2話 物語魔法の使い手

 太陽の下。ひさびさの娑婆を歩きながら。


 服は、牢守たちの詰め所から奪ったものに着替えている。

 牢守の仕事着は、色あせた紺のチュニックに灰色のズボンという地味なもので、これは人混みに紛れるのにぴったりだった。


 大通りに、衛兵の姿はない。

 まだ君の脱走が知られていない証拠だ。


「……だからお前、誰に向かって解説してるんだ?」


 虚空に向かって声をかける。

 その言葉に対する、返答はない。


「お前の正体な。だんだん検討が付いている。さては、精霊の一種だろう」


 君は、不気味に独り言を言う。

 その背後で数人の女性が、ぎょっとして君を見た。


「えっ。――マジか。観られてる?」


 君は驚いて、挙動不審になる。

 数人の女性は、素早く視線を逸らした。


「……………………」


 君は、無言のまま裏路地に身を隠す。

 そして再び、虚空に向かって独り言を始めた。


「おまえが、精霊の一種だと仮定して、だ。問題は、誰が差し向けた精霊かということだ」


 君はもう、返答を期待していない。

 ただ、自分の考えを整理するため、口を開いている……そんな感じだ。

 だがそれは、容易に結論が出るような問題ではない。


「……………………」


 そこでふと、


 ぐぅぅぅぅぅぅぅ……。


 ふたたび、腹が鳴った。


「そういえば、昨日から何も食べてないんだったっけ」


 少し悩んだのち、君の足は自然と、貧民街へ向かう。

 脱走はやがて、市井の知るところになるだろう。

 そういう者が行き着く場所は、社会的弱者の巣窟だけだ。







 セントラルの貧民街は、この街のあちこちに点在している。

 君が、その中でも最も寂れた通りを目指す――と。

 折良くちょうど、炊き出しが行われているところだった。


「は~いぃ~~~~~。あつあつですよ~~~~」


 遠く、女性の声が聞こえている。


「あつあつのオウドンですよ~~~。たっぷりありますよ~~~~」


 温かな湯気。ほのかに漂う、オウドンのかぐわしい香り。

 君は、ごくりと喉を鳴らして、こう思った。


(よーし。この場にいる全員を虐殺してでも、オウドンを食べるぞ)


 と。


「って、おい! 人聞きの悪いことをいうな!」


 しかし、君は実際、そのようなことを考えている。


「……いや。確かに思ったけども。――気の迷いというか。軽い冗談みたいなやつで……実際にやるわけないだろっ」


 眉をしかめつつ、君はホームレス集団の列に並ぶ。

 ぼろを着た母子、気力を失った男、片足を引きずる老人。

 そんな中にいて、君のお腹はぐうぐうとうるさい。


 一度など、


「先、並ぶかい?」


 と、前に並んでいる老人に気を遣われたほどだ。


「“英雄隊”に居た頃は、三日くらい水だけでも大丈夫だったんだが」


 三食昼寝付きの牢屋生活は、君から図太さを奪ったらしい。


「はいぃ~~~~~。あつあつのオウドンをどうぞ~~~~」


 配膳しているのは、天使のような少女たちだ。

 近所の神父に雇われた、奉仕団の一員だろう。


「はい。オウドン、おいくつ?」

「四つくれ」

「ふたつで十分ですよ」

「…………。わかった。じゃあそれで」


 そうして君は、オウドンを二つ受け取って、近場の地べたに座り込んだ。

 オウドンというのは、よく練った小麦粉を細長くカットした低額所得者向けの料理で、一般に、キッコマンと呼ばれる液体調味料をかけて食べる。


 君はさっそく、借りた木のフォークでずるずるとやり始めた。


「うん、うまいな」


 つるつるとこしのあるオウドンが、胃の腑を満たしていく。

 そうこうしているうち、すぐ隣に一人の老人が座り込んだ。


「あー、いちちちちち……」


 列に並んでいる時にも見かけた、片足を引きずっている老人である。


「やあ、兄ちゃん。景気はどうだい?」


 君は一瞬、「景気」と「刑期」を混同して、ドキリとした。


「――うるせぇ」

「えっ? 邪魔だった?」

「あっ。いえいえいえ。こっちの話です」


 君は、虚空へ放ったその言葉を、慌てて取り消す。


(……お前のせいだぞ)


