2話 物語魔法の使い手
太陽の下。ひさびさの娑婆を歩きながら。
服は、牢守たちの詰め所から奪ったものに着替えている。
牢守の仕事着は、色あせた紺のチュニックに灰色のズボンという地味なもので、これは人混みに紛れるのにぴったりだった。
大通りに、衛兵の姿はない。
まだ君の脱走が知られていない証拠だ。
「……だからお前、誰に向かって解説してるんだ?」
虚空に向かって声をかける。
その言葉に対する、返答はない。
「お前の正体な。だんだん検討が付いている。さては、精霊の一種だろう」
君は、不気味に独り言を言う。
その背後で数人の女性が、ぎょっとして君を見た。
「えっ。――マジか。観られてる?」
君は驚いて、挙動不審になる。
数人の女性は、素早く視線を逸らした。
「……………………」
君は、無言のまま裏路地に身を隠す。
そして再び、虚空に向かって独り言を始めた。
「おまえが、精霊の一種だと仮定して、だ。問題は、誰が差し向けた精霊かということだ」
君はもう、返答を期待していない。
ただ、自分の考えを整理するため、口を開いている……そんな感じだ。
だがそれは、容易に結論が出るような問題ではない。
「……………………」
そこでふと、
ぐぅぅぅぅぅぅぅ……。
ふたたび、腹が鳴った。
「そういえば、昨日から何も食べてないんだったっけ」
少し悩んだのち、君の足は自然と、貧民街へ向かう。
脱走はやがて、市井の知るところになるだろう。
そういう者が行き着く場所は、社会的弱者の巣窟だけだ。
▼
セントラルの貧民街は、この街のあちこちに点在している。
君が、その中でも最も寂れた通りを目指す――と。
折良くちょうど、炊き出しが行われているところだった。
「は~いぃ~~~~~。あつあつですよ~~~~」
遠く、女性の声が聞こえている。
「あつあつのオウドンですよ~~~。たっぷりありますよ~~~~」
温かな湯気。ほのかに漂う、オウドンのかぐわしい香り。
君は、ごくりと喉を鳴らして、こう思った。
(よーし。この場にいる全員を虐殺してでも、オウドンを食べるぞ)
と。
「って、おい! 人聞きの悪いことをいうな!」
しかし、君は実際、そのようなことを考えている。
「……いや。確かに思ったけども。――気の迷いというか。軽い冗談みたいなやつで……実際にやるわけないだろっ」
眉をしかめつつ、君はホームレス集団の列に並ぶ。
ぼろを着た母子、気力を失った男、片足を引きずる老人。
そんな中にいて、君のお腹はぐうぐうとうるさい。
一度など、
「先、並ぶかい?」
と、前に並んでいる老人に気を遣われたほどだ。
「“英雄隊”に居た頃は、三日くらい水だけでも大丈夫だったんだが」
三食昼寝付きの牢屋生活は、君から図太さを奪ったらしい。
「はいぃ~~~~~。あつあつのオウドンをどうぞ~~~~」
配膳しているのは、天使のような少女たちだ。
近所の神父に雇われた、奉仕団の一員だろう。
「はい。オウドン、おいくつ?」
「四つくれ」
「ふたつで十分ですよ」
「…………。わかった。じゃあそれで」
そうして君は、オウドンを二つ受け取って、近場の地べたに座り込んだ。
オウドンというのは、よく練った小麦粉を細長くカットした低額所得者向けの料理で、一般に、キッコマンと呼ばれる液体調味料をかけて食べる。
君はさっそく、借りた木のフォークでずるずるとやり始めた。
「うん、うまいな」
つるつるとこしのあるオウドンが、胃の腑を満たしていく。
そうこうしているうち、すぐ隣に一人の老人が座り込んだ。
「あー、いちちちちち……」
列に並んでいる時にも見かけた、片足を引きずっている老人である。
「やあ、兄ちゃん。景気はどうだい?」
君は一瞬、「景気」と「刑期」を混同して、ドキリとした。
「――うるせぇ」
「えっ? 邪魔だった?」
「あっ。いえいえいえ。こっちの話です」
君は、虚空へ放ったその言葉を、慌てて取り消す。
(……お前のせいだぞ)
いまの失敗を取り返すべく、できるかぎり社交的に応える。
「失礼しました。なんかずっと、蠅が飛んでいて……」
「まあ、この辺りは清潔じゃないからねぇ」
そういう老人からは、酷い臭いが漂っていた。
