4話 御主人様の病気
馬車に揺られること、一時間ほど。
「ほら! あそこ、見てください。わんこが走ってますよ!」
「あっ。あそこ、お婆さんが倒れてる……私、行ってきます!」
「みてください! あそこの鳩、ダンスしてるように見えますっ」
「あはは! あそこの家、真っ黄色ですよ! 太陽に照らされて、目が痛くなりそう」
「おーっ。今日の雲の形、わたがしみたいですねえ。……知ってます? わたがし。ふかふかで甘いんですよ」
なんてことのない会話だったが――少なくとも、退屈はしなかった。
どうも、サーニャはかなり、人懐っこいタイプらしい。
その様子はどこか、仔犬を思わせた。
君は、すぐに彼女に好感をいだいたが、
(絶対に、妙なことは考えないぞ)
久々の娑婆にいて――サーニャのような、肉感的な美少女は目に毒だ。
内心を読まれないよう、君は必死に、思考を制御している。
(黙れ)
口に出さずにツッコミを入れられるようになったのは、立派な成長であると言えよう。
▼
「そろそろですよ~~」
サーニャの言葉に顔を上げ――思わず、息を呑む。
そこは、君が想定していた、数倍以上の豪邸だった。
(ごく普通の上流家庭だと思っていたが……)
4メートルほどの外壁と、そこに張り巡らされた鉄条を見上げる。
君はそこに、ある種の罠が仕掛けられていることに気がついた。
あれに少しでも触れた侵入者は、強烈な雷系魔法の餌食になるだろう。
(まるで、砦だな)
間違いない。
ここに住むのは……強力な権力を持つ、何者かだ。
君は内心、とんでもないところに連れてこられたと思い始めている。
ついさっき脱走したばかりの死刑囚が、
君は、早口でこう訊ねた。
「もうそろそろ、いいだろ。君の“御主人様”って、何者だい」
「えっと」
サーニャは、少し視線を逸らして、
「あなたは、
「…………っ。宝蔵長官だって?」
思わず声が、裏返る。
宝蔵長官といえば、他国でいう財務大臣に近い役職だ。
この国の財宝を一括で取り仕切り、
「新聞でも、しょっちゅう名前をみる男だな。――アルフォンス・ウォーカーか」
「ええ」
「ってか君、こんなところで働いてたの」
「ええ」
「ってことは……」
君は思わず、居住まいを正す。
“召使い”というと、いかにも貧しい雰囲気がつきまとうが、ウォーカー家で雇われているとなると、話は別だ。
たいていの場合、こういうところの召使いは何らかの専門的な知識を習得していることが多く、その給金も高い。
「たいしたもんだ」
「えへへ」
少女は、嬉しそうに微笑む。
「そうです。すごいんです。うちの御主人様は」
「いや……凄いのはアルフォンスじゃなくて」
「――?」
「……。まあいい」
やがて馬車は、門兵が立つ正門を通り過ぎ――六階建ての見事な邸宅へと行き当たった。
(ドラゴンに立ち向かっている気分だな)
天を衝く尖塔を眺めながら、自分の小物ぶりに身震いをする。
上流層の領域に足を踏み入れた時特有の、ぞくぞくするような劣等感だ。
「……はいっ! お待たせしました。では――」
行きましょう、と続くその言葉を、鋭い声が遮った。
「サーニャ!」
現れたのは、中年の執事だ。
彼は、おろおろと困り果てた顔つきで、
「奉仕団の仕事は終わったかい」
「ええ」
「よろしい。――ではさっそく、御主人様がお呼びだ。何やら、お前に言いたいことがあるらしく……そちらの紳士は?」
そこで執事は、君に気づいたらしい。
「こちら、すっごい治癒の力を持つ、魔法使いさん!」
「魔法……使い?」
君は、素早く訂正する。
「いいえ。俺は
「バード? バードってあの……酒場でリュートを鳴らしたりする……」
「ええ」
言いながら、君はなんだか、ほろ苦い気分になっていた。
君は、リュートの演奏が苦手なのだ。まったくできないという訳ではないが、どちらかというと“物語”が専門である。
「しかし、吟遊詩人が、なんで」
「我々は、特有の魔法体系を持つのです。ひょっとすると、お役に立てることがあるかもしれない」
君は努めて、真面目な風を装った。
ここまできて、詐欺だと思われたくなかったのである。
「そ、そうですか……」
正直、疑われても仕方のない立場だが、どうもそういう様子はなかった。
「信用しましょう。サーニャは、人を見る目がありますから」
どうもこの執事も――『藁をもつかむ』状態らしい。
君は、樫材の立派な両開きの扉を開く。
▼
建物の中は、様々な骨董品が飾られた、ずいぶんとごちゃごちゃした空間であった。
君は、周囲に飾られた“マジック・アイテム”を眺める。
公的なものではない。
恐らく、この辺りの冒険者の献上品であろう。
(まるで、おもちゃ箱の中にいるみたいだ)
君はすぐ、ここの家主に好感を持つ。
どうやらアルフォンスは、相当の趣味人らしい。
「へえ。これなんか、“遠見の鏡”だぞ」
「なんです、それ」
「別の鏡に、自分の姿を映すことができる鏡だ。前線の“英雄隊”は全員、この鏡を使って連携を取るんだよ」
「へぇ。“英雄隊”にお詳しいんですか?」
「ああ」
「まあ、男の方はみんな、お強い人が好きですからねぇ」
「…………」
一瞬、自分の出自を明かしかける。
とはいえ君も、そこまで愚かではなかった。
「――そうだね。“英雄隊”はみんな、誇り高い奴らだ」
いくつもの扉を通り過ぎ、やがて君たちは、とある部屋に通される。
部屋はどうやら寝室で、天蓋付きのベッドが一台、ぽつんとあるだけの空間だった。
ベッドには、灰色の長い髪を垂らした一人の老人が横になっており、土気色の顔をこちらに向けていた。
頬はこけ、骨と皮だけの身体になったその姿は、一本の枯れ木だ。
(以前、ちらっと見かけた時は、もっとふくよかな爺さんだったのに……)
アルフォンス・ウォーカー。
一般への露出は少ないが、
彼とは一度、君が“英雄隊”として任命されたときに顔を合わせたことがあった。
まあ、二十人いる勇士のうちの一人だから、向こうは覚えていないかもしれないが……。
「あの……」
まず、サーニャが口を開く。
言伝について確認するつもりだったのだろう。
「………………」
だが君は、無言のままアルフォンスに歩み寄った。
サーニャが少し、目を見開いたが……君は無視する。
不躾だとわかっていたが、事態が一刻を争うことに気づいたのだ。
「俺が来て、本当に良かった。――アルフォンスさん」
「ん? 何者かね、君は」
突如現れた男に、訝しげな表情を向けるアルフォンス。
(もはや、迷っている暇はない)
君はアルフォンスの耳もとで、早口で自分の出自を明かす。
すると老人は、毛量の多い眉を段違いにして、
「なんと……あなたが」
「はい」
「言われてみればその顔、見覚えがある。……しかし、あなたは、たしか……」
苦笑いをする君。
きょとんとした表情のサーニャ。
「その辺の話は、あとにしましょう。いまはとにかく、応急処置を施さなければ」
「む。あなたにはこの……病巣の正体がわかるのかね」
「ええ」
君は、こくんと頷く。
「これは、俺みたいな、物語魔法を使う人間にとって、禁忌とされる術の一つ。――“
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