入学式の朝の平穏な体温

「行こ、泰誠」

「……竹刀忘れた」

「スポーツ推薦って入学式の日から部活あるの?」

「顔見せがあるらしい。ちょっと取ってくる」

「いってらー」


 ……と泰誠を見送ってから10分。家の中探してるにしては長くない?

 泰誠、もしかして家の裏の道場まで取りに行ったのか……?


 入学式からいきなり遅刻なんて幸先悪すぎる……。

 

 胸元の藍色のリボンを2、3揺らしながら泰誠を待つ。

 濃紺色のブレザー制服は、中学の制服より少しだけ袖が長い。



 アイラとの出会いから9年。

 遂に剣王学園黙示録の舞台、鹿見吉かみよし学園での生活が始まる――っていう日でも、泰誠は変わらず呑気なご様子。


 この9年間、それとなく色々とイケ散らかし要素を泰誠に勧めてみたものの、まあ普通に全部空振り。


 見事に泰誠は、心優しくのん気なマイペース青少年に進化したのであった。

 ――案の定だよ……。



 9年間での変化、成長といえば。


 やはり剣道の強さであろうか。

 9年前から同年代ではそれなりに秀でた存在であったろうが、益々磨きがかかったように思う。

 今では剣道のスポーツ推薦で高校進学を決めるほど。


 剣道の強さに付随して……ガタイが良くなった……。

 何も知らない幼児が泰誠にうっかりぶつかろうもんなら、ビビッて泣き出しかねない……。


 目つきも正直あんまりよくない。というか目が細い。



 そう、見事にイケ散らかしキラキラアイドルとは正反対の、黒髪短髪・大柄・不愛想・ちょっと怖い朴念仁、芝浦泰誠が爆誕してしまったのだ。


 ギャルゲーだから主人公がキラキラアイドルになるわけない、って言われたらその通りかもしれないけど!



「ごめん、竹刀、家になかったから道場行ってた」

「だろうと思ったよ!」


 ほら遅刻、と泰誠の背中を軽くたたく。

 

 ……大きい、大きすぎる。

 ブレザーの制服を着ていても分かるガタイの良さ。

 頼もしい背中と言えば聞こえはいいけど。


 うら若い乙女にウケるとは思えない……。



 声は! 声は最高なんだけどなあ!!


 我が推し声優、タナケンの少しかすれた渋めの低音ボイス!!

 包容力と誠実さを感じさせる、柔らかくて優しい声色。

 語尾を伸ばした時のざらっとした感触がたまらん。さすが推し。


 いや泰誠は推しじゃないんだけど。

 でもボイスがタナケン過ぎる。

 過ぎるというか本人なんだけど。いやタナケンではないんだけど。


 ……混乱してきた。



「走るか」

「わ、待って」

「ん」


 転びかけた私の手を泰誠が握る。地面にダイブせずにすんだ。


 そのまま泰誠に引っ張られる形で近所のバス停まで走る。

 ショートカットに切ってもらった髪の毛が、跳ねて頬に当たる。


 走るのは不得意だけど、泰誠がリードしてくれてるから少しだけ楽。

 


 こういう優しさがヒロイン達に伝われば……いいんだけどなあ……。

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