年生だから、また後で会おう」


 そう言うと『お邪魔したね』と椅子を戻して去っていった。この様子を見ていた周りの人たちが、ざわざわと何かを話している。やっと視線が落ち着いたと思っていたのに、また目立ってしまった気がする。


「ふふ。王子らしいわね。フィルーゼ、気を付けてね。王子はいい人だけど、気に入った女の子には、すぐああいう態度を取るから」

「そうなのね」


 何に気を付けるかよく分からないけれど、マルミナもクレマンも頷いているから、何かを気を付けなければならないらしい。


(色々と難しいのね、学校って)


「さ、私たちも急いで食べて行きましょう。フィルーゼ、一度部屋に戻るでしょう? 一緒に行きましょう」


 ルアナとマルミナに促されて食事をした。食堂を立ち去る時に見たクレマンは、椅子に背中を預けて疲れたように天を仰いでいた。

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