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「普通こういうのって夜にやるんじゃないのかな」
積まれたブロックに乗って窓枠に手を掛けたところでそう独り言ちる。が、
「私はさっさとしたいんです。それに暗くなってから、無人になってから忍び込む方が簡単に思えるかもしれませんが、それは素人考えというものですよ」
彼女には聞こえていたらしい、後ろからそういわれる。夜になって、ここから人がいなくなってからの方が簡単だろうと反論したくなったが、秋人はハイハイと腕に力を込めて体を浮かすと足で壁を蹴って体を中に入れる。いとも簡単に不法侵入に成功した。秋人が先行してトイレをしげしげ眺める。個室が二つ、小便器が三つ。照明は点いておらず、節電を心がけているらしいが掃除はあまりされていないようでツンとした刺激臭がする。
「良かった。男子トイレだ」
「別にどっちでもいいじゃありませんか」
「罪の意識は違うじゃないか」
「女子トイレに小便器があったらびっくりですね」
そしたら、トランス便器ともいいますが。後から難なく入ってきた海堂はそう世の中に毒を吐くとウエストポーチのチャックを開けて中からポケットサイズの黒いコンパクト手鏡を取り出した。秋人より先に男子トイレの扉を開けるとそれを開いてドアの外に出し、鏡面を上下左右に傾ける。
「何してんの?」
秋人が聞く。中腰で手だけ鏡を持って外に突き出すその姿が不恰好だった。海堂は表情を変えずに答えた。
「通路の監視カメラの有無を確かめてます」
「あったらどうするの? もう手を出した時点で映ってると思うけど」
「一般的に銀行でもないかぎり監視カメラはリアルタイムで誰かが監視しているわけじゃありません。カメラの記録は警備会社によりますが通信しているか映像はどこかに保存され、犯罪が起きたときに初めて録画を遡って映像を見るんです」
へえ、と秋人は感心した。ただ答えにはなっていない。「それがどうなんだい?」と聞くと、海堂は振り向いてこういう。
「もしあって映ってしまっても顔さえはっきりしなければ到底見つかるものでもありません。それに先ほどもいった通り映像は保存されますからその記録を探して破壊するか、通信線を切ってしまえばいいんです」
いって不敵に笑ってみせる。なるほど、と秋人は頷いておく。これまでもすでに軽犯罪を重ねてるし彼女なら本当にやってのけるような気がする。カメラが無いことを確認してトイレを出る。秋人はそれにおっかなびっくりついていく。廊下は洒落っ気のないコンクリに肌色を塗っただけの壁で経年劣化で灰色が所々覗き、蛍光灯の明かりは必要最小限に二つ跨いで一つしか点いていなかった。また背後の突き当たりには非常灯が灯っていて扉が固く閉まっており、早い話がこの廊下にはトイレ以外の部屋がない。
正方向の突き当たりで、中腰になった海堂がまた手鏡で角を確認する。その姿勢がなんだか面白くて秋人はつい、鼻息を吹く。
「何笑ってるんですか?」
海堂が秋人を見ながらいう。眉間に皺を寄せているが、笑われたことに対して怒っているというより、どうして笑っているのかわからないという口調だった。
「いや、申し訳ないけど今の君の格好がなんだか滑稽に見えてね」
いうと海堂はやっとこさ眉間の皺を高くして
「ではあなたが代わりをやりますか?」
といってくる。秋人は両手をヒラヒラ振ってそれは結構、とジェスチャーをすると海堂は鼻息を吹いて首を横に振るながら前を向き直す。今一度その姿を見直してみると監視カメラの有無の他に人の通りも確認しているらしい。チラと見た鏡にはこちらに背を向ける男性が小走りに去っていく姿が写っていた。また耳を澄ませばそれとは別に話し声もする。ワイワイガヤガヤというより、それこそ市役所の窓口から聞こえてくるような儀礼的な話し声。今ついている壁一枚を隔てて、さっき立ち入った会社窓口があるのだ。話し声がしてくると誰かに会うかもと緊張も走ってくる。秋人は角を曲がる海堂の後を、彼女以上に腰を低くしてついていった。
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