或る冒険譚 ~物語序盤で離脱するタイプの吟遊詩人、幸せ求めて奔走す~
蒼蟲夕也
1話 処刑当日の脱走計画
――この世界の“物語”は、力を持つ。
それが、この世界を構成するルールだ。
君はその、『物語』の使い手。
史上最強と目される、“吟遊詩人”である。
さて。
君はいま、
今日。
世界が黄昏に染まる頃。
日が落ちる時。
君は、首を刎ねられることになっていた。
▼
「……………………………………」
とろとろとしたまどろみの中で、君はただ、刑の執行を待っている。
処刑の時間まで、あと半日ほど。
すべきことは、山ほど在るはず――遺書を書くとか。
にもかかわらず、君はただ、ぼんやりと眠りこけていた。
「む…………」
君はいま、無駄に全裸だ。
昨夜、「せっかくだし、いままで試してなかったことをやろう」と思ったためである。
「んむむむむ…………?」
どうせ死ぬのだ。
風邪を引いたって構わないじゃないか。
それが君の考えた、人生最期の、ささやかな反逆だった。
そう。
君はいま、死を受け入れている。
『生きていてもどうせ、やることないし』とか。
その程度の理由で。
「…………なに…………?」
そこで君は、ようやく意味のある言葉を発した。
「誰か、いるのか?」
周囲に、気配はない。
当然である。
君は今、狭苦しく、じめじめと湿った地下牢にいるためだ。
「…………?」
とはいえこの待遇は、まだマシな方。
ベッドあり、毛布あり、日に三度の食事あり。
旅慣れた君にとってこの生活は、一流ホテルのサービスと同等だ。
「………………???」
そうは言っても、地下牢は地下牢。
ときおり、灰色の小さなお友達が『こんにちわ』する程度には、不快な空間である。
「えっ、怖。なんの声?」
君は慌てて、パンツとシャツを身に纏った。
囚人として与えられたボロ布は、着ているだけで肌がちくちくする。
だがそれでも、素っ裸でいるより、いくらかマシだ。
「勝手に人の心境を語るなよ。――何者だ」
しん、と。
石畳の牢屋内に独り言が響く。
やはり、声の主はどこにもいない。
「なんなんだ。劇の
顔をしかめて、虚空に問う。
しかし、その言葉に対する反応はない。
「答える気はなし、と。やれやれ」
首を傾げていると……君の腹が、ぐぅと鳴った。
そういえば、昨夜から何も食べていない。
何もかも全部、ネズミにくれてやったのだ。
死ぬ前に、胃の中を空っぽにしておきたかったのである。
「いや、だから。人の気持ちを代弁するなって。勝手に」
ヒトの肉体は、単純だ。
今日、死ぬことがわかっていても、腹が減ることは減る。
君はいま、パンを食べたくて仕方がない。
「どこに隠れてる? 誰かの嫌がらせか……? いくら死刑囚といっても、何しても許されるって訳じゃないんだぜ」
と、その時だ。
「おい。――なにをぶつぶつ言ってるッ」
うるさい君に、腹を立てたのだろう。
牢守が、鉄格子の向こうから君を睨み付けた。
「いや、そう言われてもな……」
君は、唇を尖らせる。
「さっきから、……いったい誰が話してるんだ?」
「声? なんのことだ?」
「いやいや。聞こえてるだろ。さっきからずーっと、しゃべりっぱなしじゃないか。妙な声が」
「……?」
しかし牢守は、眉を段違いにするだけ。
どうやら、この“声”が聞こえているのは自分だけらしい。
「は? ――なんだ、それ」
「なんだとは、なんだ?」
「あ、いや……。ほんとにあんた、聞こえてない? この“声”」
「…………?」
牢守は、首を傾げている。
嘘を吐いている様子はない。
彼は内心、このように思っていた。
(あと、もう少しの命だ。おかしくなるのも無理もないか)
と。
「……………………」
君は後ろを向き……虚空に向けて、改めて問う。
「お前は、誰だ?」
その言葉に対する、返答はない。
「誰かが、助けを寄越したのか?」
その言葉に対する、返答はない。
「まさかとは思うが。……俺の……妄想、とか……?」
その言葉に対する、返答はない。
「おばけとか」
その言葉に対する、返答はない。
「それか、精霊の使いか」
その言葉に対する、返答はない。
「……わかった。質問に応えるつもりはない。そうだな?」