 いまの失敗を取り返すべく、できるかぎり社交的に応える。


「失礼しました。なんかずっと、蠅が飛んでいて……」

「まあ、この辺りは清潔じゃないからねぇ」


 そういう老人からは、酷い臭いが漂っていた。

 臭いの元は――彼の左足である。

 どうやら、化膿した怪我が腐りかけているようだった。


 君は思わず、訊ねた。


「怪我、ひどいんですか?」

「え? ああ……」


 彼は苦笑して、


「膝に矢を受けてね。魔族の仕業さ」


 その話は、この老人にとってある種の十八番らしい。

 彼は、第二次英雄隊が出立する少し前の――魔族の襲撃について、詳しく話す。


 彼は元々、義勇兵の一人だったこと。

 戦いの最中、負傷したこと。


「その後……流れ流れて、ここにいる」

「国から、傷病者手当は出ていないんですか?」

「そういうものは、職業軍人向けの保障さ。俺らはいわば、ボランティアだからね」


 話を聞くうち、君の中に、ふつふつと義憤が湧き上がっていく。

 この国は、――民間の、それも正義のために立ちあがった義勇兵を、こういうところに置き去りにするのか。


「だから、うるせぇって」

「――?」

「……ええと。蠅が、ね?」


 君は、ごほんと咳払いをする。


「ではその傷、俺が治癒しましょう」

「え? あんた、治癒魔法を使えるのかい」

「ちょっと違いますが、似たようなものです」

「しかし、こうなった場合はもう、治らないんじゃないかねぇ」


 “治癒魔法”は一般に、自然治癒力を高める類のものだ。

 だが、君の“物語魔法レコントル”は、それとは全く異なる効力を持つ。


「まあ、試してみましょう。――心して聞いて下さい」

「あ、ああ……」




――――――――――――――――――――――


『癒やされた囚人』


 昔々あるところに、一人の囚人がいた。

 囚人は、とある詐欺に加担した罰として、背中の皮を剥がされた上に海水を塗られ、強風にさらされるという刑に処されていた。

 そこに、一人の冒険者が現れて、このような話をした。


「このままだと、君は死んでしまうだろう」

「へぇ。仰るとおり、あっしはもう少しで、死にます」

「なるほど。僕は君のために、何をしてやれるだろうか?」

「真水で体を洗い、それから蒲の花を敷き詰めた上に寝かせてくだせぇ。そうすればこの傷も、いくぶんマシになるでしょう」


 そこで冒険者は、言われたとおりに水を汲み、蒲の花を敷き詰めた上に、詐欺師を寝かせた。すると詐欺師は、みるみる身体が良くなっていって、再びまた、動けるようになったという。


 その後、詐欺師は改心して、冒険者の女奴隷として永遠の忠誠を誓った。



 教訓①:優しい人には幸福が訪れる。

 教訓②:弱っている女は口説きやすい。


――――――――――――――――――――――




 話し終えると、不思議なことが起こった。


「お、お、おぉ……?」


 老人の足から腐臭が消え――彼の身体に、どんどん血色が戻っていくではないか。


「なん……っ。なんだ、これ!?」


 驚く彼に、君は胸を張る。


「包帯をとってみてください」

「お、おう」


 するとどうだろう。

 腐りかけていた老人の足はもはや、傷痕一つ残っていない。


「ヒャア」


 老人はそう、奇妙な悲鳴を上げて、


「こりゃ驚いた。教会の聖女さまに頼っても、首を横に振るばかりだったのに……。あんた、よっぽど優秀な術師さんなんだな!」


 君は、苦笑交じりに首を横に振る。


「いいえ。俺は術師ではなく……」


 “吟遊詩人”だ、と言いかけて、ちょっとだけ口をつぐむ。

 さすがに、この状況――目立つのは得策ではない、と、そう思ったのだ。


「こんな身体の調子がいいのは、人生で初めてだよ。若い頃にもどったみたいだ」

「それは恐らく、あなたが優秀な読者だったということです」

「? どういうことだい?」

「俺の魔法は、受け手の感受性も大事なんですよ」

「へえ」


 ――と。


「………………………………」


 その様子を、じっと見つめている少女がいることに、君は気づいていない。


「いま、気づいたけど」


 彼女は奉仕団の一人で、先ほどまでオウドンを配膳していた娘だ。

 「目立ちたくない」と、そう願っていた君だったが――娘はどうやら、一部始終を観察していたらしい。


(だったら、もっと早く教えてくれよ)


 君は、憎々しげに思う。

 だがそれが、もっとも軽薄な神頼みの一種であることに、君は気づいていない。



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