前世の記憶

 アイラが欠席する金曜日がやってきた。

 

 泰誠は結局、お土産に『沖縄っぽいTシャツ』を頼んだらしい。

 来週には、大喜利に類した迷言が書かれたTシャツで、体力作りに励む泰誠の姿が観測できそうな予感がする……。



 羽鳥花霞はその日、初めて教室にやってきた。

 

 ふわふわと言うよりは、ワカメと言い表した方が正しいと思えるミディアムヘア。

 見る人に強烈な印象を残す、目の下のクマ。

 コバルトブルーのバングルが手首に光る。

 

 病弱で入退院を繰り返す彼女の背中はとても薄い。


 誰とも会話せず、教室の隅でジッとしている羽鳥花霞の人柄を、この中で私だけが知っている。

 根暗、卑屈、ジメジメと鬱屈した性格。親兄弟からも疎まれ友達もいない。


 そんな彼女に初めて優しくしてくれた人。剣王学園黙示録の主人公(=泰誠)。


 羽鳥花霞はそんな主人公に、一方的に恋心を募らせていくのだ。



 ……見た目は無愛想で怖いが、性格は温厚で優しい。

 温厚といえば聞こえばいいが、実際はただただボンヤリしているだけ。

 

 と、恋愛沙汰には不向きな泰誠だが――だからこそ、一方的に好いてくれる羽鳥花霞はピッタリの相手だ!

 ここでしくじるわけにはいかない。


「泰誠、美術のデッサン道具ちゃんと持ってきた?」

「昨日夜も悠宇に言われたからな。ちゃんと一式」


 よしよし。準備はOK。

 後は三時間目の美術を、私がサボるだけだ。


 

 三時間目の美術、今回の課題は人物スケッチ。

 2人1組でペアになり、相手の顔を鉛筆デッサンで描いていく授業だ。


 アイラは休み、私はサボり。

 

 組む相手がいなくなった泰誠は、同じく組む相手がいない羽鳥花霞とペアを組む。

 これが剣王学園黙示録、羽鳥花霞との出会いイベントだ。



 二時間目の授業が終わるチャイムが流れた。

 それぞれが教科書やノートを片付け、次の授業の準備に入る。


 私もまた同じように道具一式を持ちB組へ。

 移動教室はいつも泰誠と一緒なのだ。

 違う行動をすればすぐ泰誠に不審がられる。


「泰誠、行こ」

「ああ」


 ここまでは良し。

 あとはスムーズに、かつ泰誠におかしく思われないように授業をサボるだけ。


 ま、古典的な方法で行きますか。

 下手に凝るほどボロが出そうだし。


「……ごめん泰誠、ちょっと私お手洗い」

「わかった」

「いや、さすがに先行ってて。泰誠が女子トイレの前で待ってたら、他の女子がビビってトイレ入れないって」

「……そうか?」


 納得はしていないようだったが、泰誠は大人しく別棟へ向かって行った。

 その背中を確かめて、踵を返す。


 授業をサボるなら屋上だと、相場は決まってますからね。


 *


「きもちいー……」


 春の日差しは穏やかで優しい。

 快晴で良かった〜。


 こうして授業をサボるのも久し振りだ。

 それこそ前世振りである。


 

 前世の私は、敢えて言えば羽鳥花霞に少し似ていた。

 病弱の羽鳥花霞と違って前世の私は、単なる怠惰なだけであったが。


 優秀な兄だけを愛する母親。

 家庭を顧みない父親。

 そうやって親に見捨てられ、周りからも遠巻きにされ、ひとりぼっち。

 

 昼夜逆転、日光と縁遠い生活。

 唯一の救いである我が推し声優、タナケンに依存し時間をやり過ごす日々。


 

 羽鳥花霞は、彼女にとって唯一の救いである主人公から手を差し伸べられ、ハッピーエンドを迎えるが。

 

 前世の私の生涯は――推し声優であるタナケンのボイス回収も終わらず、日々の不摂生にでも負けたのだろうかあっさり死んだんだわけだから。

 客観的に見て、ハッピーエンドとは言い難いだろう。


 でも、前世の私はその人生を、なんとも思っていなかった。

 人は一人でも生きていけるのだなあ〜、と学んだだけだった。



 羽鳥花霞は前世の私とは違った。

 きっと、一人では生きていけなかった。

 だから優しく接してくれた主人公に恋をしたのだろう。


 ――今頃、この世界の羽鳥花霞も、恋をしているところだろうか。



 一人では生きていけない子。

 そう考えると、尚更、泰誠とは相性抜群だ。

 なにしろ泰誠は私を、桂悠宇を一人にさせなかったんだから。



 泰誠が羽鳥花霞ルートに入って、私がまた一人になったとしても。

 もう充分だろう。

 だって私には、前世と違って、泰誠がいてくれたんだから。


 

「……悠宇、いたか。ようやく見つけた」


 私以外誰もいないはずの屋上に、低音ながらもよく通るタナケンボイスが響き渡った。

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