その言葉に対する、返答はない。
「なんなんだ。お前は俺に、何をさせたい?」
その言葉に対する、返答はない。
君はしばし――頭を抱える。
(意味は、よくわからんが)
ここに、大きな謎が一つ、産まれていた。
謎を解くのは、君の本質的な素養だ。
鬱々として死を受け入れていた君は、処刑が迫るいま、ようやく、生きる気力を取り戻しつつあった。
「………………」
君は、唇を真一文字に結んで、
「――だから。勝手に人の内心、ナレーションするなって」
その言葉に対する、返答はない。
▼
こうして君に、『牢の脱出』という目標が産まれた。
実を言うと、ここから出ること自体はそれほど難しくない。
君は“英雄隊”と呼ばれる、人類最高峰の冒険者チームの一員だ。
紆余曲折あってクビになってしまったが、その能力は天下一品である。
「…………」
とは、いえ。
大きな問題が一つ、なくもなかった。
君の魔術は、その性質上、力の発動に制限があるのだ。
「……。それ、誰に対して解説してるんだ?」
その言葉に対する、返答はない。
「だんだん腹立ってきた。お前の正体、絶対見極めてやるからなっ」
そうして君は、足早に鉄格子を叩いて、こう叫んだ。
「おい!」
「――はあ?」
すぐそばには、先ほどの牢守がいる。
彼は、不機嫌そうに君を睨み付けて、
「気が変わった。死刑は中止。ここを出る」
「……何を言ってる?」
牢守は、目を丸くする。死刑囚本人が『死刑を中止』できるなど、そんな話は聞いたこともない。
「当然だが、逃がすわけにはいかん」
断固とした口調の彼に、君はこう応えた。
「だったら、聞かせてやろう。『――昔々、あるところに……」
「……ッ!」
驚いた牢守は、慌てて耳栓を取り出す。
「裏切り者め! ついに正体を現したな!」
「…………」
「“
「やれやれ。さんざんな言われようだな」
言葉ほどには傷ついていない君は、嘆息混じりに牢を振り返る。
(その手が通じるのは……並の“吟遊詩人”だけだ)
そして、こう続けた。
――――――――――――――――――――――
『冒険者の恩返し』
昔々の、ある日。ドラゴンが昼寝をしていた。
そんな彼の寝所に、一人の冒険者が迷い込む。
ひ弱な冒険者はどうも、仲間に見捨てられたらしい。
目を覚ましたドラゴンは、さっそく彼を捕まえて食おうとする。
「頼む。もし俺を助けてくれたら、きっと恩返しするから」
と、冒険者。
ドラゴンは、ちっぽけな人間が恩返しの約束をするのがおかしくて、彼を逃がしてやることにする。
それから、数日後。
油断していたドラゴンは、人間の仕掛けた罠に捕らわれていた。
そこへ、以前助けた冒険者が現れる。
「いま、縄を切ってやる」
彼は、密かに仲間を裏切って、ドラゴンの命を救ったのだ。
「君は、俺なんかにできることなどないと笑ったね。でも、こんな俺でも、役に立つことはあるんだよ」
教訓①:強者が弱者に救われるようなこともある。
教訓②:人間はとつぜん仲間を裏切るので、信用してはいけない。
――――――――――――――――――――――
そうして君は、“物語”を語り終えた。
しん、と。
牢内が静まりかえる。
耳栓をした牢守は、勝ち誇ったような表情で君を見ていた。
「ふん。何を話しているか、まったくわからんね」
君もまた、勝ち誇った表情で彼を見ている。
「そりゃそうさ。俺はそもそも、あんたに聞かせてない」
それから、徐々に、周囲が騒がしくなる。
ちゅうちゅう、と。
牢屋内のあちこちから、『灰色の小さなお友達』――ネズミが現れたのだ。
「――?」
牢守は、異変に気づかない。耳栓をしているためだ。
「さて、“恩返し”の時だ。昨夜の夕食分、働いてもらうぞ」
その後は、あっという間だった。
地下の、暗闇の中。
風邪の時に見る悪夢のごとく、数百匹のネズミが群がって。
あまりのことに牢守は、一瞬にして気を失う。
「よし」
鍵を奪い取り――カチャリと牢の扉を開いて。
「ありがとう、ネズミくん」
君は晴れて、自由の身となった。
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