或る冒険譚 ~物語序盤で離脱するタイプの吟遊詩人、幸せ求めて奔走す~

蒼蟲夕也

1話 処刑当日の脱走計画






――この世界の“物語”は、力を持つ。






 それが、この世界を構成するルールだ。

 君はその、『物語』の使い手。

 史上最強と目される、“吟遊詩人”である。




 さて。

 君はいま、中央府セントラルの牢獄に囚われている。


 今日。

 世界が黄昏に染まる頃。

 日が落ちる時。




 君は、首を刎ねられることになっていた。





「……………………………………」


 とろとろとしたまどろみの中で、君はただ、刑の執行を待っている。


 処刑の時間まで、あと半日ほど。


 すべきことは、山ほど在るはず――遺書を書くとか。

 にもかかわらず、君はただ、ぼんやりと眠りこけていた。


「む…………」


 君はいま、無駄に全裸だ。

 昨夜、「せっかくだし、いままで試してなかったことをやろう」と思ったためである。


「んむむむむ…………?」


 どうせ死ぬのだ。

 風邪を引いたって構わないじゃないか。


 それが君の考えた、人生最期の、ささやかな反逆だった。


 そう。

 君はいま、死を受け入れている。


 『生きていてもどうせ、やることないし』とか。

 その程度の理由で。


「…………なに…………?」


 そこで君は、ようやく意味のある言葉を発した。


「誰か、いるのか?」


 周囲に、気配はない。

 当然である。

 君は今、狭苦しく、じめじめと湿った地下牢にいるためだ。


「…………?」


 とはいえこの待遇は、まだマシな方。

 ベッドあり、毛布あり、日に三度の食事あり。

 旅慣れた君にとってこの生活は、一流ホテルのサービスと同等だ。


「………………???」


 そうは言っても、地下牢は地下牢。

 ときおり、灰色の小さなお友達が『こんにちわ』する程度には、不快な空間である。


「えっ、怖。なんの声?」


 君は慌てて、パンツとシャツを身に纏った。

 囚人として与えられたボロ布は、着ているだけで肌がちくちくする。

 だがそれでも、素っ裸でいるより、いくらかマシだ。


「勝手に人の心境を語るなよ。――何者だ」


 しん、と。

 石畳の牢屋内に独り言が響く。


 やはり、声の主はどこにもいない。


「なんなんだ。劇の語り部ナレーターみたいな口調で……」


 顔をしかめて、虚空に問う。

 しかし、その言葉に対する反応はない。


「答える気はなし、と。やれやれ」


 首を傾げていると……君の腹が、ぐぅと鳴った。

 そういえば、昨夜から何も食べていない。

 何もかも全部、ネズミにくれてやったのだ。

 死ぬ前に、胃の中を空っぽにしておきたかったのである。


「いや、だから。人の気持ちを代弁するなって。勝手に」


 ヒトの肉体は、単純だ。

 今日、死ぬことがわかっていても、腹が減ることは減る。

 君はいま、パンを食べたくて仕方がない。


「どこに隠れてる? 誰かの嫌がらせか……? いくら死刑囚といっても、何しても許されるって訳じゃないんだぜ」


 と、その時だ。


「おい。――なにをぶつぶつ言ってるッ」


 うるさい君に、腹を立てたのだろう。

 牢守が、鉄格子の向こうから君を睨み付けた。


「いや、そう言われてもな……」


 君は、唇を尖らせる。


「さっきから、……いったい誰が話してるんだ?」

「声? なんのことだ?」

「いやいや。聞こえてるだろ。さっきからずーっと、しゃべりっぱなしじゃないか。妙な声が」

「……?」


 しかし牢守は、眉を段違いにするだけ。

 どうやら、この“声”が聞こえているのは自分だけらしい。


「は? ――なんだ、それ」

「なんだとは、なんだ?」

「あ、いや……。ほんとにあんた、聞こえてない? この“声”」

「…………?」


 牢守は、首を傾げている。

 嘘を吐いている様子はない。


 彼は内心、このように思っていた。


(あと、もう少しの命だ。おかしくなるのも無理もないか)


 と。


「……………………」


 君は後ろを向き……虚空に向けて、改めて問う。


「お前は、誰だ?」


 その言葉に対する、返答はない。


「誰かが、助けを寄越したのか?」


 その言葉に対する、返答はない。


「まさかとは思うが。……俺の……妄想、とか……?」


 その言葉に対する、返答はない。


「おばけとか」


 その言葉に対する、返答はない。


「それか、精霊の使いか」


 その言葉に対する、返答はない。


「……わかった。質問に応えるつもりはない。そうだな?」


 その言葉に対する、返答はない。


「なんなんだ。お前は俺に、何をさせたい?」


 その言葉に対する、返答はない。


 君はしばし――頭を抱える。


(意味は、よくわからんが)


