白く開けた視界の先の
残念なことに、聞き違いであるはずがなかった。
この私が我が推し声優・タナケンボイスを――泰誠の声を、聞き間違えるはずがないのだから。
「……泰誠」
「腹の調子、もう大丈夫なのか?」
「なんでここにいるのさ」
「それは俺の台詞だと思うが……」
保健室行くか? なんて、優しさが今はやるせない。
ここに泰誠がいるってことは。
失敗したんだ。
羽鳥花霞との出会いイベント、発生条件を満たせなかったんだから。
美術の授業に出るだけだったんだけどな、条件。
……本当に体調が悪くなってきた気がする。
頭の一部にモヤが掛かったような。
視界が狭く揺らぐ。
「悠宇」
先程よりも近くから泰誠の声が聞こえた。
「大丈夫、調子悪くないから」
「本当か?」
泰誠の足音はどんどん近付き、一瞬で目の前に迫る。
……近い、距離感が。幼馴染、特有の近さ。
いつもならなんとも思わないけど、今だけはヤケに気になる。
泰誠の近くにいていいのは、本来なら私じゃない。
だから気に障るのだろうか。この距離が。
「確認させてくれ」
ゼロ距離まで迫ってきた泰誠が私の額を撫で上げる。
目に掛かっていた前髪が持ち上げられ、視界が開けた。
「熱はないみたいだな」
「だから言ってるじゃん、大丈夫だって、ただ気分じゃなかっただけ」
「……珍しいな」
「そうかな」
「そうだろ」
泰誠が自身の胸ポケットを片手で探る。
私の前髪は持ち上げられたまま。
「泰誠、髪、跡ついちゃう」
「ん」
生返事。
それとほぼ同時に泰誠が手に取ったものは、白のヘアバレッタだった。
飾りがなくてシンプル、少し太め。
「なにそれ」
「悠宇、最近前髪長いから」
かき上げた前髪を、泰誠がそのままバレッタで軽く留めた。
「入学前に切ってもらったばっかだよ」
「そうなのか? それにしては最近よく目に髪が」
珍しく、泰誠が言い淀んだ。
「……悠宇、なにか、悩み事でもあるのか」
――まあ、あなたが今ここに居ることが、目下最大の悩み事だろうか。
なんて、言えるわけない。
「ないよ。次の雨はいつかなってくらい」
「この前のクレープ屋でも」
鉛筆デッサンの道具を買いに行った日のことか。
「妙に口数が少なかった。さっきみたいに俯き気味で、前髪が目にかかっていて」
「美味しさに感動して言葉が出なかったんだよ」
「あのクレープ屋、生地ベトベトで不味かったぞ」
……口で泰誠に負けたのは初めてかもな。
別に私が強いわけではなく、泰誠が(いつもは)口下手なだけ、なのだけれど。
「言いたくないことは言わなくていい。でも、なにかあったら頼ってくれ。なにも言わなくていいから」
「なにも、ないけど……」
違うんだ。
なにかあるのは、泰誠。
私こそ、泰誠に頼られる<友人>でなければならないのだ。
だって私は、好感度を、その他ゲーム進行に関するヒントを教えてくれる<友人>なのだから。
「……ごめん」
「悠宇?」
「ごめん……」
頼りにならない<友人>で、ごめん。
心配かけて、ごめん。
全部全部私のせいだ。
泰誠に心配かけたせいで、授業サボらせて。
羽鳥花霞ルートを絶望的にしてしまった。
なのに。
白いヘアバレッタで開けた視界に映る泰誠に。
彼がまだここに居てくれることへの、安堵を感じてしまった。
こんなの、友人失格だ。
泰誠が自身の胸の中に私の顔を押し込めた。
体温が伝わる。
ここに、確かに居る。泰誠が。
本当に、人は一人で生きられるのだろうか。
私よりも体温が高い泰誠の温もりを失って生きていけるのか、急に不安になってくる。
泰誠が屋上に現れるまでは――泰誠の温度に触れる前までは、そんなことなかったのに。
「……次の授業、出れそうか? 家、帰るなら送る」
「大丈夫、授業出れる……」
「無理はするな」
「無理、してないよ」
それ以上の会話はなかった。
泰誠の胸の中は暖かくて名残惜しかったけど、一歩下がれば簡単に離れられた。
*
美術室からA組に帰ってきた羽鳥花霞は、剣王学園黙示録の原作には登場しない女子生徒と、ぴっとりくっ付いて教室に入ってきた。
女子生徒を見つめる羽鳥花霞の目が光り輝いている。
心なしか目の下のクマも消えたような。
羽鳥花霞と女子生徒の会話を盗み聞きしたところ。
どうやら、美術の授業で羽鳥花霞は、その女子生徒と組んで人物スケッチを行ったようだった。
――羽鳥花霞ルートは完全に消え去ったのだろう。
よき友人を得た羽鳥花霞が、なんだか訳の分からない大男と恋愛関係になる道のりは、多分ない。
四時間目の現代文は素直に授業に参加した。
昼休みは「委員会があるから」と泰誠に嘘をついた。
放課後は、遅くまで部活に取り組んでいる泰誠とは元々別々の帰路。
ずっと考えていた。
アイラルートも難しく、私のせいで羽鳥花霞ルートまで失った泰誠を救う方法。
私がやらなければいけないのだ。
泰誠に頼るわけにはいかない。
だって私こそが、泰誠に頼られるべき<友人>なのだから。
<友人>の役目を果たし、友人失格状態を脱する。
一人でもやれることを証明する。
それが、泰誠と友人で居続けられる唯一の方法だ。
何度も自分にそう言い聞かせた。
白いヘアバレッタは、お風呂に入るまで結局外すことはできなかった。
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