21
秋人が最初に口に含んで「美味しい」といって以降、リビングには三人の咀嚼音とスプーンが食器に擦れる音だけが木霊する。田崎家のルール。夕食時には黙食、テレビは見る見ないによらずそもそも点けないのが決まりだ。冬子とはとことん合わない家族だった。
秋人がカレーにいつもそうであるように舌鼓を打っていると、ふと、昼間のことが頭を過ぎる。そうだった。自分は二人にそれを聞くためにここへ来たのだ。秋人はスプーンを止めて黙して食す二人を見る。聞くならこのタイミングではないだろうか。父が視線に気付いて秋人と目を合わせると「どうかしたのか?」と聞いてくる。ここだ。ここしかない。秋人は意を決する。
「父さん。母さん。実は、今日は聞きたいことがあって来たんだけど……」
二人のことを確認するように見ながら徐々にいう。すると母も顔を上げて秋人を見た。「どうした。秋人?」いってみろ。父が話すように促す。
「実は、その、冬子のことなんだ」
こういったところ、母は冬子と聞こえた時点で露骨に嫌な顔をした。顔を下げるとわざとらしくスプーンと食器が音を立ててカレーを掬って食べる。嫌な顔をしたまま。一方、父は秋人を見据えたまま、「どんな話なんだ?」と聞いた。
「その、父さん。母さん。イモート・ワークって言葉知ってる?」
母はカレーを食べる手を止めた。顔を上げて怪訝な顔で父を見る。父はそんな母を見て、眉を八の字にすると秋人に視線を戻し「なんだそれは?」といった。
「冬子の同級生だっていう子が来てさ。冬子が自殺したのはそのイモート・ワークの所為なんじゃないかっていったんだ。その、あいつ怪しい方法でお金を稼いでたらしくて、もしかすると……」
「やめてよ! そんな話!」
秋人の話を遮るように母はそう大声をあげると食卓をドンと叩いた。和太鼓の一撃が食器らをかき鳴らすが、その和太鼓本体は今にも面が割れそうで、母は身をブルブル震わせてスプーンを床に取り落とすと、まるで子供がするみたいに両の手で耳を塞いで、今は誰も喋ってないのに、かき消すように喚いた。「あの子はそんなことしてないの! あの子はそんなことしないの!」と叫ぶ。秋人は母の急な変わりように、どうしていいか判らず、すっかり呆気にとられた。椅子に座ったまま呆然としていると、父が母の肩を摩って宥めようとする。と、その手を弾いて秋人を睨みつけた。
「わかった。あなた、それで冬子の部屋にいたんでしょ?」
冬子を疑ってるのね! 人差し指で秋人を指して、顔を真っ赤にしていった。秋人は何が何やらわからないという顔でとにかく「違うよ」と否定する。
「違うよ。何も出てこないことを見込んで……」
嘘をおっしゃい! いうと母らしくもなくギャンギャン、まるで駄々っ子みたいに騒ぎ立てる。こんな母の姿は五分前からは想像もできないし、取りつく島もない。だが、実際のところ嘘ではあるので何も言い返せなかった。秋人は冬子が怪しい仕事をしていた証拠を探していたのだ。秋人はなすすべもなく数分間、説教でもない罵詈雑言を浴びさら続けた。すると父はまた母の両肩を持って宥め続け、悪口にはいくら続いても限りがある、やっと静まってくると母は今度は気持ち悪いと言い出し、父に半ば抱えられる形で寝室に連れて行かされる。秋人もすっかり気持ち悪くなっていた。食卓には食いかけの三つのカレーが二つのスプーンは食器に、一つは床にカレーを撒き散らして転がっている。秋人は無言のままそれを拾い上げるとティッシュで床のカレーを拭き取った。沁みていくカレーと同じく胸中にこんなこと聞かなければ良かったと罪悪感が染みを作る。……しかし、それにしたってあの取り乱しようはどうしたっていうのだろう。秋人は心の奥底でまた思っていた。秋人は、デリケートな問題とはいえ、冬子の生前の怪しい噂を聞いたことはないかと尋ねただけだ。普通ならあんなに取り乱すことはなく、知らないなら知らないといってくれればいい。何故、冬子の仕事の話題を出しただけであんなに取り乱したのか——ひょっとしたらイモート・ワークのことを知っているのかも?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます