5話 怪談

「“怪談”……? くわいだん……?」


 聞き慣れない言葉に、老人は首を傾げる。


「東で生まれた言葉なので、ご存じなくても仕方ありません。こちら風に言うと単純に、“怖い話scary story”というべきでしょうか」

「……ふむ」

「例えば、こんな話です」


 君は、適当の紙切れを借り、簡単な“怪談”を編む。

 声に出さなかったのは、“物語魔法”の発動を抑制するためだ。




――――――――――――――――――――――


『或る赤ん坊』


 いまより、世の中がずっと貧しかったころ。

 とある村に、その日暮らしの薬草取りがいた。

 彼は結婚していたが、経済的な理由から子供を育てられず、産まれた子供を六人まで、次々と河に捨てたという。

 そうしているうち、徐々に暮らし向きが良くなってきた彼は、七人目の子供を育てることにする。


 そんな、ある月夜。

 薬草取りは、三ヶ月となる息子を抱き、散歩に出る。


「今日は、いい夜だねえ」


 しみじみと言う薬草取り。

 すると赤児が、老人のような声色で、こう応えた。


「父さん。僕を流したあの夜も、ちょうどこういう月夜だったね。今度は、殺さないでおくれよ。ね?」


 ……薬草取りは、恐怖のあまり気が触れてしまったという。



教訓:道理に背くと、報いが訪れる。


――――――――――――――――――――――




 老人は、その内容に目を通し、「なるほど」と唸った。


「“物語魔法”の使い手は、様々なものを触媒として術を行使します。……そこに“怪談”の要素が組み込まれると、よくない効果を引き出してしまう。――アルフォンスさん。最近なにか、いたずらの手紙を受け取ったりしませんでしたか?」

「それは――」


 アルフォンス老は、不快そうに手を当てて、


「……ある」

「やはり」

「それも、山のようにね。世の中は、暇な人間が多い。こういう仕事をしているとね」

「なるほど。森を隠すなら、森の中。“怪談”を隠すなら……ということか。手紙は、もう捨ててしまいましたか」

「いや。書斎は広くとっていてね。全ての書類は、一年ほど保管する決まりになってる」


 よし。捨てられてなかったか。

 君は内心、ガッツポーズ。


「いいですか」


 身を乗り出し、“熱心な治療師”といった風情を演出する。

 吟遊詩人は時に、こうしたパフォーマンスも必要だ。


「あなたが受けているのは、“言葉の呪い”です」

「言葉……?」

「ええ。あなたはいま、言葉を悪用するものの手で、意図的に傷つけられている」


 その瞬間、老人の瞳の奥に、きらりと光るものが産まれた。

 それは恐らく、“希望”に類するものだ。


 病気というものは、自然と生まれ出ずるもの。

 それが天命だと、諦めるしかないものだ。

 だが、それが“敵”の策略だとわかれば、取り除くことができる。


「しかし……それは本当かね?、言葉の呪いなど、これまで聞いたことが……」


 それでも、慎重な政治家は、こう訊ねた。

 彼ほどの立場となれば、聞き心地のよい情報の与える危険性をよく知っている。


「では、まず俺の話を聞いて貰ってもいいですか。その昔、“グリム”という男が書いた、有名な昔話です。――もうすでにご存じかもしれませんが、俺の“声”を触媒にすると、治癒の効果が現れるはずです」

「……。うむ」


 そうして君は、“物語魔法レコントル”を発動する。




――――――――――――――――――――――


『命の水の冒険』


 昔々あるところに、とある王がいた。

 王は難病に冒されていて、余命幾ばくもないとされていた。

 病気を治す唯一の薬は、“命の水”と呼ばれている。


 王命により“命の水”を探す王子は、旅の途中、一匹のゴブリンと出会う。

 自身を『善いゴブリン』だと言うそいつは、その醜い風貌から、随分と嫌われて生きてきたようだ。

 だが、潔白な心を持つ王子に、偏見の色眼鏡はなかった。

 彼は、ゴブリンとよくよく話し……彼の初めての友達となる。


 すっかり意気投合した王子は、彼から魔法の鍵とパンを授かった。


「この先に“命の水”がある城がある」


「城にはこの、魔法の鍵を使って入りなさい」


「城には、恐ろしいライオンがいる」


「そいつにこのパンをくれてやり、その間に先を行きなさい」


 ゴブリンの言葉に従って、王子は“命の水”を手に入れる。

 王はすっかり元気になって、王子とともに末永く国を治めたという。



 教訓1:どのような難業も、コミュ力次第でなんとかなる。

 教訓2:昔話はときどき、ライオンがパンを食うとかそういう雑な展開をやる。


――――――――――――――――――――――




「ふむ……」


 話を聞き終え、アルフォンスは顔をしかめる。

 その唇は斜めに歪んでおり――君は一瞬、怒っているのかと思う。

 だが、どうやらそれは、彼なりの笑顔らしい。


「今回はあえて、少しピントをズラした“物語”をお聞かせしました。――よくある病気治療譚ですが、主題は王子の冒険です。善行が報われ、宝を得る物語。……これには、胸の内を元気にする効果があります」

