3話 久々のクエスト
「あのぉ~、すいません。ちょっぴりお話、よろしいでしょうか?」
黒髪の乙女が、おずおずと口を開く。
可愛らしくふくよかで、薔薇色の頬をした娘だ。
君は、苦い表情で視線を逸らした。
「べつに、構わないが」
「あ、ありがとうございます……!」
彼女はぺこりと頭を下げ、まず非礼をわびた。
「話を……聞かせてもらったのですが……。すごい治癒魔法、ですね?」
「いやだから、治癒魔法じゃないんだが」
「違うんですか?」
君は苦笑して、
「俺が使ったのは、
「れこん……とる?」
「ああ。君は、“感情移入”という概念を知ってるかい」
「ええ、まあ。――他の誰かと、おんなじ気持ちになる……ってこと、ですよね?」
「そう。他人や自然、物語、絵など、……自分以外の何かに、自己を投影する心理作用だ」
少女がわかりやすく説明したところを、君はわざわざ、難しく言い直す。
君は時折、無意味に衒学的だ。
「……………………」
「――? どうかしましたか?」
「いや。なんでもない」
君は大きく頭を振って、話を続けた。
「“治癒”を主題とする物語魔法は、“感情移入”の力を利用する。――このご老人は、俺が話した“囚人の話”に、強く感情移入をした。彼女の苦しみに共感し、彼女の回復を、心の底から喜んだのだ。それ故に、物語のキャラクター同様に、その傷を癒やした……」
「へぇぇぇぇぇ」
目を丸くしながら傾聴する少女。
「大したもんだなぁ。――でもあんた、それだけの術を使うなら、どこででも働き口がありそうなもんだが。……なんでこんなところで、オウドンかっ喰らってるんだ?」
「ははは。なんででしょうね……」
君は、苦笑交じりに視線を逸らす。
その胸の中は、ちくちくと針で刺されたような痛みを感じていた。
「でもでも。こんなに強い術、いままで聞いたことも……。治療院には“物語魔法”の使い手はいませんし」
「まあ、それだけ希少な能力なんだよ」
君は、視線を逸らす。
物語魔法の“弱点”について、長々と話すつもりはない。
「あの、あの。……それで。一つ、お願いしたい事が……」
「なんだい」
「できれば、その。うちの御主人様を、診ていただきたいのですが」
「御主人様? だれ?」
少女は一瞬、隣の老人に視線を送って、
「それは……その。言えないんです。まず、依頼を受けていただかないと」
「言えない? 依頼者の名前も知らずに、治療するかどうか決めてほしいってことかい」
「はい」
一瞬君は、罠を疑う。
だが、それがある種の、被害妄想的な猜疑心であることは明らかだ。
(はいはい。わかったよ)
君は内心、苛立たしげにそう思う。
「も、も、もちろん! 報酬ははずみます! お願いします!」
深々と頭を下げる少女に――君は苦笑する。
こんな、貧民街で出くわした術師に頼るとは。きっと、藁を掴むような想いなのだろう。
「しかし、君……」
「お屋敷なら、ご飯食べ放題! 私、腕によりをかけます!」
「だが……」
「それに、ふかふかのベッドもおつけします! シーツは毎日、取り替えます!」
「………………」
「私、人生を賭けて、恩返ししますから……!」
押しの強い子だ。
根負けして君は、率直に白状する。
「言っておくが。――物語魔法は、どんな病気でも治癒できるって訳じゃないんだ」
「……?」
「さっき、治癒の物語魔法は“感情移入”を利用すると言ったよな? これはつまり、受け手の能力にも左右されるってことなんだよ」
「どういうことです?」
「ちゃんと、誰かの気持ちになれる人じゃないとダメってことさ」
君の脳裏に、苦い想い出が蘇っている。
かつて、とある街の領主に治癒を施したことがあるが――ほとんど効果が発動しなかった。そこの領主は他罰的な男で、他者に対する“感情移入”の能力がほとんどなかったのである。
「ああ、そうか。だからあんちゃん、さっき俺のこと……」
「ええ。『優秀な読者』と言いました。あれだけの傷を一瞬で治したのは、お爺さんがそれだけ、高い感性をもっていたということです」
「へぇ」
老人は、しみじみと呟き、もはや傷一つ残らぬ自分の足を見る。
「ってことは、あなたの能力は……良い人にしか通じないってことですか?」
君は、苦笑する。
(若いな)
と、そう思った。
他者の気持ちを感じやすい人が、常に善人とは限らないためだ。
「そんなことはない。だが、完治を目指すなら、必須の素養だな」
「あっあっあっあっ」
すると少女は、ぴょんぴょんとその場で跳ねて、
「そ、それなら、大丈夫ですっ。御主人様は、すっごく優しい人なので!」
とのこと。
「しかし……」
「お願い、します!」
そして少女は、深々と頭を下げる。
まるで君のことを、神が使わした助けだと言わんばかりだ。
「…………。保障は、しないよ」
やがて君は、ため息交じりにそう言った。
他に、行く当てがあるわけでもないし。
「あっあっあっ」
そして少女は、ぺこぺこと頭を下げて、こう続ける。
「申し遅れました。私、サーニャと申します。苗字はなし。ただのサーニャです。……よろしくお願いいたします!」
「ああ……」
君は自分の名を言って、立ちあがる。
“英雄隊”を離れてから、――久々の“
気合いを入れなければなるまい。
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