 ここに、大きな謎が一つ、産まれていた。


 謎を解くのは、君の本質的な素養だ。

 創造神テラーに定められた、人生の目標である。解かずにはいられない。


 鬱々として死を受け入れていた君は、処刑が迫るいま、ようやく、生きる気力を取り戻しつつあった。


「………………」


 君は、唇を真一文字に結んで、


「――だから。勝手に人の内心、ナレーションするなって」




 その言葉に対する、返答はない。







 こうして君に、『牢の脱出』という目標が産まれた。

 実を言うと、ここから出ること自体はそれほど難しくない。


 君は“英雄隊”と呼ばれる、人類最高峰の冒険者チームの一員だ。

 紆余曲折あってクビになってしまったが、その能力は天下一品である。


「…………」


 とは、いえ。

 大きな問題が一つ、なくもなかった。

 君の魔術は、その性質上、力の発動に制限があるのだ。


「……。それ、誰に対して解説してるんだ?」


 その言葉に対する、返答はない。


「だんだん腹立ってきた。お前の正体、絶対見極めてやるからなっ」


 そうして君は、足早に鉄格子を叩いて、こう叫んだ。


「おい!」

「――はあ?」


 すぐそばには、先ほどの牢守がいる。

 彼は、不機嫌そうに君を睨み付けて、


「気が変わった。死刑は中止。ここを出る」

「……何を言ってる?」


 牢守は、目を丸くする。死刑囚本人が『死刑を中止』できるなど、そんな話は聞いたこともない。


「当然だが、逃がすわけにはいかん」


 断固とした口調の彼に、君はこう応えた。


「だったら、聞かせてやろう。『――昔々、あるところに……」

「……ッ!」


 驚いた牢守は、慌てて耳栓を取り出す。


「裏切り者め! ついに正体を現したな!」

「…………」

「“物語魔法レコントル”……耳栓一つでしのげることは、承知の上だ。この、英雄隊の面汚しめ!」

「やれやれ。さんざんな言われようだな」


 言葉ほどには傷ついていない君は、嘆息混じりに牢を振り返る。


(その手が通じるのは……並の“吟遊詩人”だけだ)


 そして、こう続けた。




――――――――――――――――――――――


『冒険者の恩返し』


 昔々の、ある日。ドラゴンが昼寝をしていた。


 そんな彼の寝所に、一人の冒険者が迷い込む。

 ひ弱な冒険者はどうも、仲間に見捨てられたらしい。

 目を覚ましたドラゴンは、さっそく彼を捕まえて食おうとする。


「頼む。もし俺を助けてくれたら、きっと恩返しするから」


 と、冒険者。

 ドラゴンは、ちっぽけな人間が恩返しの約束をするのがおかしくて、彼を逃がしてやることにする。


 それから、数日後。

 油断していたドラゴンは、人間の仕掛けた罠に捕らわれていた。

 そこへ、以前助けた冒険者が現れる。


「いま、縄を切ってやる」


 彼は、密かに仲間を裏切って、ドラゴンの命を救ったのだ。


「君は、俺なんかにできることなどないと笑ったね。でも、こんな俺でも、役に立つことはあるんだよ」



 教訓①:強者が弱者に救われるようなこともある。

 教訓②:人間はとつぜん仲間を裏切るので、信用してはいけない。


――――――――――――――――――――――




 そうして君は、“物語”を語り終えた。


 しん、と。

 牢内が静まりかえる。


 耳栓をした牢守は、勝ち誇ったような表情で君を見ていた。


「ふん。何を話しているか、まったくわからんね」


 君もまた、勝ち誇った表情で彼を見ている。


「そりゃそうさ。俺はそもそも、あんたに聞かせてない」


 それから、徐々に、周囲が騒がしくなる。


 ちゅうちゅう、と。

 牢屋内のあちこちから、『灰色の小さなお友達』――ネズミが現れたのだ。


「――?」


 牢守は、異変に気づかない。耳栓をしているためだ。


「さて、“恩返し”の時だ。昨夜の夕食分、働いてもらうぞ」


 その後は、あっという間だった。


 地下の、暗闇の中。

 風邪の時に見る悪夢のごとく、数百匹のネズミが群がって。

 あまりのことに牢守は、一瞬にして気を失う。


「よし」


 鍵を奪い取り――カチャリと牢の扉を開いて。


「ありがとう、ネズミくん」


 君は晴れて、自由の身となった。



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