臭いの元は――彼の左足である。
どうやら、化膿した怪我が腐りかけているようだった。
君は思わず、訊ねた。
「怪我、ひどいんですか?」
「え? ああ……」
彼は苦笑して、
「膝に矢を受けてね。魔族の仕業さ」
その話は、この老人にとってある種の十八番らしい。
彼は、第二次英雄隊が出立する少し前の――魔族の襲撃について、詳しく話す。
彼は元々、義勇兵の一人だったこと。
戦いの最中、負傷したこと。
「その後……流れ流れて、ここにいる」
「国から、傷病者手当は出ていないんですか?」
「そういうものは、職業軍人向けの保障さ。俺らはいわば、ボランティアだからね」
話を聞くうち、君の中に、ふつふつと義憤が湧き上がっていく。
この国は、――民間の、それも正義のために立ちあがった義勇兵を、こういうところに置き去りにするのか。
「だから、うるせぇって」
「――?」
「……ええと。蠅が、ね?」
君は、ごほんと咳払いをする。
「ではその傷、俺が治癒しましょう」
「え? あんた、治癒魔法を使えるのかい」
「ちょっと違いますが、似たようなものです」
「しかし、こうなった場合はもう、治らないんじゃないかねぇ」
“治癒魔法”は一般に、自然治癒力を高める類のものだ。
だが、君の“
「まあ、試してみましょう。――心して聞いて下さい」
「あ、ああ……」
――――――――――――――――――――――
『癒やされた囚人』
昔々あるところに、一人の囚人がいた。
囚人は、とある詐欺に加担した罰として、背中の皮を剥がされた上に海水を塗られ、強風にさらされるという刑に処されていた。
そこに、一人の冒険者が現れて、このような話をした。
「このままだと、君は死んでしまうだろう」
「へぇ。仰るとおり、あっしはもう少しで、死にます」
「なるほど。僕は君のために、何をしてやれるだろうか?」
「真水で体を洗い、それから蒲の花を敷き詰めた上に寝かせてくだせぇ。そうすればこの傷も、いくぶんマシになるでしょう」
そこで冒険者は、言われたとおりに水を汲み、蒲の花を敷き詰めた上に、詐欺師を寝かせた。すると詐欺師は、みるみる身体が良くなっていって、再びまた、動けるようになったという。
その後、詐欺師は改心して、冒険者の女奴隷として永遠の忠誠を誓った。
教訓①:優しい人には幸福が訪れる。
教訓②:弱っている女は口説きやすい。
――――――――――――――――――――――
話し終えると、不思議なことが起こった。
「お、お、おぉ……?」
老人の足から腐臭が消え――彼の身体に、どんどん血色が戻っていくではないか。
「なん……っ。なんだ、これ!?」
驚く彼に、君は胸を張る。
「包帯をとってみてください」
「お、おう」
するとどうだろう。
腐りかけていた老人の足はもはや、傷痕一つ残っていない。
「ヒャア」
老人はそう、奇妙な悲鳴を上げて、
「こりゃ驚いた。教会の聖女さまに頼っても、首を横に振るばかりだったのに……。あんた、よっぽど優秀な術師さんなんだな!」
君は、苦笑交じりに首を横に振る。
「いいえ。俺は術師ではなく……」
“吟遊詩人”だ、と言いかけて、ちょっとだけ口をつぐむ。
さすがに、この状況――目立つのは得策ではない、と、そう思ったのだ。
「こんな身体の調子がいいのは、人生で初めてだよ。若い頃にもどったみたいだ」
「それは恐らく、あなたが優秀な読者だったということです」
「? どういうことだい?」
「俺の魔法は、受け手の感受性も大事なんですよ」
「へえ」
――と。
「………………………………」
その様子を、じっと見つめている少女がいることに、君は気づいていない。
「いま、気づいたけど」
彼女は奉仕団の一人で、先ほどまでオウドンを配膳していた娘だ。
「目立ちたくない」と、そう願っていた君だったが――娘はどうやら、一部始終を観察していたらしい。
(だったら、もっと早く教えてくれよ)
君は、憎々しげに思う。
だがそれが、もっとも軽薄な神頼みの一種であることに、君は気づいていない。
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