その3 探偵、少年と夜を過ごす事
弘少年の後について、俺は彼の部屋に踏み込んだ。
室内が酷く散乱しているたとえに、
『地震と台風が一時に襲ったようだ』
などと言う事がよくあるが、正に今、俺の目の前にあるのがそのものの光景だった。
部屋は6畳ほど、3つある背の高い本棚は全部横倒しになり、収まっていた書物は全て床に散乱している。
さらに、机の引き出しは全て抜かれ、中身が床にぶちまけられていた。
弘少年は最初の言葉を発した後は、ため息を一つつき、後は何も言わずに室内を片付け始めた。
ひどく冷静な対応に、俺は少なからず驚いた。
『確認はしなくていいのか?何か重要なものが無くなっているかも』
『その必要はありませんよ』
ひどくはっきりした口調だった。
『重要なものなんか、この部屋にはありません。そんなものは・・・・・』
彼は自分の頭を指で叩いて見せ、
『全部ここにあります』そう答えた。
なるほどな、流石にギフテッドだ。
俺は彼を手伝って、室内を片付けることにした。
室内を半分まで、2人座れるほどまでにいられる状況に出来た時、もう昼はとうに回っていた。
その時になって、俺達は何も食べていないことに気が付いた。
どうしようか、と考えた。
外に食べに出るには危険すぎる。
何しろ生きるデータベースをこのまま外に出すわけにもいかん。
幾ら俺がいても、複数で襲われたら、一人じゃ守り切れまい。
俺はキッチンに行って冷蔵庫の中を探ってみたが、食べ物らしいものは何もなかった。
だが、彼はさほど気にもしていないようで、机の上でひっくり返っていた固定電話の子機を取り上げると、ダイヤルをプッシュして、デリバリーサービスを呼びだした。
何がいいか、と俺に聞く。
俺は”ハンバーガーで構わんよ”と答え、結局意見が一致した。
1時間も待たずに、デリバリーサービスによって、二人分のハンバーガー、コーラとコーヒー、ポテトが運ばれた。
食事を済ませると、よほど疲れていたんだろう。
”横になってもいいですか?”
彼はそう言い、俺は言いだろうと答えると、彼はそのままベッドの中に潜り込み、直ぐに寝息を立てた。
幾ら天才少年だからって、寝顔はやっぱり11歳の子供だ。
俺は彼が寝ている間、家の中をくまなく探してみた。
書物以外は本当に何もない家だった。
父親は禁酒、禁煙なんだろう。
酒も煙草も見つからない。
それどころか、手掛かりになりそうなものは何一つなかった。
そういえば俺も疲れたな。
俺はベッドの端に身体をもたせ掛け、片手に拳銃を持ったままうとうとしかけた。
”10分くらいなら何とか・・・・”
そう思い、俺は目を
目を覚ました時、部屋の中はすっかり暗くなっていた。
幾ら残暑が長かったとはいえ、10月には違いない。
俺は腕時計を眺めた。
午後5時かっきり
いかんなあと首を振る。
10分どころか1時間は寝ちまっていた計算だ。
元空挺レンジャーの名が泣くってもんだ。
弘少年はベッドの中で、軽い寝息を立てている。
俺は彼の髪の毛を撫でてやった。
左のこめかみの少し上の中に、小さな傷があった。普通ならば髪に埋もれて誰も気づかないほどの大きさだ。
それからM1917をホルスターに収め、部屋の中を見て回る。
本ばかりだ。
物理学、生物学・・・・エトセトラ、エトセトラ・・・・俺なんかの頭じゃ、到底理解出来ない類のものばかりだ。
これでも子供なんだなと思わせたのは、漫画で描かれたアインシュタインとキュリー夫人の伝記くらいのものだった。
シナモンスティックを取り出し、口に咥える。
時刻は22:00。
ふいに電話が鳴った。
俺は窓に近づかないようにして子機を取った。
『もしもし』
小さく言う。
応答はない。
『もしもし』
もう一度問い返す。
『あんたは誰だね。』
男の声だった。
『ケヴィン・コスナーだよ』
『なんだって?』
『”ボディ・ガード”って映画を知らないのか?』
『何でもいい。息子・・・・弘を出してくれ』
『まだ寝ているよ。天才だからって身体は子供だ。もう少し寝かせて置いてやるのが大人の務めじゃないかね?それより、あんたは‥‥』
電話はそこで切れた。
切れる前、
『頼む、弘を守ってやってくれ』そう言った。少し妙な音と共に。
俺の腕時計が、
22:10を示した時、少年は目を開け、身体を起こした。
『何か変わったことはありましたか?』
彼が訊ねる。
俺は電話があったことを素直に話した。
『起こせばよかったかな。しかしあんまりよく眠っていたものでね。すまん』
『いえ、いいんです。恐らく父です。毎日その時間に連絡があるんです。約束は守る人ですからね』
出来た息子だ。
俺は少し安心した。
『良ければシャワーを借りたいんだがね』
『タオルは廊下を出てすぐの棚の中にあります』
俺は彼に礼を言って廊下に出た。
確かに棚の中に、きちんと畳まれた数枚のバスタオルが入っていた。
階段を降りてすぐ右手に浴室があった。
俺は拳銃を洗濯機の上に置き、浴室のドアを開けたまま手早くシャワーを浴びて部屋に帰った。
少年はベッドの端に座って、アインシュタインの伝記を読んでいた。
『父が買ってくれました。漫画で買ってくれたのはそれくらいのものでした』
彼はそれからしばらく父親について語った。
父は決して学問一筋の堅い人間ではなかったが、だからと言って彼の才能を伸ばすことには決して妥協はしなかった。
テレビも1日1時間しか許されなかったし、漫画もごく限られたものしか読めなかった。
しかし彼はそのことを格別不自由だと思ったことはなかった。
『漫画やテレビより、僕には大切なものがあったんです。父はそれを教えてくれました。』
だけど、時々は逆らいたくなることもありましたけどね。寂しそうにそう付け加えた。
30分ほどして、また電話が鳴った。
俺は受話器に手を伸ばそうとして、彼に目配せをした。
弘は黙って首を振った。
俺が子機を取る。
”さる機関のものだ。その子・・・・いや、弘君を渡してくれないかね”
『立派な口の聞き方だな。それだけは褒めてやろう』
”何?”
『ウソをつかなかったことをさ。
”何物か知らないが、粋がるのは止めておくんだな”
『粋がってるわけじゃない。本心を言ったのさ』
電話はそこで切れた。
最後に相変わらず耳障りな音が入った。
『どうやらここはあっちこっちから見張られているようだな』
俺はそう言ってから、ポケットからドライバーセットを取り出した。
子機の真ん中にあるねじを使ってばらす。
思った通りだ。
中に一つだけ、黒い機器が取り付けられてあった。
『やはりな』
『それは・・・・盗聴器ですか?』
ワニ口クリップで配線に止められたそいつを摘まみ上げて、弘が言った。
『ごく原始的なやつだ。秋葉原の電気街にでもいけば、幾らでも手に入る。しかしここに仕掛けられているってことは・・・・・』
『家中にあるとみて間違いないでしょうね』
弘君は、大人気少年漫画の名探偵みたいな顔をしていい、それから『すみません』と頭を下げた。
『いちいち謝らなくてもいいよ・・・・それよりこれだけ見張られているってことは、この家も引き払った方がいいだろうな』
『すぐ出られます。身一つですから』
今度は謝らなかった。
『まあ、そう急ぐこともあるまい。朝まで待とう』俺はそう答えた。
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