架空の国の王女様

 ルアナは手を引いて、食堂の端の自分達が座っていた席に案内してくれた。テーブルには、長い巻き毛を輝かせた女の子もいた。


「まあ、おはようございます」


 巻き毛の子はにっこりと優雅にほほ笑んで挨拶してくれた。花がほころぶような笑顔とはこの事だ。そう思って、さっきまでの緊張も忘れて見惚れてしまった。


「おはようございます」


 ルアナは私をその子の隣の椅子に座らせた。


「クレマンと一緒に、朝食をもらってくるわね。あなたは、ここでマルミナと一緒に待ってて」

「ありがとう」


 見れば、ルアナが座っていたと思われる席には、食べかけのパンとスープがある。食事の手を止めさせて申し訳ないと思うけれど、全く勝手が分からないので甘える事にした。


「ねえ、フィルーゼ。手を離してくれないと行けないわ」

「ごめんなさい!」


 慌てて離すとマルミナと呼ばれていた、巻き毛の女の子が手をつないでくれた。


「すぐ戻って来るから、私と待っていましょう」


 クレマンとルアナは私の方を心配そうに振り返りながら奥に行った。 


 昨晩ここに送り届けてくれた人は、食堂がある事や開いている時間、学校が始まる時間などは説明してくれたけれど、詳しい事は行けばどうにかなると言っていた。クレマンがいなくて一人ぼっちでここに来ていたらと思うと恐ろしい。クレマンに会えたことは幸運だった。


 不安になってクレマンとルアナを目で追う私に、マルミナは優しい声で話しかけてくれる。


「私はマルミナといいます。あなたのお名前は?」

「私はフィルーゼです。昨日、ここに着いたばかりで何も分かりません。よろしければ、色々と教えて頂けないでしょうか」

「もちろん、喜んで」

「ありがとう」


 私はマルミナの手を強く握った。


「ふふ、可愛い人ね」

「あなたは、とても綺麗だわ。物語に出て来るお姫様みたい」


 うっとりと言うとマルミナは顔を真っ赤にしてしまった。


「あ、あら。お姫様だなんて」

「お待たせ!」


 ルアナとクレマンが戻って来た。ルアナは私の前に朝食を並べてから自分の席に戻った。香ばしい香りがするパンと、具沢山のスープ、果物。とても美味しそうだ。クレマンは同じテーブルの空いている席についた。


「兄に聞いたわ。あなた留学生なんですってね」


 そしてマルミナに向かって言う。


「私たちと同じ3年生ですって」

「あら。留学生! こんなこと初めてね。とても嬉しいわ」


 マルミナがにこにこと笑ってくれる。私は手を握ったままだった事に気付いて慌てて離した。


「よろしくお願いします」

「この国の習慣などを教えてくれる人を探していると聞いたけど、それは私とマルミナでも構わない?」


 クレマンを見ると優しい顔で頷いてくれた。彼がお願いしてくれたようだ。

 

「ありがとうございます! あの、私と友達になってもらえますか?」


 緊張して声が上ずってしまった。二人は『もちろん』と優しく笑ってくれた。安心と嬉しさで、また涙があふれそうになった。二人は微笑みながら、テーブル越しにまた私の手を握ってくれた。


「ねえ、フィリーゼは、どこから来たの?」

「キシリーン国です」


 マルミナがゆったりと首をかしげた。私がいた所には、活発な女性が多く、こういう優雅な雰囲気をまとう女性は見かけない。100歳を超えても元気いっぱいだ。


 私は『魔術院』という特殊な場所で育った。


 この国の人々は魔術院の存在を知らない。聞いたことがあったとしても、おとぎ話や伝説の類だと思われている。詳細を知らされているのは、国の中でもごく一握りの人だけ。特別な事情があるため厳重に隠されている。


 人間には生まれつき魔力が備わっている。ほとんどの人間は『そんなものあったかな』程度にしか思っていない。魔道具と呼ばれる少量の魔力を注いで使う道具で、小さな火を起こしたり明かりをつける事に使うのががせいぜいで、日常で意識する場面はほとんど無い。


 魔術院に所属する人間は、生まれた時からその魔力量が常人とは桁外れに違う。この国では魔力の強い赤子は生まれてすぐに魔術院に引き取られて、そこで生涯を終える。


 私もそうやって魔術院に引き取られた。だから本当の両親の事は顔も名前も何も知らない。莫大な金銭と引き換えに子供が生まれなかった事にされているらしい。


 全てを魔術院に捧げる代わりに、私たちは成人となる18歳の直前に1年間だけ、好きに過ごすことを認められている。


 私は半分の期間を国の各地を旅する事に使い、残り半分で学校に通うと決めた。魔術院の存在は明かせないので、外国からの留学生という事にしてある。


「キシリーン、キシリーン⋯⋯」


 3人とも私が伝えた架空の国を思い出そうと苦心している。恐らく留学生本人に対して『知らない』と言えないのだろう。ちなみに、せっかくなので『王女』にしてもらった。


 つまり、異国の王女様。おとぎ話の主人公みたいではないか。


「とても小さな国で、他国には名前が知られていないの。閉鎖的で国交もわずかしか無いと聞いてる」

「だから聞いた事がなかったのか」

「クレマンですら知らないなら、本当に交流が無い国なのね」


 改めて学校と打ち合わせた設定を伝えた。学校側も私の正式な身元を知らない。王宮から事情を詮索せずに私を半年間だけ預かるよう命じられているはずだ。学校の責任者と王宮との間で、架空の国からの留学生にすると決められた。


 学校や生徒たちには絶対に魔術院の存在を知られてはいけない。知られたら、そこで私の学校生活は終了してしまう。


「キシリーンは、ここから数か月かかる遠い国で大陸の端にあるの」

「もっと近くに大きな国もあるでしょう。なぜ、この国を選んだの?」


 ルアナが濃い青い瞳を輝かせて聞いてくる。


「図書室に、この国の事について書かれた書物が何冊もあって、幼い頃からずっと憧れてきたの」


 これは本当だ。外の世界についてかかれた書物を読んで、ずっと憧れていた。特にお気に入りだったのは、騎士が世界中を冒険してお姫様と恋に落ちる話。


「私の国では成人の前に、少しの間だけ自由に過ごせる時間をもらえる慣習があって、その時間を使って憧れの国に夢を叶えに来たの」

「夢?」


 マルミナが首をかしげた。


「恋をしたいの!」


 テーブルを囲む3人の動きがぴたりと止まった。

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