「そう……だな」


 老人に気力が満ち満ちている。


「たしかに……サーニャの言うとおり。凄い魔法だ」


 するとサーニャは、得意げに胸を張る。


「ありがとう。こんなに気分が良いのは、久しぶりだ」


 すっくと立ちあがろうとする老人に、君は慌てた。


「無理はなされずに。まだ、抜本的な治療が済んでいません」

「抜本的……?」

「ええ。あなたが“怪談”を読んだのであれば、これを解呪しなければならない。しばし、屋敷の逗留を許可していただけますか」


 すると老人は、君の顔を真っ直ぐに見て、深々と頭を下げた。


――全面的に、任せる。


 そう察した君は、ほっと胸をなで下ろす。


(どうやらこの人も、“善い読者”だったみたいだ)


 政治家なんてみんな、不寛容な人ばかりだと思い込んでいたが……世の中案外、捨てたものではないかもしれない。







 そうして、立ち去り際。

 「あ」と、サーニャが声を上げ、


「そういえば、御主人様。……なんだったんです? 私に言いたいことって」


 すると、血色の戻った老人は、忠実なメイドの顔をじっと見る。


「いや――なんでもない」

「?」

「ほんの先ほどまで、話すべきことがあった。……が、この御仁のお陰で、話す必要がなくなったのだ」

「それって……まさか……」


 賢い少女は、それだけでこの老人が話そうとしていたことを察したようだ。


「遺言、…………とか?」

「そんなところだ」

「そんな」


 その言葉に、少女の顔が曇る。

 格好だけ見せかけた感情、ではない。


 それはまるで、親を案ずる娘のような哀憐であった。


(この爺さん、慕われてるんだな)


 君はそう思って、無言のままその場を辞する。







 そうして君は、ウォーカー家で一晩を過ごした。


 案内がなければ一瞬で迷ってしまいそうな、豪邸の一室。

 広すぎて落ち着かない客間で、巨大なベッドで寝かされて。


 ずいぶんと久しぶりに、良い夢を見た気がする。







 そして、日が昇って。


「おはよーございます!」


 現れたサーニャが、温かい朝食を運んでくれた。

 とうもろこしのスープに焼きたてのパン。それに、はちみつ入りの黒茶だ。


「いいね。ご機嫌な朝食だ」


 食事は、二人分。

 君はそれだけで、サーニャの気持ちを察する。


 そして、彼女が気を遣う前に、さりげなく同席を勧めた。

 こういう、嫌味のない気配りは、君の得意とするところだ。


「ありがとう。独りぼっちの朝食は、寂しいと思ってたところなんだ」


 ちなみにこれは、嘘だ。

 君は、孤独な食事に慣れている。


「えへへ」


 少女は可愛らしくはにかみ、バターとジャムをテーブルに並べた。

 君は、余熱によりまだ温かいパンを、ぱくりと口に放り込む。


「それで? 今日はどこから取りかかるんですか?」

「まず、アルフォンスさんが読んだ手紙を片っ端からチェックする」

「その……“怪談”を見つけるために?」

「そうだ」

「あ、それなら御主人様に、聞いてみましょうか? なにか、変なものを読んだり聞いたりしなかったか、って」

「いや、それはしなくていい」

「えっ。なんでです?」

「たぶん、聞いても無駄だろう」

「無駄?」

「暗殺に“物語魔法”を使ったのなら……記憶操作に関係した仕掛けがあるだろう。アルフォンスさんはきっと、手紙を読んだことすら覚えてないんだよ」

「…………」

「とはいえ、国の機密に関わる資料があるかもしれない。そういう書類に関しては避けてもらうよう、指示してもらっておいてくれ」

「わ、わかりました」


 そうして、話を聞き終え……。

 彼女は目を伏せて、人差し指をもじもじさせる。


「――?」


 君が、不思議そうな表情で彼女を見ると、サーニャはちょっと唇を尖らせて、


「ちなみに……他に、おてつだいできることは……?」


 どうやら、君の仕事を手伝いたくて仕方ないようだ。

 君は苦笑して、こう応える。


「そうだな。探偵仕事には……助手が必要だ」

「え。……そ、そう、です、か?」

「ああ。――悪いが、立候補してくれるかい?」


 少女はその場でぴょんと飛び、


「もちろん!」


 と、喜ぶ。

 どうやらこの娘、嬉しくなると跳ねる癖があるらしい。


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